ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

新しい元号「令和」の時代を迎えて。

新しい元号が「令和」に決まりました。

目にした(耳にした)瞬間、違和感というか馴染まない印象がありましたが、情報を得ていくうちにそんなに違和感もなくなりました。

「平成」の時もまずは違和感があったのも事実が意味を知るうちにいい年号の名前だなと思うようになったことを思い出します。

平成とは 内.平(たいらか)に(して.なって)外、成るとか地、平(たいらか)に(して.なって)天成るなどと読めばなるほどと感じ入ったりしました。

私たちの敬愛する真のお父様は「こんなこともあるんだね。と奇跡的なネーミングという感じを持たれたと伺った記憶があります。

さて今回の「令和」はいかがでしょうか?

ある新聞はこのように新元号決定を伝えています。


〜〜〜日刊スポーツより引用開始〜〜〜〜

新元号は「令和(れいわ)」万葉集から引用

[2019年4月1日12時27分

菅義偉官房長官は1日、官邸で会見し、「平成」に代わる新元号を「令和(れいわ)」と発表した。

万葉集の梅の花の詩、32首の余分にある「時、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す」から引用。


1日午前9時半から開いた有識者懇談会で、ノーベル医学生理学賞を受賞した京大の山中伸弥教授、直木賞作家の林真理子さんらから意見を聴取。大島理森衆院議長、伊達忠一参院議長の意見聴取も踏まえ、全閣僚会議で協議、臨時閣議で新元号を決定した。

今回は、天皇陛下の退位に伴い、皇位継承前に行われる憲政史上初の新元号公表。国民の間では、さまざまな「元号予想」も飛び交ってきた。

新元号に関する法的基準はないが、79年の大平内閣時代に出された閣議報告の「元号選定手続き」には、

<1>国民の理想としてふさわしいような意味を持つ

<2>漢字2文字であること

<3>書きやすいこと

<4>読みやすいこと

<5>これまでに元号またはおくり名として用いられていないこと

<6>俗用されていないこと

以上、6点が挙げられていた。

645年の「大化」から現在の「平成」まで、247の元号のうち、確認できるものはすべて中国の古典が出典元だった。一方、今回政府は、新元号の考案を委託した専門家を、国文学、漢文学、日本史学、東洋史学と明かし、首相の支持基盤でもある保守層からは、初めて日本古典が選ばれることへの期待が出ていた。

〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜


今回の元号は万葉集からの引用ということです。

これまでの日本の元号は全て中国の古典からの出典とされていて、初めて日本の国書からの引用となりました。

万葉集は一般庶民、防人と呼ばれた徴兵による下級兵士、貴族、豪族、皇族、天皇などさまざまな階層の人たちのまさに日本民族、日本国民全体の生々しい肉声と言うべき「想い」が込められています。

成立して間もないとされる大和朝廷の書記から、奈良時代の八世紀までの約350年間の和歌が収められています。

選者は大伴家持らと言われています。

取り出された令和という言葉は選者とされる大伴家持の父大伴旅人が九州太宰府の長官だったおり、梅の花を愛でて和歌を詠んだおり、詞書(ことばがき/前書き)として書かれたものから取り出されています。

当初、私もれいという響きと冷という漢字から冷たい感じを受けまさたが、街の印象では逆に新鮮な響きと爽やかな印象を受けるとして好評のようです。

発表の日が四月一日なのでエイプリル・フールをもじってエイプリル・クールでいきましょうとテレビで言っていた専門家もいました。

クールジャパンのイメージでしょうか?

英語でクールは冷たいという意味ですが、最近はもっとカッコいいとかスマート、おしゃれ、頭が良いとかの意味で使われることが多いようです。

元号も時代区分が変わるだけのラベル札のようなものですが、気分が一新される効果は大きいようですね。

特にこの二百年ほどは天皇崩御の際に新天皇が即位されてそれに伴い、元号が一新となったため、しめやかな厳かな空気の中、自粛ムード一色でしたが生前退位となった今回はお祝いムード一色となりました。

さて、この「令和」の時代の幕開けは日本の大きな変わり目になるのでしょうか?

この令和という時代が始まりました(正式には五月一日から)が、後から振り返ってあそこが、日本の運命の分かれ目だったのかしらと思われる時がきっと来るのではないかと私は密かに思います。

思えば1945年敗戦の年が運命の分かれ道でした。天皇陛下の代替わりもなく同じ昭和の御代でしたが、時代は大きく変わりました。

総じて敗戦をあのような迎えたことは悲惨な戦争の後としてはその後の歩みそれほどの不幸ではなかったのではないでしょうか?

戦後の復興と目覚ましい経済成長、豊かな生活を手にしましたが、昭和の終わりはバブルとともに儚さと喪失を感じました。

そして平成は平和ではありましたが、一方では閉塞感にぶち当たりし、また突破しようとする改革とうまくいかない停滞を繰り返して、曲がり角を迎えました。

これから大きな節目を迎えることでしょう。

戦争、大災害など大きな不幸が訪れることがないように祈念するとともにある程度の覚悟を持って臨む新しい元号の御代ではないかと肚を据え臨む新しい時代だと思います。

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