ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

脱会宣言。そしてあらためてごあいさつです。

あらためてごあいさつ申し上げます。この度10月1日付でCyberサンクチュアリー協会の南大阪の責任者(教会長)をお引き受けすることにしました。

まだ集会を開く場所も定まらないサイバー中心?となるようなささやかな出発となりますが、大きな使命と責任を感じてお引き受けすることにしました。みなさまよろしく御指導くださいますようお願い申し上げます。

さてとりあえず今日南大阪のサイバー協会の窓口はこのブログになりますので、コメント欄に関心ある方はご連絡ください。ご連絡先があるものについては非公開としてこちらからメールでごあいさつ申し上げます。

またお問い合わせ頂いたことがらについては出来るだけ誠意をもつてお答えします。もちろんわからないこともあると思いますが、Cyberサンクチュアリー協会を通して亨進様にお伺いします。立場は多少変わりますが、これまで同様に、後継問題の解決を中心に、自由闊達な家庭連合、統一教会の諸問題の真の解決を目指します。またこれと同時に今まで所属していた統一教会、家庭連合を脱会します。次に私の脱会届(宣言)も公開します。これも10月1日付です。



脱会宣言。


私はこれまで40年以上にわたり、統一教会、世界家庭平和統一連合に所属していますが、この10月1日をもって妻と共に当団体を脱会することにしました。


私の信仰のすべてはメシヤである真のお父様、文鮮明師にあります。真のお父様はみ旨しか知らない方です。

その地上での後継者の使命と責任を受けておられるのは、亨進様だけです。それは真のお父様のみことば通りてありますし、また、三度に及ぶ後継者としての戴冠式、さらに亨進のみが後継者であり、それ以外は爆破者という真のお父様の揮毫入り証言の通り文亨進様以外にはありません。

それを覆すいかなるみことばや証拠はありません。


私はこれまでの半年間亨進様からの「沈黙を破って」シリーズのメッセージに対して統一教会、家庭連合側からの真摯な答えを待っていました。

しかし、それはありませんでした。さらに様々な圧力があり、また江利川さんの脱会から、さらに分派として攻撃が盛んとなり、 全く言いがかり的な反論に終始し、本質的な回答は見受けられませんでした。

亨進様は唯一の正統な真のお父様の後継者です。私のプログでも主張しているとおり、この分派論争の結果は明白です。

例えば、六マリアの問題です。そのことを地区長に質すとそんなことを信じているのですか?六マリアを最初に本にして書いたのは誰か知っているのですか?と驚き、呆れたようにお答えでした。あまりに馬鹿にしています。私がその顛末を説明して、六マリアに代表される様々なことがらは事実かそうでないか答えてください、と聞くと黙ったままです。


また亨進様は嘘つきだと断言されるのでよくお聞きすると証拠があると言われるではないですか。その根拠をお聞きして結局アテにもできない証言を信じているだけのことでした。もし間違いないならなぜ自分は知っているではなく公表しないのかと尋ねるとまた沈黙です。


あらゆる答えがあまりに幼稚ではなしになりません。


人格を問題にしているのではありません。私が、徳野会長の言葉をいくら聞いても、亨進様からの具体的指摘に何もまともに答えていないと言うと、自分は徳野会長ではないと自信たっぷりに言われるのであえて少し突っ込んでみましたが、あまりにお粗末です。それがこの組織の実際の姿です。もちろん教区長、教会長とも面接しましたが、言うまでもありません。

どのように対応すべきかちゃんとした訓練を受けていません。

また思想的、また現実的訓練ができていません。


それはともかく、統一教会、家庭連合側は韓オモニを絶対的に信じていくのであれば、それは真のお父様の願いとは違う別の道を歩いているので、一緒にいることはできません。この組織が間違っているとしてももはや内部からの改革は不可能と判断しました。


それは亨進様のメッセージその他様々な証言から韓オモニ自体に大きな過ちが、あったと考えるしかなく、韓オモニを絶対的に信じる根拠があまりにも曖昧曖昧模糊としているので、訣別するほかありません。ただ黙ってサタンにやられる訳にはいきません。


さらに私は10月1日をもってサンチュクアリー南大阪教会の責任者に就任しましたのでお知らせしておきます。


統一教会、家庭連合に残られる方々は充分必要な情報に接してただアベルからの情報だけで判断せず自分でしっかり考えて頂けたらと思います。


以上。

善主権と悪主権が交差する善悪交差の転換点。

これも有名な聖句です。

口語訳 マタ 7:21-23

7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

7:22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。

7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。



この聖句から訓母ニムのことを考えてしまいます。訓母ニムの功罪ははっきりすることを望みますが、きれいな説明がされるでしょうね。統一教会、平和連合はシックたちに自分達に都合が悪いと、ほんとうのことは隠して綺麗事でなんでも誤魔化そうとします。




