我が家の猫、その後の話。続々編
深刻な話が続いてきたので、今日は死んだ猫の話の続きです。
なんと先日家内があのチビを殺した野良の「ドラ」を飼いたいなと口走ったので、耳を疑いました。
もちろん本気?ではないようですがふとそんな思いがくるようです。私が女心とは不思議だなと言うと、そうなのよねー、自分でもよくわからんわ。と返して来ました。
“怨讐を愛する”という次元ではなさそうです。
チビをなくした寂しさからはあるだろうが、一方ではドラが怖いとも言います。
その怖いもよくわからないところがあって我が家にいたココやチビにも時々目が怖いとか様子が怖いとか言ったりして来たので、よく掴めない。
だいたいもともとドラの目が可愛いとか、ドラにはどこどこに家庭があってそこに生まれたばかりの三びきの子猫がいてそこに帰っていくみたいとドラの情報にも詳しいのです。
一緒に歩いていても、今そこの路地にこんな猫がいたとか、話の途中に急に猫の情報を参入させてくる。
家内は近くの野良猫の話をよく私にしてきました。それでたまりかねて野良の話はするなウチではこれ以上飼うことはできないだろ
とすぐに野良猫の話は止めますが、飼いたいなとは絶対言わないのですが、明らかに野良猫がかわいそう的な話をし出すのです。
言われても仕方ないので、すぐストップをかけるのですが、我が家には愛猫が死んだ直後から、すぐ猫を飼いたいと言い出す長女がいるので、油断は出来ません。
チビが死んで彼らはチビがいない、寂しいと言ってくるのですが、私の話を聞いてムッとして明らかに怒ってしまいます。
私がなんと言うかと言うとチビは私の胸にいるよ。ぜんぜん寂しくない。生きてる時はいつも腹や胸に乗っていて重たかったけど今全然重くなくて助かっているよ!
と言うと御機嫌斜めになります。チビはみんなを癒してくれました。帰ってくるとチビは?とか言いながら、チビと遊んで疲れとつたりストレスを忘れたりしました。
チビはみんなの後も追いかけたりしましたが最も私の後を大抵ついてくるねこでした。もちろんトイレにも風呂場にもでした。わたしの姿が見えなくなるとにゃーと鳴きながら探しに来ます。
トイレでも風呂でも空けないとうるさいので開けてやります。風呂では風呂の中のお湯を飲んたりして納得すれば出口の前に座ります。帰るよというわけです。
トイレに入ってくると一緒にいて臭くないのか平気らしく、出ていくと登ってトイレの手洗い水の流れるのを飲むのがだいすきです。
この二ヶ月ほど骨折したのもあって家にいることが多かったので、座ったり寝転んだりすると、いつ間にか腹に乗ってくるのです。
そこが一番良かったようです。チビは結構太っていて家族の中でわたしが一番乗せてやっていたのですが、本人が納得しないのに降ろそうとすると不満げに“苦情”を言います。
わたしはその“苦情”を聞くのが好きではなかったので長く乗せてやりました。
多分それで一番居心地が良かったのでしょう。
死んだので体重がなくなって楽になったのですが、チビいつも今も一緒なのです。
死後、何日間は私もチビが最期の時無念でなかったのかなと頭に浮かびましたが、それはチビのことを思っていてるよという気持ちを込めたからです。
チビは納得しているかはわかりませんが、いつも私のそばにいてくれています。
以前重たかった時のようにそろそろ降りてお誘いのある方へいくのは?と聞くといややと言う苦情です。
長女の時のココはその死後、やがて仲間たちとあちらの世界に行きましたが、長女の話では本当に会いたくなるとココの骨をずーと抱きしめているとあったかくなって本当に抱いている気持ちになるそうです。
こういうのって本人の実感ですから仕方ないですよね。
その長女が友達と行くはずだった巨人阪神戦が友達が行かなくなってしまったのでお父さん行かへん?というわけで今から29年ぶりの野球観戦です。
なぜ29年ぶりかという長女がお腹にいる時、夫婦で行くおそらく初めてで最後のまともなデートと言えるのが広島球場での巨人広島戦でした。
四人の子供で唯一の野球ファン(巨人ファン)の長女のお誘いですが、胎教?かなと思いながら断りきれませんでした。 小さい時ほとんど家族サービスもしていなかった思いもあり、昨日まで忘れていたのですが、雨の中でこれから行かねばなりません。
だいたい子供たちとの会話はライングループでしているのですが、長女と私が行くと知って、やりとりを見ていた次女も私も行く〜ということになって三人での家族観戦です。
その次女はもうじき嫁に行きますが、そのこともあってか、チビは為貞家を守る為に死んだんやろか、と言っていました。
その死に方からそう思ったのでしょう。私もチビの心が伝わったのか思い出しても心が温かくなるのです。
チビ、ありがとう。