日本サッカー代表監督、ハリルホジッチ氏の解任について。日本人の長所と短所とは?
今日はサッカーの話題です。私は子供のころよりサッカーよりも野球だったので、サッカーのことはあまりわからないのですが、今日ふと日本代表監督の更迭問題のことが気になりました。
最近、日本代表の試合結果が振るわないのは知っていましたが、ついに代表監督のハリルホジッチ氏が解任されて大きな話題となりました。
後任は久しぶりに日本人である西野朗氏になりました。
W杯直前の解任劇は驚きをもって報道されましたが、その解任理由に関心がありました。
つまりハリルホジッチ監督が求めるサッカースタイルと日本選手が得意とするサッカースタイルが食い違っていて、その戦術に対する不満が溜まってチームに亀裂が走っていると判断されたためのようです。
本当に苦渋の判断だったのだと思います。
ハリルホジッチ監督は旧ユーゴスラビア(ボスニア・ヘルツェゴビナ)出身です。
選手としては主にフランスで活躍し、クラブ監督としてはフランス、モロッコ、クロアチアでリーグ優勝し、欧州、アフリカ、中東といったサッカースタイルの異なる国で指揮をとり、更にはタイトルを獲得して、フランスでの活躍ではフランスの最高勲章であるレジオンドヌール勲章を授与されています。
また、国のチームを率いる代表監督としてはコートジボワールやアルジェリア、といったアフリカの監督を務めていた実績があります。
これまでの実績としてはまず申し分のない監督のようですが、なぜ、突然の解任となったのでしょうか?
サッカーは詳しくないので、それは語れないのですが、いろいろ考えさせられることがあるのです。
今回の解任劇が衝撃が走ったのはとんでもない迷走をしているイメージがあるからです。
私が思うに日本というチームがどうすれば良い機能を発揮するのか、あるいは将来に向けての本当に強いチームになれるのかという長短期両面で見えにくくなってしまったことにあります。
日本サッカー協会の田島協会長は今回の解任は、目前(6月)に迫ったロシアW杯に勝つ可能性が1%でも2%でも大きくすることだとしましたが、直前での監督交代は過去の例を見るまでもなく、良い結果を出すことはかなり困難のようです。
私はサッカーは代表チームの試合はよく見ます。
他の強豪国と比べても見劣りしないのは、細かいパス回しやら緊密な連携プレーといった組織力です。
足らないのは個人の突破力、瞬発力とか、一対一の競い合いの強さといった個々の力が足りません。
しかし、それは仕方ない面だと思ってきました。
欧州勢との体格の違い、パワーの違い、アフリカ勢の身体のバネ、瞬発力といった身体能力の違いはどうしようもない面があるからです。
そこで、日本サッカーの長所である細かいパス回しによる球持ちの良さを生かしたプレースタイルの延長が良いのだろうと思っていました。
ところが、ハリルホジッチ監督は、球持ちの良さといった横の細かいパス回しから相手ディフェンダーの隙を狙ったり、守備陣を崩したりするこれまでのスタイルよりも早い縦パスや個々の突破力を強調してそのやり方に合う選手を登用していくので、次第に不協和音が出て、機能しなくなってきたというわけです。
結果として日本の良さが発揮できなくなったということなのですが、よくサッカーの文化が理解できないので、そのことに対してどう考えて良いかはわかりません。
しかし、たとえ優秀な実績のある監督を迎えたとしても十分にチームの戦略を協会内部で練ったりしないのだろうかということは疑問の一つです。
ハリルホジッチ監督はアフリカの代表監督をしてきたこともあり、身体能力の高いアフリカサッカーのスタイルを日本に導入しようとしたのではないかという意見もありますが、どちらかといえば、その国なりのスタイルを重視する人だとも言われてきた監督でもあるようです。
日本のサッカーを研究した結果、どうしても個人の力を高めてより個々のレベルを上げて、チームの殻を打ち破って日本をより次元の高いチームをしたかったのだという見方もできます。
これは大変難しい問題です。
なぜこれを取りあげるというと、長所も短所も日本という国の特殊性をどう見るかという問題になるからです。
