ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

脱会宣言から一日が経って感じたこと。やり切れない思い。

昨日の脱会宣言から1日が経ちました。思った以上の反響があり、あらためて脱会という行動が結構インパクトのあることを感じました。



しかし、今の気持ちは複雑なものがあります。続いてぞくぞくと脱会してほしいかというと正直に言うと必ずしもそのようには思えません。



脱会などしたくなかったというのが正直なところです。だからと言って後悔しているわけではありません。



幹部方々や食口たちが真剣に祈り、考えて真実に気づいて欲しかった、というやり切れなさ、情けなさがあります。



確かに亨進様はお母様をますます激しく叱責され、 断罪されておられます。それはとても辛いことばです。しかし、私が辛く感じるその数十、数千、数万倍亨進様の方が苦しい厳しい闘いをされてこられたと確信しています。



それに思いが至らない幹部たちの無神経さ、無能さ、いい加減さに呆れます。



お母様は韓家の家系をメシヤの血統を生んだ文家の血統よりも重んじてこられました。私は産まれながらにして胎中から聖別された者でお父様はそうではないとか、神の一人娘(独生女)であり誰からも教育されていない、というお母様のお言葉はあんまりです。



そういう言動に対して幹部の誰からも疑問の声が上がらず、亨進様を嘘つき、親不孝と非難するばかりの幹部たちには本当に失望しました。

お父様が給料をもらって公職をしてはいけないと言われたことがよくわかりました。



しかし、お父様は食口や幹部たちが自らの考えや判断で改革の狼煙をあげて欲しいとお思いであったと思います。亨進様の9月27日の説教の中でお父様とお母様の子供や食口への教育のやり方に大きな違いがあったことを語られていました。



子供や食口たちに自由を与えていくお父様のやり方に合わせるべきでした。それに統一教会の失敗があったと思います。お母様のやり方は幼児や幼い時期なら、良いかもしれませんが、結局ただ従うだけの自らの判断や決断のないつまり頼りにならない今の幹部食口の姿にしてしまいました。



さまざまなブログ村の指摘を待つまでもなく自立できないあっちからこっちに従う相手を変えるくらいにしか考えられないレベルでしかありません。その意味で真剣に考え、祈ることもできない兄弟姉妹が哀れです。



私が愛した教会の食口たちはこんなはずではなかったはずだ、とお父様も嘆かれておられるのではないでしようか?



正直、私も似た思いがあります。したがって脱会などしたくはなかったのです。亨進様、国進様が教会の中枢から去られて、アメリカの片田舎に行かれた時どんなお気持ちだったでしょう?



お母様はすっかり変わられました。お父様にもっとも忠実であられ、もっとも模範的であられたお母様をもはやおられず、自らを神とする恐ろしいばかりのお姿です。それが本当のお姿ではないと思いたいですが仕方ありません。一方が神ならば他方はサタンです。相対立するようなどちらも信ずるのは多神教です。神様は絶対的に一つです。



いずれにせよ新しい出発です。賽は振られました。私の心にやり切れなさはあるとしても微塵も迷いはありません。



私にとって、明日30日は統一教教会、家庭連合から決別する日です。キリスト教が失敗しなければ、統一教会はありませんでした。統一教会が失敗しなければサンクチュアリー教会はありません。苦渋の決断を経て、今の亨進さんがおられます。もはや必然です。

脱会宣言。そしてあらためてごあいさつです。

あらためてごあいさつ申し上げます。この度10月1日付でCyberサンクチュアリー協会の南大阪の責任者(教会長)をお引き受けすることにしました。

まだ集会を開く場所も定まらないサイバー中心?となるようなささやかな出発となりますが、大きな使命と責任を感じてお引き受けすることにしました。みなさまよろしく御指導くださいますようお願い申し上げます。

さてとりあえず今日南大阪のサイバー協会の窓口はこのブログになりますので、コメント欄に関心ある方はご連絡ください。ご連絡先があるものについては非公開としてこちらからメールでごあいさつ申し上げます。

またお問い合わせ頂いたことがらについては出来るだけ誠意をもつてお答えします。もちろんわからないこともあると思いますが、Cyberサンクチュアリー協会を通して亨進様にお伺いします。立場は多少変わりますが、これまで同様に、後継問題の解決を中心に、自由闊達な家庭連合、統一教会の諸問題の真の解決を目指します。またこれと同時に今まで所属していた統一教会、家庭連合を脱会します。次に私の脱会届(宣言)も公開します。これも10月1日付です。



