ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

「 天からきた通知 」で描かれる忠母様について。

金 美京さんの夢の内容を本にした「天からきた通知」を巡って取り上げられる機会があるようです。

諸星くるとさんが取り上げておられる忠母様についての部分において、私も引っかかりを感じたところです。

確かに忠母様は文先生をお産みになられる時はクリスチャンでもなく、マリアのような明確なさ啓示があったとも思えません。

しかし、文先生を絶対的に愛して、本当に信じてこられた絶対的な愛、絶対的に信じてこられたのだと思います。

「自分の育て方が間違っていた。申し訳なかった」という言葉が簡単に出てくるとはどうしても思えません。

そのような単純な価値観で文先生をみたり、自分の息子というだけの次元でおられたとは思えません。むしろ、忠母様は既成の倫理的な価値観を超えた真の愛に近いものを持っておられたのだと私には思えます。文先生は神様の愛を神様から直接だけでなく

お母様である忠母様から受けられたのだと思います。

ですから、イエス様のように「女よ、」と悲しみの底から冷たく、母に声をかけられたと同じ次元すなわちマリアと同じ次元とは到底思えません。

文先生のみことばにマリアは息子イエスの結婚の準備ををしなければならなかったとあります。ところがマリアは息子イエスの結婚ではなく、他の人の結婚式に忙しく、イエス様に手伝うように言いました。その時、イエス様は「女よ、私の時はまだきていない。」と言われました。

ヨハネによる福音書二章1節から引用。

2:1 それから三日目に,ガリラヤのカナで結婚式があった。イエスの母はそこにいた。 2:2 イエスも弟子たちと共にその結婚式に招かれていた。 2:3 ブドウ酒がなくなった時,イエスの母は彼に言った,「彼らにはブドウ酒がありません」。

2:4 イエスは彼女に言った,「女よ,あなたはわたしとどんな関係があるのですか。わたしの時はまだ来ていません」。

とイエス様は語られています。

しかし文先生は初めの結婚をお見合いでされたとあります。もちろんお母さんであられる忠母様がいろいろ尽くされたに違いないと思います。

この時点でマリアのできなかったことをすでにされておられます。この時の摂理が勝利したならばもちろんこのお見合いの相手の女性が真の母になられたはずです。

この最初に結婚された女性がもし勝利しておられたならば、文先生のご苦労が今のようでなかったことは私達にとっては明らかでしょう。

その時に文先生をお見合いさせたこの忠母様はもちろん第一の功労者であられたことでしょう。 忠母様はご自身の使命を果たされたのです。

ですから、「天からきた通知」の忠母様に対する見方が違っていると判断します。

何れにせよ、あの夢の啓示の全てをそのまま受け入れるのはどうかと思います。

忠母様は、たとえメシアとは知らずとも文先生を絶対に信じて愛してこられたとおもいます。マリアはイエス様が神様から来られたことを啓示で知っていたにもかかわらず、文先生が指摘しておられるように、イエス様を絶対視していませんでした。

蕩減復帰として文先生のお母様は啓示はでなくても本性で、諸星さんの言い方を借りれば、聖霊によって導かれて絶対的に文先生を愛してこられたのだと思います。その直感力は神様がお与えになられたのだと確信します。

どうかその夢の証だけで忠母様をそのようにみられるのは控えられた方が良いと改めて申し上げたいと思います。

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