日本人に次々と天才少年現れる。天運の証拠か?
日本に神様からの祝福の予感があると前回書きましたが、其の予感の根拠になるかもしれないと思うことがあります。
その国の将来は若者を見れば占えるという意味の言葉をアボジが言われたことがあります。
日本からは将来性豊かな若者が次々と現れていると感じるのは私だけでしょうか?
たとえば、今日将棋の世界で今までの記録と並ぶ28連勝を14歳の中学三年生が達成しました。この藤井聡太四段はプロ棋士になったのが14歳2ヶ月で、去年、史上最年少の記録を塗り替えていました。
そしてプロ棋士デビュー以来無敗での28連勝の記録達成で世の中にいろんな意味で衝撃を与えました。
二度と破られることはないのでは無いかと言われた記録を三十年以たってしかも14歳の中学生にそれも無敗のままで並ばれるとは予想もできない記録達成と言われています。
本人は実力以上の「僥倖」(偶然の幸運)、つまり運がよかったと言ってますが、もちろんそれも実力のうちかもしれません。
前回の記録達成者は自分の時は終了サッカーで言えば終了まであと10分で三点差で負けていたのをひっくり返して勝ったのが3回くらいはあったけれど、藤井四段は負けていてもせいぜい一点差くらいを勝った程度なので本当にすごいと語っていました。藤井棋士にはまぐれに近い勝利はないということになります。
このような世の中がびっくりするいわゆる「天才」が現れるのは私にはなんらかの理由があると思えてきます。つまり日本に天運が近づいているのかもしれません。
しかし、将棋の世界は日本のみ、なので舞台が小さいと思えるかもしれません。
ところが同じ14歳の中学二年生で今年、世界選手権で世界ベスト8に入る天才が卓球界に現れました。
惜しくも中国人選手に敗れてメダルを逃しましたが、二回戦で日本では絶対王者と言われる過去史上最多の9回日本チャンピオンとなっている世界ランク日本人最上位6位の水谷隼選手を圧倒して勝っています。
彼は「チヨレイ!」という気合いの叫び声が有名になり、今年の流行語大賞にも入賞するかもしれないほどの話題です。
早ければ、東京オリンピックのメダル候補にも名乗りを上げそうです。ちなみに彼に今回負けた水谷選手は前回のリオ五輪では銅メダルを取っています。
彼の名前は張本智和と言いますが、両親は中国人で彼が日本人としてオリンピックに出たいと言って一家で日本に帰化した帰化二世です。
お父さんもお母さんも中国の元卓球選手でお母さんは中国ナショナルチームにも選ばれた卓球エリートの家庭ですが、張本選手の生まれる前に卓球を教えるために日本に来て今は夫婦で卓球教室を運営しています。
人種的?には日本人ではないかもしれませんが、国際化の時代ですので、以前の国籍には関係なく、帰化すれば、日本人になったわけでもちろん日本に同化しているわけです。
また張本選手は14歳ながら、18歳以下の世界ランクは堂々の一位であり、日本でも年代別の記録を次々と塗り替えています。
まえにも触れましたが、私は四十歳をいくつか過ぎてから子供達と一緒に卓球を趣味で始めました。この数年間はラケットを握ることも無くなりましたが、卓球を通してみことばを身体で学び、また霊的な体験を多くしました。
スポーツの世界は科学的でもあり、精神的であり、神がかりというか霊界を感じることも多いのです。
そして名実共の天才と呼ばれる少年少女が出てくるには様々な要因があると思いますが、彼らにはこれくらいが常識かなという普通の人が考えてしまういわば一般的な思考の枠というものがないのです。
たとえば藤井聡太棋士の場合、連勝記録とかマスコミが取り囲むとか、相手がとても格上とか、そういう重圧といったものにとらわれない良さを持っています。
それは勝負も含めて将棋が好きでたまらないということです。
それは張本選手にも言えることです。両親が卓球エリートだから卓球選手としてトップに行きたいという教育であったわけではなくお母さんの話によれば、卓球のプロにはさせたくなかったそうです。
それがどれくらい厳しい道であるかよく知っているからと言います。ですから普通によく勉強して安心できる道に進ませたかったと言います。ですから小学校低学年の頃は宿題をしないと卓球をやらせなかったそうです。そして高学年になると学校から帰るとすぐ学習塾に通わせてみっちり勉強してから卓球をしていたのです。
小学校の時は県下で「指折り数えられるほど」塾では優秀な成績だったと塾の指導者も語っていました。
しかし、小学校の卒業作文に将来の夢は日本人としてオリンピックの金メダルを取ることと書いて、また全校生徒を代表してその前で宣言したのです。
中学校からは国立のJOCスポーツアカデミーを所属して金メダルを目指しています。
彼も自分が好きな卓球を極めようとしているのであって誰かの思考の枠にとらわれない自分に忠実な生き方をしています。
先回腑に落ちるということを書きました。自分がやりたいこと、納得することをとことんすることが天才を生み出すと思います。
韓氏オモニと家庭連合幹部の失敗により、蕩減の時代はまだ続きますが、やがて終わります。本性と天性の時代が来ます。日本からも次々と天才が現れて日本人全体を通して創造本性的な時代が来ることを願います。
自分や自分の家庭はそれどころではないと言われる方も多いと思います。
しかし、私が申し上げたいのは今までの自分に捕らわれ過ぎていませんか?ということです。
自分は頑張ってみたけれどダメだった、自分はここまででそれ以上は変われないという固定観念に捕まり過ぎていないかということです。
もちろん歳を取るごとに体力は衰え、無理がきかなくなります。しかし、それでも成長できることはあると思います。また超えれなかった堕落性を超える可能性があるでしょうし、愛せなかった、恨んできた相手に対する気持ちが変わっていったという「奇跡」は五十代でも六十代でもあるのです。
そのような例を挙げることができます。
しかし、まずできることから挑戦してみましょう。
私は決して運動神経の良い方でもなく器用な方でもありません。
卓球も子供に嫌われるほど下手でしたが、それでも子供に教えながら、みことばを身体で知る訓練をしました。ですから中学校でもコーチを頼まれてやりました。大阪府で団体戦で二度2位にもなりました。
学校の先生からは教員免許がないんですか?と聞かれました。あれば正式なコーチの契約をしたでしょう。
将棋ももう何十年も指していませんがたまにスポーツ新聞の詰将棋をしてみます。10分で初段とか五分で一級とか書いてありますが昔はほとんど解けなかったのが今ではだいたい解いてしまいます。
アボジは頭の体操のようなものを時々やりなさいと言われたことがあります。
一時会社の先輩に誘われて数独をやりました。なんでもそのようにやってみながら、自分の課題だと思えることに挑戦する訓練が必要だと思います。
それは常に新鮮に柔軟に成長できる自分を保てるようにしたいからです。
常日頃からみことばを理解できる自分になりたい、もっとみ旨を愛せるものになりたい、神様を常に愛せる、神様が好きな自分になりたい、そうなってこそ真に自由な人間になれると信じるのです。