脱会宣言。


私はこれまで40年以上にわたり、統一教会、世界家庭平和統一連合に所属していますが、この10月1日をもって妻と共に当団体を脱会することにしました。


私の信仰のすべてはメシヤである真のお父様、文鮮明師にあります。真のお父様はみ旨しか知らない方です。

その地上での後継者の使命と責任を受けておられるのは、亨進様だけです。それは真のお父様のみことば通りてありますし、また、三度に及ぶ後継者としての戴冠式、さらに亨進のみが後継者であり、それ以外は爆破者という真のお父様の揮毫入り証言の通り文亨進様以外にはありません。

それを覆すいかなるみことばや証拠はありません。


私はこれまでの半年間亨進様からの「沈黙を破って」シリーズのメッセージに対して統一教会、家庭連合側からの真摯な答えを待っていました。

しかし、それはありませんでした。さらに様々な圧力があり、また江利川さんの脱会から、さらに分派として攻撃が盛んとなり、 全く言いがかり的な反論に終始し、本質的な回答は見受けられませんでした。

亨進様は唯一の正統な真のお父様の後継者です。私のプログでも主張しているとおり、この分派論争の結果は明白です。

例えば、六マリアの問題です。そのことを地区長に質すとそんなことを信じているのですか?六マリアを最初に本にして書いたのは誰か知っているのですか?と驚き、呆れたようにお答えでした。あまりに馬鹿にしています。私がその顛末を説明して、六マリアに代表される様々なことがらは事実かそうでないか答えてください、と聞くと黙ったままです。


また亨進様は嘘つきだと断言されるのでよくお聞きすると証拠があると言われるではないですか。その根拠をお聞きして結局アテにもできない証言を信じているだけのことでした。もし間違いないならなぜ自分は知っているではなく公表しないのかと尋ねるとまた沈黙です。


あらゆる答えがあまりに幼稚ではなしになりません。


人格を問題にしているのではありません。私が、徳野会長の言葉をいくら聞いても、亨進様からの具体的指摘に何もまともに答えていないと言うと、自分は徳野会長ではないと自信たっぷりに言われるのであえて少し突っ込んでみましたが、あまりにお粗末です。それがこの組織の実際の姿です。もちろん教区長、教会長とも面接しましたが、言うまでもありません。

どのように対応すべきかちゃんとした訓練を受けていません。

また思想的、また現実的訓練ができていません。


それはともかく、統一教会、家庭連合側は韓オモニを絶対的に信じていくのであれば、それは真のお父様の願いとは違う別の道を歩いているので、一緒にいることはできません。この組織が間違っているとしてももはや内部からの改革は不可能と判断しました。


それは亨進様のメッセージその他様々な証言から韓オモニ自体に大きな過ちが、あったと考えるしかなく、韓オモニを絶対的に信じる根拠があまりにも曖昧曖昧模糊としているので、訣別するほかありません。ただ黙ってサタンにやられる訳にはいきません。


さらに私は10月1日をもってサンチュクアリー南大阪教会の責任者に就任しましたのでお知らせしておきます。


統一教会、家庭連合に残られる方々は充分必要な情報に接してただアベルからの情報だけで判断せず自分でしっかり考えて頂けたらと思います。


以上。

善主権と悪主権が交差する善悪交差の転換点。

これも有名な聖句です。

口語訳 マタ 7:21-23

7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。

7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。



この聖句から訓母ニムのことを考えてしまいます。訓母ニムの功罪ははっきりすることを望みますが、きれいな説明がされるでしょうね。統一教会、平和連合はシックたちに自分達に都合が悪いと、ほんとうのことは隠して綺麗事でなんでも誤魔化そうとします。




「ネットを見るな」と、どんなに教育を受けてもやがて情報は出てきます。その時、嘘をつき、誤魔化し、自己保身のため取り繕ってきたのが誰なのかはっきりすることでしょう。訓母ニムも金マノさんも中枢から離れて、入れ替わり立ち替わり、権力の闘いは続き、真実は隠されていきます。



今回の常総市の洪水は暗示的です。ちょろちょろと堤防の隙間から川の水が漏れ出して市役所に連絡するが対応していませんでした(できなかった?)。蟻の一穴から川が氾濫して、堤防が決壊して、多くの人が流されました。ネット情報の流出は洪水となって多くの食口たちをおし流していくでしょう。どれほどの混乱が起こるでしょうか?



