ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

分裂はサタンの思うつぼ?家庭連合の霊的、知的怠慢。

家庭連合にとどまっている方々からのよく聞く意見に次のようなものがあります。

「お母様と御子女様が親子喧嘩をしていて、それがあまりにひどいので、どちらにもつきたくない。でも自分も親なので子供が親に反逆しているのは良くないだろうと思う。」

男性からはどっちもどっちという意見も多く、女性からは私も母親だからお母様の気持ちが分かる、という話も聞きます。

「分裂させるのがサタンのやり方。力をあわせるのが神様のやり方」といった単純な言葉も耳にします。

いずれにせよ知的なレべルに問題があります。「平和、平和」とさけんでいれば平和勢力であり、平和が実現すると考える左翼にやられるヒューマニスト(人道主義者)に似ています。彼らの運命は最終的には左翼全体主義にやられてしまいます。

平和な世界を実現するためには様々な手段や努力が必要なことを理解しようとしない面があります。

要は臭い物に蓋をする都合の悪いことを考えようとしない知的に怠慢な姿勢です。そのような知的な怠慢は信仰生活にとっても大きな障害となります。

たとえば、自己否定やサタン分立といったみ言葉を知らず知らず、誤って用いて自分自身や他人の神様が愛している、愛してきたことまでも否定してしまい、自己主管に失敗して、かえってサタン侵入を許してしまう方々も多いのです。

家庭連合はそれを利用してきました。誰かに判断を委ねることで自己再創造の能力を失う愚を冒すべきではありません。

特にリーダーを目指す人はそのことをよく自覚して苦しくても、祈り、本心が現れることを求めて、もがきながら、葛藤する信仰生活をすべきです。

サタンに打ち勝って全てに勝利されたのは真のお父様のみであり、地上の代身者は二代目王様です。

祈りによって真のお父様と通じることは可能です。そのようにしてサンクュアリに来た食口は多いし、今もそうです。

そして自分もそうならば、そのようにしてサンクュアリにきている兄弟姉妹もまた尊いのです。お父様の愛を実感する関係性を兄弟姉妹の間にも築くことが大切でしょう。 本心を常に研ぎ澄ませてサタンの侵入を許さず、また導きたい方の本心を呼び起こしてあげましょう。

私達は自己を主管し、再創造していかねばなりません。それは避けて通ることのできないまず最初の産みの苦しみです。

家庭連合はいつ崩壊するの?どうして導いてあげたらいいの?

突然ですが、家内から質問がありました。

「家庭連合はいつ崩壊するのか?」

私:「今年は無理だな。来年の御聖誕日までの目標が新たに4300双だから達成したとしても計7300双で約2万5千人くらい。日本は半分以上やるとして4000双の1万4千人くらいかな。それぐらいになったら家庭連合はぐらぐらしだす。傾きだしたら実質崩壊は早いと思う。まあ.あと大雑把に二年くらいかなと思うんだけど。」


家内:「たしかなの?」

私: 「相手も必死で頑張るだろうし、もちろんこちらの5%もあるからね。遠くない将来崩壊するのは間違いないが、確定的にいつまでと言うわけにはいかないでしょ。」

家内: 「そうか。家庭連合の人たちをサンクュアリに導いてあげたいけどどのようにしたらよいかな?」

私: 「家庭連合の人たちもお父様から祝福された、或いは祝福の対象だから、お父様と子供達だから、みんな兄弟姉妹になるよね。だから、一人一人ひとつひとつの家庭をお父様は訪ねたい!会って抱きしめたい!でもサタンが邪魔をしている。そこで私達の方でサタン分立の条件が必要なわけで信仰基台、実体基台、メシアを迎える基台が必要。

たとえば、祈りや訓読の精誠。それから授受作用。

水は高いところから低いところに流れます。

たとえば家庭的な四位基台をつくって愛の授受作用が強く高くなればサタン側が鉄壁の防護をしていてもその隙間から愛による情報が流れます。

逆に自分たちの間の授受が弱かったり、サタン侵入の隙があれば私達の方が崩されます。

家庭連合とサンクュアリで夫婦で意見が違って家庭が戦いの場であれば、サンクュアリ人同士のコミュニケーション、授受作用が大事ななるわけです。」

家内: 「なるほど。そういうことをみんなに伝えてあげてね。」

私: 「うまく伝えられるといいけどね。」

というわけで今日はこのような話になりました。

ケンカしてもサタンとの戦いは勝利しましょう。

今更ながらですが、わたしたちは信仰生活のほとんどを統一教会、今の家庭連合で送ってきました。そこで意識して或いは無意識に身につけた感性やら感じ方があり、すぐにはサンクュアリ、二代目王様のみ言葉とすぐには消化できないところもあるようです。

たとえば、ケンカもしていいのですと言われるとえ〜〜っと思います。そういえばご子女様達は幼い頃からよくケンカをしたり殴ったり殴られたりする話しが結構ありました。

躓くこともあるだろうとおもいますが、それはありのままの現実です。なぜそのようなのでしょうか?

そのことの理由の一つはサタンとの戦いにさらされる立場での訓練と見ることができます。

サタンとの戦いは観念的なものではなく、隙あれば即侵入しようとする霊的存在であるサタン勢力との戦いはいつからでしょうか?

幼い頃から訓練を受けて次第に本格化するその戦いに備えなければならなかったと思います。

その戦いの肉体的先端こそ総合格闘技と言えるでしょう。相手に一瞬の隙あれば相手を秒殺し、逆に自分に一瞬の隙を見せれば、秒殺されます。そのような戦いに私達もまた無縁ではありません。

私達3000双はサタンとの戦いの最前線から復帰されまた、これから家庭連合の数万、数十万の人々を救うための初穂であり、霊的戦いの先陣をきる尖兵でなければなりません。

もちろんそれは中央集権的全体主義、集団的ではなく、個人では心と体、或いは祈り、み言葉、ために生きる生活、などであり家庭では伴侶や子供に尽くし、よく授受して良き家庭を作り、ともに歩めるように、家庭を天国基地とすることができるように信仰的戦いをすることが基本です。

特に夫や妻が家庭連合にとどまっておられる方は深刻だおお思うのです。家庭連合のときの既成家庭のご主人復帰以上の大変な霊的、実体的実践の戦いの場であ流と言えるでしょう。

国進様からの助け船としてタマル方式と呼ばれる祝福がありましたが、タマルのような「血統に対する命懸け」の信仰がなければなりません。単に形式的な便宜主義的手段にとどまっては霊的活力を失います。

そのようなみ言葉に沿った本質的戦いを家庭連合ではやりきれませんでした。そのような曖昧さが霊的にボケてサタンの侵入を結果的に許してしまいました。

ケンカと見えても(ケンカするのがいいとばかりも言えませんが)真剣に向き合い自然屈服の戦いを粘り強く、執念を持ってまた確信と信念と何よりも全てを勝利された真のお父様とともに乗り越えて勝利をつかむことが大切です。

そのような勝利のためにはサンクュアリ人との授受作用が重要です。信仰の友、信仰のアドバイスを受けられるひとを持ちましょう。