ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

李 妍雅様は真の母の後継者であり、聖霊の実体です。

非常に残念なことに真のお母様は真のお母様としての権限を失っておられます。その後継者であるのは李妍雅ニムであり、聖霊実体としての使命を果たしておられます。このようなことは既に亨進様が話されておられますが、私が自分自身の体験として実感しております。もちろん亨進様のお話がなければ、よくわからなかったでしょうし、そのような実感も持てなかったでしょう。




しかし、今はそのことが明確に分かるようになりました。正直言ってお母様にある程度同 情しているところがあり、理解できるなあと思いました。それは、亨進様がまだ幼いころに、泣いておられるお母様に駆け寄り、お父様はひどすぎますと一緒に泣かれたようにお母様の苦労に限りなく同情してしまう面があったのだろうと思います。




しかし、亨進様はお父様がメシヤであることを疑いもなく確信されるようになりました。幼いころはお父様が本当にメシヤなのかと信じていなかったと振り返っておられます。そのことがどれほどお父様の心の痛みとなっていたか、と自分は罪人であったと激しく悔い改めておられるのです。私は幼いころのご子女様方がお父様をメシヤ、と信じていなかったのは当然過ぎるくらい当然であったと思います。それほどお父様の家庭のご事情はあまりにも悲惨でした。




そのことは今回触れませんが、その事情を乗り越えてお父様をメシヤ、と確信されるようになられたことが大変な勝利であると思います。もちろんお父様の真の愛に触れ、その価値を悟られ、またご自身の血統がどれほどの犠牲の末のものか、その貴重さをご理解されていかれたのでしょう。そしてお母様の苦難のご路程を身近で知り抜いてご父母様の価値の偉大さを誰よりも深くご存じでおられます。




同じような試練が我々になかったそれだけでもどれほど感謝でしょうか?サタンの全てに打ち勝たれたと思います。お母様は最後の最後でサタンは誘惑を退けることができませんでした。そのことで一番深く心痛めておられるのは真のお父様であり、そして亨進様です。



あのアブラハムが鳩を裂かず、供え物の献祭に失敗したようにもはや三代にわたって延長せざるを得なくなりました。ヨナニムはその使命を継承し信俊ニムを支えてお父様、亨進様、の後継者として見守り育てられます。お母様が14人のご子女様を産み育てられることが最大の使命であられたように。


メシヤの使命の継承者はお父様の決められた、血統的正統な亨進様が相続されました。お母様は真の母としての使命的位置を離れしまわれ、聖霊の実体ではないのです。



そして、このところ平和連合、統一教会から脱会してサンクチュアリィ教会に移ったことが話題となっています。そして脱会した方々が口々に気分が良い、晴々と、生き生きと証ししています。それは悪い環境から開放された、とかあるいは悪い夫と離婚した妻の清々とした気持ちと取られるかもしれませんが、そういうことではありません。聖霊の働かないところから、聖霊の役事を受けられるところに来たことによるものです。サムライ、というだけでは悲愴感が漂いますよね。



亨進様、妍雅様に感謝を捧げましょう。

第ニ代王様、亨進様の王冠。

プログ村のみなさん!亨進様の王冠を被る戴冠の儀式をご覧になられていかがだったでしょうか?王様のましてや王の王の戴冠ともなるとマイナスのイメージがあるかもしれません。権威ぶった姿に見えたり、やたら権力を持ちそうな姿に見えたり、豪華な暮らしを欲したいそうな感じでしょうか。



しかし、考えてみればイエス様イスラエルの

王の王としてこられました。十字架にかかられたので仕方なくその座を奪われました。再臨主が地上でそれを実現しなければならないのですが、お父様もその勝利権は持たれましたが、実体としてはなされておられません。ですから、その後継者が王の王にならねばなりませんし、また王の王は勝利した後も継承していかねばなりません。


亨進様は権威ぶった王様とは程遠いお人柄であることはよく知られたことです。むしろ王様という位置や意識はお嫌いだとお思います。今回の聖和三周年のサンクチュアリィ教会での式典での戴冠も当初は嫌がっておられたのですが、兄の国進様に諭されて、王冠を受けられ王衣を着られました。


国進様はカインの中のカインの道を完全に勝利されてこられました。真のお父様が亨進様を後継者として認定して祝福して愛されるのを見られて、自分が愛されていると実感して泣かれたのです。サタンはどれほど悔しく思っているでしょうか?



