ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

もし万一お母様が地獄に行くとしても最後まで信じて従う。その2

さて、タイトルの言葉はある統一教会のバリバリの現役幹部の「分派」に行きそう人への面接での別れ際での言葉ですが、確かにお母様への忠誠心と信仰、あるいは愛情も感じられる言葉です。

私は昨日そのような愛情や信仰は間違っている、逆にお母様を地獄に追いやるものと言いました。そのような情緒的信仰は、底の浅いまた危険なものになりかねません。

勝利したお母様が地獄に行かざるを得ないという状況は大変な事態です。たとえば洗礼ヨハネがイエス様を不信して彼の運命はどうなったでしょうか?そのことを考えて見てください。それは遠い昔の話、原理講義な中で聴いてきたお話しの1部ではなく、現実の世界の話です。


真の父母がメシヤということはイエス以上の王の王です。お母様がお父様と行く方向が違うってしまえば、たとえどんなに勝利したお母様であられてもサタンが真の家庭に侵入し、子女様方をお母様から引き離し、そしてそれまでも幹部達を操ってきたサタンの思いのままに統一教会に侵入してくるようになります。


またある幹部はこう言います。不正を働く幹部達はいるでしょうが、それは時が来れば裁かれるでしょう。しかし、私達が関与すべきでなく神様がされるのを待って従うべきだと言います。しかし、それはサタンの活動を放置するだけのことです。

もはや幹部を叱り、諌め、おさめるお父様はおられないのです。お母様は幹部達と妥協し、利害をともにされる道を選択されました。メシヤともうわさされた洗礼ヨハネに対して従うだけの彼の弟子達はどうなるでしょう?


1945年.韓国は開放され、メシヤである真のお父様は家庭から民族、国家を超えて世界的勝利基盤を7年間で完成されるはずでした。その時、不信をしたのは金百文でした。その結果はどうなったでしょうか?お父様は家庭を捨てて北韓にただ一人で行かれ、韓民族は分断され、同族間で血を血で洗う骨肉の戦いが繰り広げられ、お父様は興南に行かれました。


後世の人々は誰を非難し呪うでしょうか?お父様ではなく、お父様を不信し、お父様を異端としたキリスト教界の指導者を呪うでしょう。

その悲劇の責任は誰にあるのでしょう?統一教会の教祖はただの一宗教の開祖ではありません。世界の運命を背負う文字通り地獄と天国を分ける方です。地上天国が遠のき第ニの韓国動乱となる時、また同時に中国共産党が倒れる時、どれだけ悲惨な事態となるか。


その責任を問う讒訴は誰に向かうでしょうか?お母様がもしお父様と方向を違えてサタンが統一家に侵入し、韓民族に侵入し、国家に侵入し、世界に侵入し、悲劇的結果を招く時、その責任を問う讒訴は誰に向かうというのでしょうか?お母様に向かわざるを得ないというのです。


その責任を取りお母様をサタンに讒訴から、守らなければならないその幹部達が、身の保身のゆえに互いの罪状を覆い隠しているのです。


そのような悲劇を許していいのでしょうか?

もし万一お母様が地獄に行くとしても最後まで信じて従う。

この言葉はある兄弟を面接した時に最後に言い放ったある幹部のものです。分派に行かせまいと面接していますが、説得力がいまいちだったようでそれでもご自分の信仰告白をしたような言い方です。残念ながらとんでもない思い違いです。なぜそうなのかを今日以降のテーマにします。

しかし考えてみれば、この言葉にある思いは大なり小なり熱心なあるいは純粋な幹部の方がたにある心象かもしれません。少し分析して見ましょう。

まずもし万一お母様が地獄に行くと仮定せざるを得ないのか?自信を持ってそんなこと有り得ない言い切れないのでしょう。どんなに声を大にしてサンクチュアリ教会を分派と叫んでも亨進様の主張に対して一部反論を試みていますが、最も重要なところはほとんど反論できませんでした。彼らもサンクチュアリ教会の人々や米本さんをはじめとするプログ村の多くの人々を説得できるとは思っていないでしょう。