それは見たくもありませんが、予想することもできないほど息の詰まる思いです。しかし、時が来れば、そうなるでしょう。それはもう間近でしょう。抜本的対策を講じなかった人たちの罪は問われます。




それは亨進様の説教をきちんと理解しようとしなかった人たちです。自分の立場に固執して謙虚にその警告に耳を傾けてこなかった人たちの責任です。上の聖句では「不法を働く者ども」となるでしょう。



なぜなら、彼らはサンクチュアリー教会や、亨進様から食口たちを遠ざけるために、亨進様を親不孝、嘘つき、と罵り、結局は真実を隠し、真のお父様から食口たちを引き離します。そして結局のところ、その責任のすべてをお母様に押し付けるのです。


さらにはその結果、お父様が、サタンの進入を防ぐ防波堤としてきた、真の家庭、摂理的基盤、統一グループ、平和連合が決壊して、サタンが進入し、韓日が割かれ、韓半島は中国に飲み込まれ大混乱に陥る可能性が高くなりつつあります。




このような「不法を働く者」の態度やこの状況を理解することに原理講論の終末論第五節(二)〜終末に際して我々のとるべき態度〜が少し長いですが、参考になります。

引用始めー

(前略) 終末においては国と国とが敵対し、民族と民族が相争い、家族たちが互いに闘いあうであろう。(マタイ二四-4〜9)と聖書に記録されているとおり、あらゆる悲惨な現象が実際に現れるに違いない。

終末において、このような惨状が起こるのは、悪主権を清算して善主権を立てようとすれば、どうしても起こらざるをえない必然的な現象であるからで、神はこのような惨状の中で、新しい時代をつくるために、善主権の中心を必ず立てられるのである。(中略)

それゆえに、このような歴史的な転換期において、神が願うところの新しい歴史の賛同者となるためには、神が立てられた新しい歴史の中心がどこにあるかということを、探し出さなければならないのである。

このような新しい時代の摂理は、古い時代を完全に清算した基台の上で始まるのではなく、古い時代の終末期の環境の中で芽生えて成長するのであるから、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる。

したがって、この摂理は古い時代の因習に陥っている人々にはなかなか納得ができないのである。(中略)

新しい摂理の中心として来られたイエスは、旧約律法主義者にとっては、理解することのできない異端者の姿をもってあらわれたので、ついにユダヤ人たちの排斥を受けて殺害されてしまったのである。ー引用終わり。



聖和三周年を迎えるにあたって、93日路程の当初は三周年を過ぎれば、つまり8月30日を迎えれば、われわれに大きな恵みがあるとほのめかした牧会者であったが、逆に統一グループや世界に善悪分立の審判が下ってくるでしょう。



その理由は上に示した新しい時代の摂理がいよいよ始まるからです。引用の最後の一文をとってわかりやすく見てみましょう。

イエス→亨進様、

旧約律法主義者→お母様絶対主義者(幹部たち)

ユダヤ人→食口たち、

殺害→分派の首謀者に、


と置き換えてみると次のようになります。


新しい摂理の中心として来られた亨進様は、お母様絶対主義者(幹部たち)にとっては、理解することのできない異端者の姿をもってあらわれたので、ついに食口たちの排斥を受けて分派の首謀者にされてしまったのである。


イエスが不道徳者、旧約の律法を廃する者、自らをイスラエルの王とし、大衆を扇動するものとして最後は十字架で磔にされたように亨進様も似た運命を辿るようになります。



しかし、決定的に違うところがあります。すべての勝利をされた万王の王であられる真のお父様の後継者であり、その代身者であり、その方がともにおられることです。三代王権がともにあり、お父様のすべての勝利を相続されておられるからです。



私たちは正に歴史的転換点に立っています。分派問題として小さな次元に矮小化してはなりません。後継者に関するお父様のみことばを軽視すべきではありません。


談判祈祷をして判断するなどそのようことにエネルギーを使う必要がないというある幹部のことばは自己保身の為には役立たない、何の意味もない、と言うように聞こえます。


そのような姿勢に終始するばかりで、結局、永遠の生命に傷をつけていいでしょうか?多くの人々を地獄に追いやっていいでしょうか?不法を働く者どもになるかもしれませんし、世界を混乱に導いて、国の運命を危機に陥れていく者の仲間でよいのでしょうか?


悔い改めて、謙虚にお父様の後継とされた方の言葉を謙虚に、私心や先入観、を捨てて聞いてみるべきでしょう。ましてや分派、親不孝、未完成期の間違い、未熟といったレッテル貼りはやめるべきです。


さあ、歴史の転換期でどう見届け、どう判断し、どう行動するか、その主役は私たち自身です。