王のマイナスのイメージは亨進様のお姿とは被りません。むしろそのイメージは現在の教会、天正宮にあります。立派な王宮や建物、高級車、きらびやかな演出、権威ばった姿に、権力志向、さらにはお追徴、媚び、へつらい過度な持ち上げ、そのようなものが充満しています。それらは人間の芯である性根を腐らせ、意識を惑わせ、判断を狂わせます。



国進様は本性と真理で弟に屈服する道を選択されました。誰にも屈服することのない国進様でしたが、弟の亨進様には心から完全に屈服され、それはお父様が祝福される前からそうでなのです。そして全身全霊で弟を支え、勝利させようとされておられます。そのことをお母様も祝福されるべきでしたが。


王様は愛の王様です。権威や権力のそれではなく、お父様の愛の勝利に満たされた王様の愛の園です。お父様の愛を取り囲み、自己の意識もなく愛に酔い、歌い踊ります。そしてお父様が祝福してその愛の勝利の権限を後継者である亨進様に譲られたのです。その愛の権限を与え、お受けする儀式が王冠の戴冠式でした。



私達はお父様が私達全てに

亨進様を後継者としてお与えくださったことに心から感謝申し上げます。

亨進様にハレルヤ。真のお父様に永遠の億万歳を捧げます。

お父様は今...どうしておられるのか?

さて私は現在、亨進様の立場、つまりお父様の唯一の正統後継者の立場を支持しています。その経緯をある程度紹介しながら、皆様のご判断の参考にしていただけたらと思います。



私は第二次7年路程の最終1974年12月に復帰されました。7日修練会に出て、この道に行こうと思っていました。もともとカトリックの幼児洗礼を受けて小学校3年くらいまでは教会に通っていました。引っ越しがあってから行かなくなりましたが、イエスの再臨を原理講義の初回に聞いてそれは大変と3日修練会に参加してイエスの十字架の場面がまるで目の前に繰り広げているかのように感じてみ言葉を学び始めました。


7日修練会の直後、大先生とお会いできるということで有楽町の日劇に教会単位で行きましたが、その途中、空を見上げるとイエス様に出会いました。イエス様は空中に引き上げられて神様の右側の席に座って行かれました。やがて神様の左側の席に移られて空いた右側の席に文先生が座って行かれるのを見たのです。イエス様は自分以上のメシヤとしてお父様に席を譲られたのです。



こうして私は統一教会の人になっていきました。今年2月、お母様が正しいのか、亨進様が正しいのか、入教の時以上に真剣に悩み、祈りました。私の深刻な問いかけについにお父様が答えられました。その言葉はあまりにも驚愕する内容で、腰を抜かす思いでした。衝撃的なのでいつかご紹介しましょう。



勝利してこられた真のお母様が堕落するなどあり得ないという葛藤は当然でしたが、慚愧に堪えないことですが、そのようなお立場であることを認めざるを得ませんでした。もちろん「独生女」といった言動が最終的証拠と考えました。そしてサンクチュアリィ人になったひとのかなりの方が神様やお父様との霊的出会いから導かれたようですが、統一教会の現在の幹部達はそのような霊的出会いに対して否定的です。分派する霊的集団はサタン的としてそのようなものとして警告します。



しかし、初期の統一教会ですらそうだったのに、根拠のない反論です。自己保身や組織維持のために躍起になって、真摯に真実を追求する姿勢に欠けていると言わざるを得ません。盲目的に組織の指示に従い、結論を先にして、お父様との霊的導きを前面に出すことを嫌います。


お父様が何処におられるのか、真剣に求めないことは、お父様を無視し、その存在を否定しているのと同じです。その信仰が狂っていると言わざるを得ません。お父様は生きて働いておられるのです。


このプログの記事をこうして書くことが苦痛な時もありますがお父様が書けと言われるのです。何を書いたらいいですかと1時間、2時間と過ぎていくこともここ数日毎回です。神様とお父様は渾然一体としているのと同じようにお母様がお父様とひとつであれば何の問題もありませんでした。そうであればご子女様がお母様から離れていくことはなかったでしょう。



お父様をこれ以上苦しめないでください。というのが霊界の叫びです。皆様、よく考えてみてください。そしてよく祈ってください。よく祈らなければ永遠の悔いが残るかもしれません。そう時間が残されているわけではありません。



昨日触れたように韓国や日本、世界の現状は待ってはくれないのです。