徳野さんは判断力のない一般信徒をサンクチュアリ教会が騙しているとと言いますが、むしろ逆に「判断力の乏しい」信徒を言葉巧みに自分達を誤魔化し自分達に有利に誘導することは上手です。

たとえば独性女という言葉はお父様が30回も使っていると言いますが、使っている意味がだいぶ違います。お母様はあくまで堕落圏から復帰されて神の一人娘として勝利の道を歩んだのでありお父様と同じようにアダムやイエス様と同じ立場で産まれてきたのではありません。もしそうなら私達の学んだ原理ではなく全く別の教えです。まして私は産まれながらにしてそうですが、(胎中で聖別されたが、)お父様はそうではありません。16歳の時イエス出会ってからメシヤの資格を得ました。というのはもう別の教義、原理でしょう。

そのようなことには全く触れません。幹部達の不正や罪状についても何の弁明も明白な主もありません。


要するにサンクチュアリ教会の主張に対して肝腎な点については誰も何も反論らしい反論はなく相変わらず臭いものにはフタです。本当の意味では自信がなくて当然でしょう。赤信号みんなで渡れば怖くない、という状況でしょうか?



お母様は第ニの教主である、お母様に絶対的に従え、というお父様の教えは この度の集会の資料として配られたレジュメでも明なように95年までしかないのです。おそらくそれ以降はどんなに探してもそのようなみ言葉はなかったのでしょう。このことはお母様の勝利は95年までは間違いないが、それ以降は神山さんもご指摘の通り、お母様はお父様と行く道を別にするようになったそのような一面をいろいろな方が証言しています。それを幹部達は必死で隠そうとしてきたのではないか。そのように思えます。


事実を知らされない一般信徒には「判断力がない」のは無理からぬ事です。しかしながら幹部達にも良心があります。タイトルの言葉はお母様に対しての愛情と信仰が伺えます。しかしそのような間違った愛情や信仰がお母様を地獄に追いやることにつながることに気づいていません。次回は間違った判断や信仰がいかに危険かに触れていこうと思います。


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初めまして。元宣教師への江利川サンクチュアリ教会対策集会

いよいよ決戦の火蓋が切られた感があります。プログ「火の粉を払え」ー「江利川騒動から見えてきた構図(下)ガチンコ勝負のできない哀しい幹部達ーに詳しく出ています。記事のほとんどは同意できます。少し見解の相違はありますが見事な分析ですね。私なりの全体の印象としてはサンクチュアリ教会、亨進派を分派と規定し、対決することが趣旨のように思いました。

最後の総括で徳野会長の「本流に留まれ、分派に行くな、最後までお母様を信じて従うように」という訴えが印象的でした。


私の感想としては徳野会長自身の表現にもありましたが、セマゥル号と同じで指示を信じて、留まれば、船、つまり教会と運命を共にするしかないというものです。船長即ち、総会長、会長、幹部達の責任は大きいのに、なんともやるせない思いです。そしてその責任のすべては結局、お母様に押し付けるしかないでしょう。徳野さんは「1番恐れるのはお母様までもが希望を失ってしまうことだ。その時が最も危機だ。」と言っていましたが、その時があなた方の終わりでしょう。

つまり、客観的に言ってお母様までもが希望を失うかもしれないほどの差し迫った危機が深刻であることを吐露しています。もし本当にお母様がお父様と一体化しておられたならば、お父様が希望を失うはずもない。従ってお母様もそうです。それがビジョン2020が完全な成功でなかったとしても、お父様が希望を失うことはありません。神様とひとつであられるお父様が如何なる環境にあっても、文字通りの地獄であった興南であってもお父様が希望を失うことはありませんでした。

次は彼らの信仰と称する心の底にあるや心境の一面を明かしてみますのでご期待ください。


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