誌上説教「力強い信仰生活をおくるために。」
誌上説教。聖書拝読
マタイによる福音書十章二十八節
「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」
説教「力強い信仰生活を送るために。」
力強い信仰生活を送るにはどうしたら良いでしょうか?
たとえば、国家の十字架を背負って苦しい信仰の姿で歩むのか、あるいはトランプ大統領とともにマクロの摂理に対して二代目王様のように力強く影響を与えていけるような歩みが私達にできるのでしょうか。
そのようなことを考えてみるとその背負っている責任の大きさや重さを実感しながら必死な思いで歩むしかありません。
しかし本当の信仰の力強さは神様との関係性を実感しながら歩むことです。
それは永遠の命の実感、すなわち魂の成長に手応えを感じながら生きることが大切です。
私たちにとって永遠の世界で残るものはなんでしょう。
位置?名誉?財産?形としての実績?
といった形ある誰の目にも見えるものに永遠の命に対する価値はありません。
いつかは誰しも死にます。サタンの最大の実権行使は肉体の死であると原理講論にあります。
それはイエスさまの十字架です。サタンもそれ以上のことはできません。
それではそれと引き換えで肉体の死があったとしてもやり通す神様への愛の強さが証明されればサタンはその方の魂すなわち霊人体には触れることはできません。
死は身体が滅びることです。それでは魂を滅ぼす方とはどういうことでしょう。それは神様であるという解釈が一般的です。
神様は私たちの魂を滅ぼされるのでしょうか?
神様は私たちに永遠に生きる魂を与えてくださいました。
それは簡単なことではなく大変なことでした。
宇宙の創造は何百億年以上前のことだ言われています。地球の創造は46億年前のことだと言われています。
アダムとエバに最初の魂すなわち霊人体が与えられました。それ以前の人間?には神様の子女としての神様との関係性が親子という意味での霊人体は与えられていませんでした。
人間始祖アダムとエバは初めてそかれらの親にも与えられていなかった 永遠の命、霊人体を与えられたのです。
そのアダムとエバが、失楽園物語にあるように血統的に堕落してしまったが故にそれ以来全ての人類は血統的に罪ー原罪その他の罪を背負って生まれてきました。
それでは神様は人間に永遠の命を取り上げてしまわれたのでしようか?
いいえそうではなく永遠の命をアダムエバと同じように与えられて生まれてきました。
すると神様が滅ぼされるのは罪に染まってしまった魂、すなわち地獄の中で未来永劫に生きるしかなかった魂を滅ぼされるという結論になります。
サタンとの因縁のない真に成長してし、完成した魂ー霊人体を生かされるのです。
私たちは魂を滅ぼされるお方すなわち神さまを畏れなければなりません。自分はどうせみ言通りには生きれない、どうせそういう人間だと傲慢に開き直ることはできません。
開き直るだけは開き直ったとしても最後は生きている時に悔い改めなければなりません。
そして神さまに談判をして再び生かしてくださいと真剣に祈らねばなりません。
死んでから地獄に行って滅ぼされるのではなく、生きている時に神さまを正しく畏れて神さまの前に悔い改めなければなりません。
私たちはみ言のごとく完全に生きることは難しく感じられます。
それはその通りですが、だからこそ悔い改めが必要です。それは自らの魂の叫びとして内面から出てくるものであって、自分以外からくるものではありません。
誰かに求められた悔い改めなければならないというものではなく自らの内面の声、魂の声、魂の姿に向き合ってこそでてくるものです。
さて結論です。魂までも滅ぼされる方は魂(霊人体)を創造された神様ご自身が罪の覆われた神様の子女である人間をかれらの悔い改めによって罪を亡ぼされるという意味です。
私達は自らの意志で罪を悔い改めて復活していくことにより、神様の再創造の御わざの恩恵を受けることができます。
私自身の魂が、イエス様の聖書のことば、お父様のみことば、二代目王様からいただくみことばをによる再創造の恩恵を受けることができます。
次回の大阪での礼拝は6月25日日曜日です。
奇しくも6,25動乱の記念日ですね。よろしくお願い申し上げます。