すべて捨ててきました。そして今、サンクチュアリーです。
さて、本日急に仕事がなくなったので、さきほどまで社会保険事務所に入り浸っていました。
三時間も担当者が付き合ってくれたので、相当なクレーマーと思われたらしく帰る時は怪訝な視線を何人かの職員からもらいました。
まあなんとか年金ももらえるようにするにはということで、大学にまで担当者がなんども問い合わせをしてくれて、たいへんでした。なぜ、大学に?ということですが、そのことはかなり専門的になるので割愛します。大学からの返事待ちの時間がかなりありました。
早稲田って当時学生運動すごかったでしょう?って聞くからそうですね。過激派の革マル派全盛でしたね。と答えます、私達の世代は東大も安田講堂なんかで大変でしたよ。.,.するとお姉さん?は東大?
それはここでは言えないのよ。飲み屋あたりなら話せるかな?(その手には乗らない、、、)まあこんな会話もありました。
それでなんとか年金が将来もらえる可能性がありました。
いろんな裏技?というかテクニカルな方法を助言していただき感謝でしたね。市役所では数年前に可能性なしといわれてました。それも可能性があるのも今の会社で最近厚生年金付きの正社員にしてくれたからです。
しかし、もらえても最低金額の雀の涙のようですが。
私は早稲田の政経学部の経済科に入学しましたが、親父が三井物産、兄貴が住友商事でしたので、冗談で三菱商事にでも行くのかな?と言っていたら伝道されました。
そしてすぐに実家に連れ戻されて精神病院に連れて行かれました。いろいろあって二、三年後には勘当だということで実家からたたきだされました。札幌でしたが、教会にたどり着いて一晩泊めてもらってお金を借りて東京に戻りました。6年生で退学しました。
その後献身して40歳の時貝塚の教会長をさいごに世の中の様々な仕事を経験して今日に至っていますが、2000万以上の献金をして、1,000万くらいの借金を抱えて子供のお金も使い込んで最後は今年の三月、自己破産に至りました。
今では家も車も私の名義ではありません。
しかし、私の理想というか目標の一人はお父様の大叔父さんの文 潤国先生でした。国を愛して故郷を捨て、家族を捨て、親戚のお金も方便を使って集め、愛国の独立運動に投入された方です。そして流浪の末、極貧の中で客死されました。国を愛するためには家族までも売る!そういう精神に惹かれました。そのような人生にいささかの悔いもありません。親も何度もだまして献金しました。
だからどうなんだということですが、サンクチュアリーにたどり着き、責任者の一人となり、今年二月、娘は日本人の二世では初めてでしょうと江利川会長に言われる二世祝福に与りました。家族全員聖酒を飲み、一応残りの子供たちも祝福をめざしています。
私は本当に不器用な人間でした。もっと上手な生き方はあったでしよう。また私よりももっと凄まじい人生を歩んでこられた方もおられるでしょう。
私がありがたいのはこんな私に子供たちも含めて家族が付いてきてくれたことです。特に普通ではとても信じられない夫を信じて付いてきてくれた妻に感謝します。
私が今とりあえず居られるのは彼女のお陰です。今日はたまたまの休みになってしまったので特別バージョンでお届けしました。それではまた次回に。
旧サイバーサンクチュアリー、現在自由サンクチュアリー連合 会長
自由サンクチュアリー教会(大阪、名古屋)教会長
怪傑黒頭巾こと為貞俊郎(タメサダトシオ)
08080-9128-0703
tamesada.t.0426@ezweb.ne.jp