ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

聖書の理解が土台です。

4月8日日曜日礼拝をしました。ここ半年は人は入れ替わりが毎回5人か6人の参加人数です。終わったら食事会をして交流します。

正直言って半ば公的な施設を借りながらですが、会場費を払ってこの人数では厳しいと思えば厳しい現状です。それでも一回も休まず、毎月二年半続けてきました。どうしようかなあと思ったりすることもありますが、聖書を使い、聖句からイエス様の言行を学びながら我が身を振り返る貴重な場でもあると思い続けています。

今回二代目王様から次のメッセージを目にしました。

亨進(二代王)様は正しい生き方には聖書に基づくの理解が基礎であることをお話ししておられます。(亨進ファンクラブさんのブログからの引用です。いつも翻訳ありがとうございます。)

〜引用開始〜

榮進様に関する霊的現象について2017年9月7日王のQ&A (前略)


だから聖書のみ言葉を理解することが大事なのです。

すべてのお父様のみ言葉、神様のみ言葉は聖書を基盤として出てきます。聖書でこのような内容は整理されています。末世に老人は夢を見て、若者は幻を見るという話が出てくるのですが、すべての予言や啓示は、神様のみ言葉と一緒に受け入れなければなりません。聖書の役事を通して、どのような内容があるのかというと、霊的な役事や神様が啓示と恩恵と恩寵をたくさん下さるとき、いつも聖書と聖書の役事を通して、その基盤によりお父様のみ言葉を理解することができるのです。

なので、みなさんは聖書の勉強をし、聖書を基盤としてこそ異端者たちや地獄に連れていくやつらの詐欺を見分けることができます。聖書を基盤としなければ再臨主とは何か、偶像崇拝とは何かがわかりません。神様の神性も何も見えません。日本や韓国の食口はキリスト教の基盤がないままに再臨主に出会ったので、自分の家の儒教や仏教の影響を受け、その眼鏡をかけたまま再臨主を見るので、偽りの再臨主を作ります。

キリストを中心とした聖書の基盤で、みなさんはキリストと共にある関係があってこそ、他の人が話すお父様ではなく、聖書の役事を通してお父様はみなさんに感動を下さり、夢を見させてくださるのです。もちろんこのような中には偽りもあります。聖殿食口は信仰の責任者として責任を持たなければなりません。詐欺にあうようなことではいけません。聖書の基盤を知らなければなりません。

〜引用終わり〜

栄進様が現れたとかという霊的現象に対する亨進様のみ言葉です。改めて聖書の理解の大切さを説いておられます。

このブログでも誌上説教として礼拝の説教を要約補足して載せたりしてきましたが、亨進様の説教やらキングスレポートもたくさんありますので、出さなくなりました。

最近では鉄の杖など、キリスト教よりははるかにある面難しい内容も多くなりました、

しかし、やはり根本の聖書を土台とする考えが私たちに定着していくことの必要性を改めて感じます。

私のまわりには幸いというか霊的な問題はなさそうですがサンクチュアリィ全体としてはかなりあるのかなあと思います。

私たちが意見交換する場合、聖書の言葉(聖句)、もしくは原理講論に出てくる原理用語を基にして神学的な話をします。

ところがそれが通じない方を時折お見受けします。

その方の信仰体験は尊重したいと思いますが、同じ霊的体験でもない限り、言葉からまず理解することになります。

しかし、聖書に書かれている言葉を聖書の意味から離れて使われるとこれはもう理解不能になります。

原理用語に使われている言葉も原理講論には全てを書かれてはいないので、その範囲を超えて説明しているということです。

しかし、原理講論から離れた言葉では言葉の定義をまず説明を受けなければ理解のしようがありません。以前聖霊についてある方の説明を詳しくお話しを伺って、その礼拝の後、ご質問しましたが、理解のしようがありませんでした。

さまざまな試みはあって良いとは思いますが、ぜひみ言葉から離れることのないようお願いしたいものです。自戒を含めて考えています。

日本ではキリスト教が定着していないので、仏教的、儒教的理解に留まりがちです。

それに相応した伝道を家庭連合ではしてきましたが、それが結果的に失敗という結果に終わりました。なぜならほとんどの方が亨進様のお話しが理解できず、メシアの意味がわからず、親不孝という儒教的な価値観から離れられずにいます。

ですから、私たち聖殿信徒はキリスト教の理解、聖書の聖句の理解をますますする必要があります。

そのような意味での聖書の理解という面でのブログでの露出も少ないようですので、また改めて取り組んでいくつもりです。

聖書の言葉(聖句)が私たちに定着するには実体生活とのつながりが大事になります。

文鮮明師の説かれた原理も生活化が大事にと言われました。

そのような意味でも頑張っていきたいと思います。

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