韓国聖殿にエールを!韓国を救う橋頭堡となられることを願っています。
韓国聖殿聖徒食口の闘いを二代目王様が賞賛されています。
それは避難勧告が撤回されると言う意味ではないとは思いますが、これから韓国で神様が摂理して行かれるかもしれない足掛かりとなりうるかもしれません。
つまり神様の摂理の起点、橋頭堡を築くことができるかもせれません。
心からエールをお送りしたいと思います。
以前は一日中ブログ村の記事をチェックしていたのですが、最近は少し遅れていることもあります。
少し前に「原理講論を読む」の玉木円四郎さんの記事に韓国聖殿の会長にサタンが入ったとするものがありました。
瞬間的にそれは言い過ぎだろう、大問題になるなと感じました。その後ブログ村の記事にそれに関しては反応がない様子でしたが、「サンクチュアリNEWS」のオケアヌスさんから、韓国聖殿食口からのことの是非の問い合わせがあってその後玉木さんともうひと方に抗議があったという記事が出ていました。
抗議するお気持ちもよくわかりますし、言い方に引っかかるものがあるのは確かです。
そこまで言うのはどうかというのはありますが、その後の玉木さんの記事をを見ても、本音がわかります。
韓国の実情に対する思いが出ています。それを見て私もうなづける点が多いのは偽らざるところです。
もちろん韓国全体の責任を韓国聖殿に負わせているのではないのですが、私には韓国全体の責任を韓国聖殿が背負わねばならない宿命があるという見方をしています。
私も玉木さんを含めて何人ものかたから銃弾を打ち込まれてきました。事実でないことの憶測や本当のことであるかのような決めつけを受けてきました。
その打ち込まれた銃弾を無言てはね返してきたつもりです。
事実でなかったとしても私は私の何らかの堕落性や悪霊や罪を身体から打ち込まれた銃弾にくっつけて弾き飛ばすつもりで甘んじて反論を控えました。
私が、自分自身がサンクチュアリで生き残るとすれば、そのような道であるという自覚があります。
私は韓国聖殿が外的肉体的な意味で生き残れるかどうかよりも内的、心霊的に生き残れるかどうかを注目しています。
十字架の死を覚悟して行くのは成約聖徒の道は生きて死の道を行くことではないでしょうか。
ですから私に対して撃たれた銃弾もいろいろな思いはよぎっても甘受し、感謝しています。
韓国に親北政権ができたことはカインアベルの最後の闘いを迎えてしまいました。
どれほど厳しい辛辣なことばが二代目王様から出されたでしょうか。
私達はアベルから否定され、カインから否定され、否定され続けて甘受して、堕落性を脱ぎます。
もちろん正当な抗議はなされるべきです。
しかし全体を通してみるならば、より大きな罪の代価をサタンに払わせるべきだと思います。
韓国全体をサタンの手に渡す前にサタンから解放される条件を立てることが重要です。
戦争を目の前にして、審判を自覚する私達ですが、サタンは霊的存在です。
戦争がなければ審判はなかったことになるのでしょうか?
ですから二代目王様は血統的問題が起こると話されました。
これから韓国の若者は全体性的に堕落して行くと話されました。
国が滅びる本質は外的な敵が原因ではないというのは歴史家たちの多くが指摘してきたことです。
私達は政治的には敵や味方という立場を明らかにして戦ったりします。
しかし、内的には善悪の闘いはサタンとの戦いであり、その意味ではサタン屈服の戦いです。その意味では敵はサタン以外にありません。
自分自身が、サタンとの戦いを明確にしなければないという意味です。
本当は自分自身が一番知っているのでしょう。もし知らなかったら他人から指摘されて、葛藤することもあるでしょう。
しかし、神かサタンかは自分自身決定する根拠をもち、それに従うしかありません。
そのような霊的強さを持たねば最後の艱難は乗り越えられないと思います。
もし間違えば?それは自分が責任を負うしかない深刻な立場です。
たとえ信仰的に正しい戦いをしていたとしてもさまさまな非難や厳しい環境や事情にさらされることが有ります、
それは何の意味あるのか回答が、自分自身の中の神様との関係性から出されることはあると思います。