ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

自分の十字架とサンクチュアリー教会。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコの福音書8:34)

「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』」(ルカの福音書9:23)


有名な聖句です。


今までの家庭連合から新しいところ、例えば、サンクチュアリー教会に移ったとしても、素晴らしい役事を受けられるかもしれませんがそうでもないかもしれません。プログのどなたかがおっしゃっているように、自分自身にとってもあるいは組織ができてきて組織全体にとっても同じことの繰り返しということも充分あり得ます。


同じ課題がついて回ることは間違いありません。その事を深く自覚する必要があります。

例えば、妍雅ニムはもし自分が最後のお母様の失敗を繰り返すようであったら、つまり自分を先立てて夫をないがしろにするようであれば、私に石を投げて打ち殺してください。と言われました。私はよくわかっているのだから同じことはしません。というふうにはおっしゃっておられません。なんと激しい言葉でしょうか?



私達はそれくらい大変な課題を背負っています。あっちからこっちに(所属)が変わったから今日から全てが変わっていくんだと、そう簡単にはいかないでしよう。私達自身の決意、覚悟がいります。例えば、私や共にいる人がサンチュクアリーのことをぶつけて面談をした牧会者の方々に私は痛烈な批判をしできました。


しかし、それはたまたま私が牧会者という立場に今いないだけで、もし自分が今その立場にいれば同じようにしていたのではないか?と常に思っています。つまり、私の自覚は、その人たちと自分にはそれほどの差はないと思っています。


だからこそ相手の考えや感じ方がわかるし、それはもう一人の自分との熾烈な闘いでもあります。私が家庭連合の問題点がわかればわかるほどそれは自分自身の課題であり、つまり自分の十字架です。


そんなことまで、背負うのは無理だとお考えの方ももちろん多いと思います。それはそうです。しかし、自分の堕落性はやはり、自分の十字架です。神氏族メシヤをしようとする時、自分の家庭や自分の氏族の課題は自分の十字架でしょう?


それらの課題は全く変わりません。むしろ本当の闘いはこれからです。なぜなら、勝利してこなかった課題を今こそ順序はあるでしょうが、解決する時が来たからです。国進様が勝利してくださいました。カインとしての完全な勝利をしてくださったのです。


幹部の方々が、今まで中心者と言われた方々が失敗した?とすれば同じことが繰り返されるだけだろう、とかやっぱり失敗するんじゃないか?とか本当にこっちは大丈夫なのか?という疑問は当然でしょう。しかし、国進様が勝利しました。


ですから、国進様ご夫妻が今回、亨進様ご夫妻に王冠を被せ、王服を着せた時、聖霊が働き、涙がその場を覆いました。妍雅ニムの証しのように神様と真のお父様が国進様ご夫妻の手を通してされたのです。この話を今朝妻にすると涙を流していました。



私たちはこれから、安心して国進様ご夫妻に敬礼することができます。裏切られることはありません。私の娘がお父さんとお母さんが間違っていて私たちが地獄に行ったら責任をとってね。とみんなの前で言われましが、私は笑いながらもちろん。と答えました。三代王権の確立は国進様ご夫妻の勝利あってのことです。


私たちは自分の十字架を背負うだけでなく、その十字架さえも否定されたと感じたしても、国進様ご夫妻と一体化し、亨進様ご夫妻と一体化すべきです。

私たちは疲れました。自分の十字架に背負うだけでなく、このダメな組織のために疲れ果ててきました。疲れきった私たちがこれまでのこのような十字架をも自己否定される時がきました。


それは同時に最高の祝福です。今までの苦労も決して無駄なものではありません。イエス様の十字架を思ってください。その十字架の許しのおかげで今日までのキリスト教の出発と人類への貢献があったのです。その恩恵ゆえに再臨主の時代を迎えることが出来たのです。


イエス様にとっては十字架の恩恵までも再臨主の時代が来れば、否定される時を迎えたのです。イエス様の十字架は失敗であったのですと。私たちの背負ってきた十字架も失敗したのかと思われるかもしれません。その否定された十字架をも亨進様を通してお父様に捧げて新しい出発をしましょう。


お父様はご自身のことを肉体の十字架を7回越えてきた。しかし、再臨主の真の十字架は心情の十字架と言われました。新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れなさい、とイエスは言われました。サンクチュアリィ教会は新しい十字架を私たちに与えてくださいます。今までの十字架を乗り越えた素晴らしい十字架です。


さあ、新しい出発をしましょう。必ずみなさまを聖霊が働き、天が祝福する時がくるでしょう。その時が来たのです。

777さん。ご返事ありがとうございます。

777さん、《目指せ、怪傑黒頭巾》さんへ  お母様と信徒たちの救済も重要ですが、その前にすべきことがあります。子女様の一体化です。 にお答えします。


以前お父様が、神山元会長におっしゃったことがあります。次のような内容です。


「神山、父親である先生の言うことを聞かない顕進がおまえの言うことを聞くはずがない。」


ご子女様の一体化は当然、食口ならば誰しも願うことですが、今の時点では現実的とは思いません。今の時点でできることは各自が情報を集めて自らの自由意思と主体的判断で自らの信仰の位置を判断することしかないと思います。


私は散々悩み、祈り、そして亨進様を選択しました。アベルの御子女様の中のアベルと判断し、また国進様もそう判断されたのだと思います。そしてそのような亨進様をお父様は祝福されました。顕進様を支持される方々はいろいろ異議を唱えておられるようですが、納得できる反論でもないと私には思えます。


もちろんなんとももどかしいいきさつでしょうが、亨進様はほとんど沈黙を守っておられるようです。お父様の言うこともなかなかお聞きにならない顕進様が素直に弟の言うことをお聞きになられるとも思われません。



777さんがおっしゃることはよくわかります。私もそう願っています。しかし、私達ができることは何でしょうか?

