ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

二代目王様である亨進様を人間的に自分なりに捉えてはならない。

自分の都合の良いことは一生懸命主張するが都合の悪いことは徹底的に隠そうとするのがサタンのやり方といえます。自分の不利益になるものは覆い隠したくなるのが悲しい堕落人間の性(さが)といえます。

特に自分を知的な人間と思っている人物に限ってその知性?を駆使して自分の都合のいい部分を出そうと躍起になります。


家庭連合の幹部の方々はまさに二代目王様である亨様が唯一のそして他に代わりがない無上の存在としての代身者であることを正面から議論せず、代身者、相続者であるからといってなんでもやってよいわけではない、という別の違う話にすり替えてしまいます。

そしてすり替えた話を原理的と言っているのです。原理的と言われるとさももっともらしく正しいかのように聞こえます。わかりやすくするためにたとえ話をします。

神様はアダムとエバに「取って食べるな。」と語られました。すると蛇が言いました。「取って食べるな。と確かに神様は言われましたが、いつまでもそうでしようか?原理的に取って食べるてよい時が来るのではないですか?それが今です。 」と言ったかも知れません。

私達のレベルで言えば、祝福を受けて条件が成立すれば、取って食べることは原理的になります。それは「祝福」という最大のサタンが浸入できない原理的根拠があって取って食べて良くなります。

それでは二代目王様が、真のお父様の相続者、代身者であるのに、いったいいつどのような原理的根拠からその位置から離れることをされたのでしょうか?

家庭連合の言わんとすることは亨進様はお父様から確かに後継者として指名されたが、お母様に従おうとしない。そのことが原理から外れているということになります。また後継者であっても完成したわけではない、未完成であり成長途上なので、間違いもあるし、未熟なのだと言います。

それではお母様はいつ完成したのか明確なものは何もありません。むしろお母様こそ未熟であったという証言もたくさんあります。

お母様と亨進様がどちらが本当に正しいのか、どちらが本当に原理的なのか、じっくりと検証すれば、むしろ無原罪の独生女であるとするお母様がおかしいのは明白です。

「どちらでもよい。お父様と祝福されたのだから、もはや原罪はないのだから」という家庭連合の人もいます。しかし、私達と同じ堕落人間から復帰されたお母様とお父様の種から生まれ、生まれる前から無原罪の二代目王様である亨進様とではどうでしょう?

明白に違います。そして真のお父様はご子女様の中でも唯一傷がない享進様だけであると言われました。享進様が後継者から離れたというのは原理的になんの根拠もありません。


み言葉は素直に受け入れるべきです。そしてその意味を深く考え、吟味して肝に銘じることです。

それは二代目王様が語られるみ言葉も同じです。また、その意を十分汲んだ方(例えば国進様)の言葉もその意味をよく捉えるべきだと思います。「タマル方式」とはと書いたのもその文脈です。

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