「ネットを見るな」と、どんなに教育を受けてもやがて情報は出てきます。その時、嘘をつき、誤魔化し、自己保身のため取り繕ってきたのが誰なのかはっきりすることでしょう。訓母ニムも金マノさんも中枢から離れて、入れ替わり立ち替わり、権力の闘いは続き、真実は隠されていきます。



今回の常総市の洪水は暗示的です。ちょろちょろと堤防の隙間から川の水が漏れ出して市役所に連絡するが対応していませんでした(できなかった?)。蟻の一穴から川が氾濫して、堤防が決壊して、多くの人が流されました。ネット情報の流出は洪水となって多くの食口たちをおし流していくでしょう。どれほどの混乱が起こるでしょうか?



それは見たくもありませんが、予想することもできないほど息の詰まる思いです。しかし、時が来れば、そうなるでしょう。それはもう間近でしょう。抜本的対策を講じなかった人たちの罪は問われます。




それは亨進様の説教をきちんと理解しようとしなかった人たちです。自分の立場に固執して謙虚にその警告に耳を傾けてこなかった人たちの責任です。上の聖句では「不法を働く者ども」となるでしょう。



なぜなら、彼らはサンクチュアリー教会や、亨進様から食口たちを遠ざけるために、亨進様を親不孝、嘘つき、と罵り、結局は真実を隠し、真のお父様から食口たちを引き離します。そして結局のところ、その責任のすべてをお母様に押し付けるのです。


さらにはその結果、お父様が、サタンの進入を防ぐ防波堤としてきた、真の家庭、摂理的基盤、統一グループ、平和連合が決壊して、サタンが進入し、韓日が割かれ、韓半島は中国に飲み込まれ大混乱に陥る可能性が高くなりつつあります。




このような「不法を働く者」の態度やこの状況を理解することに原理講論の終末論第五節(二)〜終末に際して我々のとるべき態度〜が少し長いですが、参考になります。

引用始めー

(前略) 終末においては国と国とが敵対し、民族と民族が相争い、家族たちが互いに闘いあうであろう。(マタイ二四-4〜9)と聖書に記録されているとおり、あらゆる悲惨な現象が実際に現れるに違いない。

終末において、このような惨状が起こるのは、悪主権を清算して善主権を立てようとすれば、どうしても起こらざるをえない必然的な現象であるからで、神はこのような惨状の中で、新しい時代をつくるために、善主権の中心を必ず立てられるのである。(中略)

それゆえに、このような歴史的な転換期において、神が願うところの新しい歴史の賛同者となるためには、神が立てられた新しい歴史の中心がどこにあるかということを、探し出さなければならないのである。

このような新しい時代の摂理は、古い時代を完全に清算した基台の上で始まるのではなく、古い時代の終末期の環境の中で芽生えて成長するのであるから、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる。

したがって、この摂理は古い時代の因習に陥っている人々にはなかなか納得ができないのである。(中略)

新しい摂理の中心として来られたイエスは、旧約律法主義者にとっては、理解することのできない異端者の姿をもってあらわれたので、ついにユダヤ人たちの排斥を受けて殺害されてしまったのである。ー引用終わり。



聖和三周年を迎えるにあたって、93日路程の当初は三周年を過ぎれば、つまり8月30日を迎えれば、われわれに大きな恵みがあるとほのめかした牧会者であったが、逆に統一グループや世界に善悪分立の審判が下ってくるでしょう。



その理由は上に示した新しい時代の摂理がいよいよ始まるからです。引用の最後の一文をとってわかりやすく見てみましょう。

イエス→亨進様、

旧約律法主義者→お母様絶対主義者(幹部たち)

ユダヤ人→食口たち、

殺害→分派の首謀者に、


と置き換えてみると次のようになります。


新しい摂理の中心として来られた亨進様は、お母様絶対主義者(幹部たち)にとっては、理解することのできない異端者の姿をもってあらわれたので、ついに食口たちの排斥を受けて分派の首謀者にされてしまったのである。


イエスが不道徳者、旧約の律法を廃する者、自らをイスラエルの王とし、大衆を扇動するものとして最後は十字架で磔にされたように亨進様も似た運命を辿るようになります。



しかし、決定的に違うところがあります。すべての勝利をされた万王の王であられる真のお父様の後継者であり、その代身者であり、その方がともにおられることです。三代王権がともにあり、お父様のすべての勝利を相続されておられるからです。



私たちは正に歴史的転換点に立っています。分派問題として小さな次元に矮小化してはなりません。後継者に関するお父様のみことばを軽視すべきではありません。


談判祈祷をして判断するなどそのようことにエネルギーを使う必要がないというある幹部のことばは自己保身の為には役立たない、何の意味もない、と言うように聞こえます。


そのような姿勢に終始するばかりで、結局、永遠の生命に傷をつけていいでしょうか?多くの人々を地獄に追いやっていいでしょうか?不法を働く者どもになるかもしれませんし、世界を混乱に導いて、国の運命を危機に陥れていく者の仲間でよいのでしょうか?