私は、プログ村のみなさんが、自由闊達な議論を見ながら、各自の考えの参考にして判断してくださること、そして行く道を選択してくださることだと思います。



その結果を見られて、お母様も、顕進様も判断されるでしょう。お母様もそれと似たことをおっしゃっておられたようです。「亨進をみなさんが説得することはできません。亨進を変えようとすれば、食口が一人も亨進のところに行かないことです。そうすれば亨進は帰ってくるでしょう。」と。



お母様、顕進様、亨進様を変えて、一体化させる鍵は食口のみなさん、実はあなた方の判断と行動にかかっているということです。そのためにプログ村があると思っています。私は私の立場で主張しますが、その判断は読者の皆様に委ねます。


よく自分が判断してそれで自分なんかに何ができるのか、と言われます。日本の大幹部である韓国人公職者から言われた時は驚きました。あなた方は結局、宗教サラリーマンですか?と思わず聞き返すと、否定はされませんでした。



食口のみなさんが慕い、頼りとしてきた中心者の実体はその程度です。霊界など信じていません。神様にお尋ねすることもなく、実体の真のお父様を訪ね求めることもありません。神様に祈り、エネルギーを使うほどのことではないと言われました。



お父様を純粋に信じて、懸命に従ってこられた皆様こそお父様の希望です。お父様に希望をさらに差し上げるため、天の心情を感じてみましょう。お父様は霊界からお一人、お一人を見ておられます。皆様の心に希望の灯がともり、お父様の希望になるまで高く掲げられますように。

777さんにお答えします。お父様と一体化した亨進様の厳愛。

神様が囹圄の立場であるということとエバが囹圄の立場であるということとは全く次元が違います。エバは堕落してサタンと関係を結び、囚われの身となりました。神様は愛する愛娘がサタンと不義の関係を結び、サタンと一体化したため、千秋万代の恨みを抱く身となられました。確かに同じ立場に身を置いているかの表現は神様の無限の愛を見せてくださっているような思われます。



しかし、そのエバや神様を囹圄から救い出せるのは神様ご自身でもエバでもなく、真のアダムであるメシヤしかいないのです。そしてお父様が霊界に行かれたので、その使命は後継者である亨進様が相続されました。



亨進様はメシヤとしての後継者ではないとの議論がありますが、亨進様が、メシヤ自身ではないのはその通りですが、メシヤの完成されていない使命の相続者であられ、その使命を成就するためにメシヤの代身としての権能を持たれています。



その意味ではメシヤと私たちをつなぐ仲保者であり、またアベルの中のアベルであると言えるでしょう。私達はお父様のご子女様の中でカインの立場を代表しておられる国進様と一体化して、ともに亨進様をお支えしなけれはなりません。



さて、777さんはお父様の真の愛は自分の妻までもサタンに与えて、それでも許し続けることと表現されておられるようです。亨進様にもそのような愛を求めておられるのですか?そしてそのような愛を真の愛としてあらゆる人に求めていかれるのですか?



とんでもないない話です。怨讐を愛せよ!というみ言葉は真実です。しかし、自分の愛する子女や、家族が現にいま罪を犯し続けて、非行に走っていて、それをただ見ていて、地獄に引っ張られていく姿を見て、許し続けるというのはとんでもないことです。



命懸けで叱り、引き戻さなければならないでしょう?愛するものをサタンから引き離すの深刻ではないですか?それではまるで非行したのは悪い友達のせいで私の子どもは被害者です。と自分の子どもを甘やかすダメな親と同じではありませんか?



自分の子どもを命懸けで真剣に叱り、罪に引きずり込ませる悪い友達を厳しく分別して更生させようとするのは当然ではないですか?



それとも多くの幹部達が言うように亨進様は幼いですか?親を叱るなどと無分別な未熟な姿ですか?イエス様は30歳からの公生涯です。母マリアを叱り、パリサイ人、律法学者、宮の商人達に対して怒りをあらわにされました。そのようないお姿を今日幼い、未熟などと言う人はいません。



罪を糾弾することはその人が憎くてするのではありません。愛するからするのです。さらに申し上げたいことは山ほどあります。もし、反論がおありでしたらしてください。お父様の無念なる胸の張り裂けるほどの痛みを、亨進様の耐えに耐えてきた心の叫びをお伝えします。


過去に起きたことではありません。いま現在おきていることです。