三年前、の八月でしたか、サンクチュアリにおいて、日本サンクチュアリとサイバーサンクチュアリなどが複数、二代目王様によって公認を受けました。
なぜ複数の団体を公認されるのか理解できない日本のメンバーが多かったと聞いています。
決められた中心に従えないメンバーの方がおかしいのであって中心と合わないメンバーが別の組織を作るというのはおかしいという考えだろうと思います。
それに対して二代目王様や国進様は二つ以上のさまざまな団体ができて、それぞれ、くっついたり、離れたりという離合集散して二年や三年では決着しないだろうと語られたというのです。
そのようなことが語られたと発表する人もあれば、そんなことを言われるはずがない、それは悪意を持って捏造したのだと断言する人もいました。
私は当時責任者の一人として、収拾するために、両方に中立で、かつアメリカでそれが語られたその場にいてその時の発言を聞いた方を招いて会議を開いて決着しました。
もちろん英語で語られたのですが、離合集散という日本語の訳がぴったりとすることばであり、そのご発言の翻訳は全体的にも正確であると証言されました。
またこうした内容は、それ以降もその趣旨に沿ったご発言が二代目王様からもあったように理解しています。
そのような騒ぎが起きたのも二代目王様あるいは国進様があえてなかなか日本人には理解しがたい方針を出されたことにあります。
実は私はそのご発言の真意やご発言の理由をある程度はわかっているつもりですが、あくまで推測の域ですので言いません。
また当たっていたとして、それを語ったところで良い結果にすぐになるとも思えないからです。
サッカーではハリルホジッチ監督は日本の弱点を知って敢えて意識を変えようとしたのでしょうか?
しかし結果としてはそれは逆風を受けて解任に至りました。
サッカーのことですのでそのまま日本の組織論とかに当てはまるのかはわかりません。
またわかったとしても日本を変える力が自分にあるとも思ってはいません。
このような話はまずほとんどの方には縁のない関係のない話になりますし、また本当にわかっている人は絶望感に溢れています。
所詮、日本人には無理だ、ということです。
私は半分同意しますが、後の半分は違うのではないかと思っています。
たくさんの団体があったり、分かれているのは弊害があったり、マイナス面が多いと思っておられる方も多いことでしょう。
しかし、私はとても二、三年では収拾しないだろうということですが、やがて解決の時が来ると言われているとも解釈できます。
その解決とはなんでしょうか?
私はサイバーの後を継いでその流れの中で自由サンクチュアリ連合を名乗っていますが、どのようなスタンスでやっていくかを考えてきました。
江利川会長とも仲良くしていただいてきましたので、実はそのことを深くお話をしたいと考えてお話の申し込みをしましたが、お忙しいご様子で、またあまり差し迫ったお考えはないご様子でした。
私はこの課題を、自分の課題としてきました。
明確な答えが出るまではやはり自由サンクチュアリ連合とかなんとかという立場でやるしかないのかなと思います。
二代目王様と国進様から与えられたこの日本の課題に取り組むのが、自分に課せられた責任であると感じてきたからです。
サッカーというスポーツの軽い話題から入りましたが、いかがだったでしょうか?
だいぶ重たいテーマになってしまいました。
昨日は99匹と迷った1匹の羊の話をしました。迷った羊の飼い主はイエスキリストであり、救い主です。
近代の自我の出発は神(イエス)と自分との関係の確立が出発点です。
二代目王様は韓国、日本にはキリスト教の伝統がないと語られています。
それは飼い主を再び見誤った羊となる可能性が高いことを意味していますし、そのことは霊能者について行ったり、半ば盲目的に目上の人について行ったらする現象となって現れます。
それはキリストと自分とにおいて確立された関係が弱く、真の個の確立が弱いのです。
(そしてその延長には千年王国の最期のゴクとマゴグについていく海の砂に子孫が入ってしまうでしょう。)