悔い改めて、謙虚にお父様の後継とされた方の言葉を謙虚に、私心や先入観、を捨てて聞いてみるべきでしょう。ましてや分派、親不孝、未完成期の間違い、未熟といったレッテル貼りはやめるべきです。


さあ、歴史の転換期でどう見届け、どう判断し、どう行動するか、その主役は私たち自身です。

狭き門か広い門か、この際考えてみましょう。

神様大好き!さんの記事を読んでみると明らかに私の「狭き門より入れ!、信じて滅びよ!」の記事の内容を批判しておられるようです。今日はそのことの感想を述べてみたいと思います。



もとより自由闊達な意見は大歓迎で、なるほどとうなづきながら、楽しく読ませていただきました。自由闊達な議論がよいこともそうですが、確かにサンクチュアリーのほうが楽で広い門かもしれないと思ったことも事実で、そのことに気づいたことも嬉しい一面があります。



つまり狭き門というのは、好んで狭き門であるのではなく、本人にとってそれが非常に困難に思える環境であっても行かねばならないことを言ったまでです。



確かに統一教会、平和連合に留まることも「狭き門」かもしれません。いつまで高額エンドレス献金は続くのでしょう?摂理献金と称して組織維持の為、しかも大部分は内部の人件費や幹部の贅沢な報酬に使われているでしょう?反論があればキチッと反論すべきです。徳野会長もそのような疑問に答えられないのです。



というより、いつまで狭き門を強いるのでしようか? シックからどこまで絞りとれば、「門を広く」してていただけるのですか?今、そしてこれから喜んで感謝して献金するひとがどれくらいいるのでしょう?



ちなみに私は自慢ではありませんが、摂理献金を2000万以上して(別に額が問題ではありませんが)家も車も自分の名義から離れ、自己破産??状態です。別に献金のせいだとは思ってませんが、そうだという人もいるでしょう。




私は別になんとも思っていませんが、そんなことは問題ではありません。み旨のためならばどんな立場でもOK、です。




お父様の願いに応えようとしてきたのであって、なんの悔いもありません。しかし、お母様が、お父様の願いから離れ、サタンと取引してその利益のためにそのようにするのであれば、献金は断りますし、また誰でもそうすべきでしょう。



私は論戦を好むところがあります。白黒の論点を明確にしたいからです。神様の願いが何かを伝えようとしているだけです。サンクチュアリーの道が広く見えますか?もしそうなら沢山の人が来るかもしれません。



しかし、私の知る限り、いまの高額エンドレス献金がおかしいと思っている人は多いと思いますが、その理由だけで来る人はいません。亨進様の考えにすべて委ねて自分でも真剣に考えたり、祈ったりせずに来た人も私の知る限りいません。なかにそういう人もおられるかもしれませんが。



しかし、お母様を絶対的に信じて、ブログ村での議論など見ることもなく、自分の頭で考えもせず、すべてアベルに委ねている、統一教会、平和連合の皆さんの方が圧倒的に多いのではないですか?



狭き門はしかたないからですね。それでも行かなければならないのでしたら、行くべきですし、滅びの道でしたら、狭くとも広くとも行くべきではないでしょう。自分を滅ぼしたとしても、その道が本当に神様の願いの道かどうか神様に尋ねてみましょう。



楽な道そうだからサンクチュアリーに行く人が多くなるかどうかはわかりませんが、あまり深刻に考えず、自分の本心の働く神様を信じて、サンクチュアリーを選んでくださることは大歓迎です。あるいは気軽に接して頂いて、考えるきっかけにして下さい。



確かに外部伝道を統一教会に依存しているのは課題です。ただ、今の現状では少し難しいかなと思います。せめて教会としてのつどいの場も必要です。ただこれからどんどん証が出てくるでしょう。熊本のように。新しい生命がどんどん誕生します。



神様がどちらにおられるかやがてわかります。神様大好き!さんアベルが間違えても、たとえお母様に過ちがあったとしても、神様大好きを続けてください。ひょっとしたら、万が一にでもそういうこともあるかも、と一度考えてみてください。そのように考えてみることは「広い門」でしょうか?



今は食口にとってルターの宗教改革が起きた時以上の信仰的、思想的大混乱期になると考えますが、その厳しさ、辛さを噛み締めています。