ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

善主権と悪主権が交差する善悪交差の転換点。

これも有名な聖句です。

口語訳 マタ 7:21-23

7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。

7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。



この聖句から訓母ニムのことを考えてしまいます。訓母ニムの功罪ははっきりすることを望みますが、きれいな説明がされるでしょうね。統一教会、平和連合はシックたちに自分達に都合が悪いと、ほんとうのことは隠して綺麗事でなんでも誤魔化そうとします。




「ネットを見るな」と、どんなに教育を受けてもやがて情報は出てきます。その時、嘘をつき、誤魔化し、自己保身のため取り繕ってきたのが誰なのかはっきりすることでしょう。訓母ニムも金マノさんも中枢から離れて、入れ替わり立ち替わり、権力の闘いは続き、真実は隠されていきます。



今回の常総市の洪水は暗示的です。ちょろちょろと堤防の隙間から川の水が漏れ出して市役所に連絡するが対応していませんでした(できなかった?)。蟻の一穴から川が氾濫して、堤防が決壊して、多くの人が流されました。ネット情報の流出は洪水となって多くの食口たちをおし流していくでしょう。どれほどの混乱が起こるでしょうか?



それは見たくもありませんが、予想することもできないほど息の詰まる思いです。しかし、時が来れば、そうなるでしょう。それはもう間近でしょう。抜本的対策を講じなかった人たちの罪は問われます。




それは亨進様の説教をきちんと理解しようとしなかった人たちです。自分の立場に固執して謙虚にその警告に耳を傾けてこなかった人たちの責任です。上の聖句では「不法を働く者ども」となるでしょう。



なぜなら、彼らはサンクチュアリー教会や、亨進様から食口たちを遠ざけるために、亨進様を親不孝、嘘つき、と罵り、結局は真実を隠し、真のお父様から食口たちを引き離します。そして結局のところ、その責任のすべてをお母様に押し付けるのです。


さらにはその結果、お父様が、サタンの進入を防ぐ防波堤としてきた、真の家庭、摂理的基盤、統一グループ、平和連合が決壊して、サタンが進入し、韓日が割かれ、韓半島は中国に飲み込まれ大混乱に陥る可能性が高くなりつつあります。




このような「不法を働く者」の態度やこの状況を理解することに原理講論の終末論第五節(二)〜終末に際して我々のとるべき態度〜が少し長いですが、参考になります。

引用始めー

(前略) 終末においては国と国とが敵対し、民族と民族が相争い、家族たちが互いに闘いあうであろう。(マタイ二四-4〜9)と聖書に記録されているとおり、あらゆる悲惨な現象が実際に現れるに違いない。

終末において、このような惨状が起こるのは、悪主権を清算して善主権を立てようとすれば、どうしても起こらざるをえない必然的な現象であるからで、神はこのような惨状の中で、新しい時代をつくるために、善主権の中心を必ず立てられるのである。(中略)

それゆえに、このような歴史的な転換期において、神が願うところの新しい歴史の賛同者となるためには、神が立てられた新しい歴史の中心がどこにあるかということを、探し出さなければならないのである。

このような新しい時代の摂理は、古い時代を完全に清算した基台の上で始まるのではなく、古い時代の終末期の環境の中で芽生えて成長するのであるから、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる。

したがって、この摂理は古い時代の因習に陥っている人々にはなかなか納得ができないのである。(中略)

新しい摂理の中心として来られたイエスは、旧約律法主義者にとっては、理解することのできない異端者の姿をもってあらわれたので、ついにユダヤ人たちの排斥を受けて殺害されてしまったのである。ー引用終わり。



聖和三周年を迎えるにあたって、93日路程の当初は三周年を過ぎれば、つまり8月30日を迎えれば、われわれに大きな恵みがあるとほのめかした牧会者であったが、逆に統一グループや世界に善悪分立の審判が下ってくるでしょう。



その理由は上に示した新しい時代の摂理がいよいよ始まるからです。引用の最後の一文をとってわかりやすく見てみましょう。

イエス→亨進様、

旧約律法主義者→お母様絶対主義者(幹部たち)

ユダヤ人→食口たち、

殺害→分派の首謀者に、


と置き換えてみると次のようになります。


新しい摂理の中心として来られた亨進様は、お母様絶対主義者(幹部たち)にとっては、理解することのできない異端者の姿をもってあらわれたので、ついに食口たちの排斥を受けて分派の首謀者にされてしまったのである。


イエスが不道徳者、旧約の律法を廃する者、自らをイスラエルの王とし、大衆を扇動するものとして最後は十字架で磔にされたように亨進様も似た運命を辿るようになります。



しかし、決定的に違うところがあります。すべての勝利をされた万王の王であられる真のお父様の後継者であり、その代身者であり、その方がともにおられることです。三代王権がともにあり、お父様のすべての勝利を相続されておられるからです。



私たちは正に歴史的転換点に立っています。分派問題として小さな次元に矮小化してはなりません。後継者に関するお父様のみことばを軽視すべきではありません。


談判祈祷をして判断するなどそのようことにエネルギーを使う必要がないというある幹部のことばは自己保身の為には役立たない、何の意味もない、と言うように聞こえます。


そのような姿勢に終始するばかりで、結局、永遠の生命に傷をつけていいでしょうか?多くの人々を地獄に追いやっていいでしょうか?不法を働く者どもになるかもしれませんし、世界を混乱に導いて、国の運命を危機に陥れていく者の仲間でよいのでしょうか?


悔い改めて、謙虚にお父様の後継とされた方の言葉を謙虚に、私心や先入観、を捨てて聞いてみるべきでしょう。ましてや分派、親不孝、未完成期の間違い、未熟といったレッテル貼りはやめるべきです。


さあ、歴史の転換期でどう見届け、どう判断し、どう行動するか、その主役は私たち自身です。

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