狭き門か広い門か、この際考えてみましょう。
神様大好き!さんの記事を読んでみると明らかに私の「狭き門より入れ!、信じて滅びよ!」の記事の内容を批判しておられるようです。今日はそのことの感想を述べてみたいと思います。
もとより自由闊達な意見は大歓迎で、なるほどとうなづきながら、楽しく読ませていただきました。自由闊達な議論がよいこともそうですが、確かにサンクチュアリーのほうが楽で広い門かもしれないと思ったことも事実で、そのことに気づいたことも嬉しい一面があります。
つまり狭き門というのは、好んで狭き門であるのではなく、本人にとってそれが非常に困難に思える環境であっても行かねばならないことを言ったまでです。
確かに統一教会、平和連合に留まることも「狭き門」かもしれません。いつまで高額エンドレス献金は続くのでしょう?摂理献金と称して組織維持の為、しかも大部分は内部の人件費や幹部の贅沢な報酬に使われているでしょう?反論があればキチッと反論すべきです。徳野会長もそのような疑問に答えられないのです。
というより、いつまで狭き門を強いるのでしようか? シックからどこまで絞りとれば、「門を広く」してていただけるのですか?今、そしてこれから喜んで感謝して献金するひとがどれくらいいるのでしょう?
ちなみに私は自慢ではありませんが、摂理献金を2000万以上して(別に額が問題ではありませんが)家も車も自分の名義から離れ、自己破産??状態です。別に献金のせいだとは思ってませんが、そうだという人もいるでしょう。
私は別になんとも思っていませんが、そんなことは問題ではありません。み旨のためならばどんな立場でもOK、です。
お父様の願いに応えようとしてきたのであって、なんの悔いもありません。しかし、お母様が、お父様の願いから離れ、サタンと取引してその利益のためにそのようにするのであれば、献金は断りますし、また誰でもそうすべきでしょう。
私は論戦を好むところがあります。白黒の論点を明確にしたいからです。神様の願いが何かを伝えようとしているだけです。サンクチュアリーの道が広く見えますか?もしそうなら沢山の人が来るかもしれません。
しかし、私の知る限り、いまの高額エンドレス献金がおかしいと思っている人は多いと思いますが、その理由だけで来る人はいません。亨進様の考えにすべて委ねて自分でも真剣に考えたり、祈ったりせずに来た人も私の知る限りいません。なかにそういう人もおられるかもしれませんが。
しかし、お母様を絶対的に信じて、ブログ村での議論など見ることもなく、自分の頭で考えもせず、すべてアベルに委ねている、統一教会、平和連合の皆さんの方が圧倒的に多いのではないですか?
狭き門はしかたないからですね。それでも行かなければならないのでしたら、行くべきですし、滅びの道でしたら、狭くとも広くとも行くべきではないでしょう。自分を滅ぼしたとしても、その道が本当に神様の願いの道かどうか神様に尋ねてみましょう。
楽な道そうだからサンクチュアリーに行く人が多くなるかどうかはわかりませんが、あまり深刻に考えず、自分の本心の働く神様を信じて、サンクチュアリーを選んでくださることは大歓迎です。あるいは気軽に接して頂いて、考えるきっかけにして下さい。
確かに外部伝道を統一教会に依存しているのは課題です。ただ、今の現状では少し難しいかなと思います。せめて教会としてのつどいの場も必要です。ただこれからどんどん証が出てくるでしょう。熊本のように。新しい生命がどんどん誕生します。
神様がどちらにおられるかやがてわかります。神様大好き!さんアベルが間違えても、たとえお母様に過ちがあったとしても、神様大好きを続けてください。ひょっとしたら、万が一にでもそういうこともあるかも、と一度考えてみてください。そのように考えてみることは「広い門」でしょうか?
今は食口にとってルターの宗教改革が起きた時以上の信仰的、思想的大混乱期になると考えますが、その厳しさ、辛さを噛み締めています。