金 美京さんの「天からきた通知」読んで。肯定も否定もしませんが、あえて言えば消極的です。
澤田地平さんがアップしてくださった「天から来た通知」を読みました。
証の内容についは夢を見られたことが多いようですので、肯定も否定もできません。
それは夢ですから、ああ、そういう夢を見られたのですね。というだけです。
それは参考になるのかもしれませんが、夢が全て霊界の事実とは限りません。
私たちはいろんな夢を見ます。堕落する夢だって見
たりします。
それが真実だというならば、夢を見たことで堕落したことになります。
堕落した夢はサタンの技で引っかかってはいけないが、お父様の夢は全て真実だとすれば、それは都合のいい話です。
もちろん本当にお父様との出会いであるかもしれませんが、それをもって地上の摂理に影響させようというのはどだい無理な話です。
夢はその人だけの話ですから、その人だけの恵みとは言えるかもしれませんが、だからと言って地上での交流以上の意味を持たせてはいけないと思います。
その意味で、夢の証が大部分であるこの方が、地上の人である特定のご婦人やそのご夫婦に特別な意味を持たせることは何の意味もない行為であると思います。
何の意味もない行為であるものに何か意味を持たせて、まるで地上で何かをしようとするならば、そのような行動にはついていけません。
またついていかない方が良いと思います。それに関心を持つのは好奇心からでしょうか?
夢は夢です。流れていきます。信仰の初期にお父様の夢をみて、すぐ離れていった人は昔からいます。
この著者が見た夢が嘘だとわかっているわけではありません。
しかし、夢を見た内容の根拠もまたありません。
私は正直言って引っかかるところが有ります。それは特定の地上人を証しているところだけではありません。
お父様はたくさんの人がお父様の夢を見ることを知っています。
しかし、その夢の内容は全くと言っていいほど、「先生は知らないや。神様が見せてくださるんだね。」とおっしゃられたことがあります。
神様かもしれませんが、その内容を知らないとおっしゃったわけですから、少なくとも、夢に出てこられたご自身のことは関知していないとおっしゃったわけです。
ですから、夢で見たというのが、霊的事実という根拠は全くありません。
この方はご本人の意図がどこまでかわかりませんが、結局、ご自身が見られた夢が、断定的ではありませんが、霊的事実であるかのように語っておられます。
これは重大なことです。
親や祖父母、先祖に会ったというのとは訳が違います。親族の夢を見たと聞けば、それはそうだったんですねと肯定的になるのは普通は自然です。
人類の救い主であるとする方とこのように話したとなれば、重大な意味を持ちかねません。
もちろん嘘と決めつけるつもりもありませんが、何らかの意味を持たせるのは良いこととは思いません。
人間は第二の創造主です。
霊界の地獄は神様が作ったのではなく、堕落した人間が作りました。
夢はある程度霊界からのメッセージでしよう。
しかし、霊界では、堕落した人間がお父様のふりをすることも簡単です。
ですから、善神の業(わざ)と悪神のわざの研究をよくしてこれらの現象をよく見極めなければならないと思います。