ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

アップル社、中国系技術者スパイ容疑で出国寸前逮捕❗️米中経済戦争の背景にあるもの。

米中の貿易摩擦を巡って世界中が固唾を飲んで見守っています。マスコミでは例によって「トランプの暴走」と言った論調が幅を利かせています。

しかし、中国が米国の知的財産を不当に窃取して自国の科学技術を発展させてきたことに米国は大きな危機感を抱いています。また、それによって大きな利益を上げた企業からの税金で凄まじい軍拡を行い、米国を覇権を奪おうとしています。

それに対して米国は製造業が衰え、また中国に大きく投資してきたグローバリストなどによって米国の国益は大きく損なわれようとしています。

先日、アップル社の技術を盗もうとした中国系技術者が中国への出国直前に空港内で逮捕されるというドラマチックな事件が起こりました。

まさにトランプ大統領の主張を裏付けるかのような事件です。

しかし、日本のマスコミはほとんど報道していません。

数少ない分析記事が出ましたのでご紹介します。記事の意図はトランプ大統領の意図を解説しようとしたものでなく、これからの先端技術の一つである自動運転の技術開発に日本が立ち遅れを指摘するものです。

しかし、同時に記事は共産主義独裁国家中国の脅威を図らずも浮き彫りにしています。そこで前後二回に分けてご紹介します。現代ビジネスからの引用です。



〜引用開始〜

アップルと中国の「スパイ事件」からみえる、米中自動運転戦争の壮絶 そうか、アップルも本気だったのか…

町田 徹


先週火曜日、中国企業に転職予定だったアップル社の元社員を、自動運転技術の機密情報を盗んだ容疑でFBI(米連邦捜査局)が訴追するという、ショッキングな事件が起きた。

現段階では、中国政府や中国企業の関与の有無を含めて、事件の背景はわかっていない。しかし、この分野では米中の企業の間でスパイ紛いの諜報戦が起きるほど開発競争が過熱していることや、アップルに極秘の戦略部門として自動運転技術の開発セクションが存在し、そのセクションに5000人もの人材を投入している事実が浮き彫りになったことは興味深い。

それほど、この分野は市場が急成長してカネになると見込まれており、燃え盛る米中貿易戦争の火に油を注ぐ可能性もありそうだ。

今回は、自動運転技術の開発を巡る、主要国、主要企業の熾烈を極める闘いを探ってみたい。

極秘計画が明らかに……

まず、アップル事件の概要をおさらいしておこう。報道によると、FBIは今月7日、サンノゼ空港で、北京経由で杭州に向かう便に搭乗しようとしていた、アップルの元社員シャオラン・チャン氏を、自動運転車の開発に関連する「トレードシークレット(営業秘密)」を盗んだ容疑で逮捕した。

元社員は大筋で容疑を認めているといい、FBIは同10日までに、元社員をカリフォルニア州の裁判所に起訴した。

元社員は2015年からアップルに勤務。自動運転技術のソフト、ハード両面の開発に携わっており、機密情報へのアクセス権も持っていたが、休暇明けの今年4月末、中国在住の母親の体調不良を理由に、帰国して中国の自動運転のベンチャー企業「Xモーターズ」に転職したいと申し出たという。離職直前に大量のデータをダウンロードしていたことから、事件が発覚した。

国際的な産業スパイ小説の題材になりそうな事件だが、FBIがカリフォルニア州の裁判所に提出した資料から、これまでアップルが極秘にしてきた自動運転技術開発の一端が明らかになった。およそ13万5000人の正社員のうち5000人が自動運転技術に関わっていること、機密情報を含むデータベースへのアクセス権を持つのは、このうち2700人であることなど、だ。


グーグル系のウェイモ、配車アプリのウーバーテクノロジーズなどのIT企業大手と同様に、アップルも自動運転技術の開発に相当注力していることが浮き彫りになったのだ。

筆者が取材したところ、もともとアップルには完成車を売ろうというプロジェクトが存在した。ある意味でiPhone的な開発思想と言えるが、デザインはアップル自身がとことん拘るが、部材はすべて外部調達して、既存の自動車メーカーに組み立てを依頼するという内容だった。

日本には、フロントガラスから後部の窓までを1枚で覆うガラスの供給が可能か問い合わせを受けたガラスメーカーや、組み立てを打診された完成車メーカーがあった。

しかし、このプロジェクトは最終的にとん挫。アップルは戦略を転換して、iPhoneとのリンクや地図情報技術を応用できる自動運転技術の開発に照準を合わせた経緯がある。

これらの過程で、アップルは人材確保に巨額の資金を投入したらしい。弱みは、プロジェクトが社内でも極秘扱いだったため、先行するテスラやウェイモのような大々的な公道実験はしていないことだ。それゆえ、テスラやウェイモと比べると、自動運転技術の熟成に不可欠な情報収集で後れを取っている可能性はある。とはいえ、アメリカのIT企業はどこも、この種の分野に必死で取り組んでいることの証左として記憶しておきたいケースだ。

ちなみに、今回のようなトレードシークレットの窃取としては、2015年にウーバーがグーグルのレーダー技術を入手しようとして仕掛けたケースが有名だ。

両社は法廷闘争の末、今年2月に和解したものの、その過程で、ウーバーが当初自動運転技術の開発に出遅れて焦っていた事実や、グーグルが人材を引き抜かれるリスクに頭を悩ませていた事実が明らかになっている。


今回の事件で懸念されるのは、今後、ハイテク技術を巡る米中貿易戦争に及ぼす影響だ。知的所有権の侵害を理由に、トランプ政権は500億ドル分の中国製品に25%の関税を課す制裁を決定。このうち産業用ロボットや電子部品など818品目、340億ドル分を7月6日発動した。

これに対して中国が報復に動いたため、トランプ政権は同10日、関税対象を2000億ドル分に拡大して、衣料品や食料品など6031品目に10%の関税を課す追加制裁の原案を発表したばかり。発動は9月以降になる見通しだが、中国も再報復の構えをみせており、両国の貿易戦争は泥沼化しつつある。

そうした中で起きた今回の事件は、元社員の単独犯行なのか、あるいはライバルを追い上げたい中国のベンチャーが仕掛けたものなのか、はたまた自動運転の技術開発を国策として進める中国政府の意向が絡んでいるのか、現段階では何もわからない。

しかし、アップルの元社員が転職しようとした中国企業には、中国のネット通販大手・アリババ集団が出資しているという。中国を攻撃する格好の材料を、トランプ政権に与えたことは間違いなさそう

(後略)

〜引用終わり〜


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まず問題なのはここで語られているように、裏でどの程度中国政府か、意図したもの、あるいは絡んだものなのかが、今の時点では不明な点です。

中国企業の大手は殆どが元国営、または中国政府、中国共産党が深く関与しています。

「元社員の単独犯行なのか、あるいはライバルを追い上げたい中国のベンチャーが仕掛けたものなのか、はたまた自動運転の技術開発を国策として進める中国政府の意向が絡んでいるのか、現段階では何もわからない。」ということなので形としては企業間の産業スパイ事件として見なそうというのが中国寄りの報道姿勢でしょうが、それは氷山の一角という中国政府のやり方と見ることも大いにありうることです。

私達は表面的なマスコミ情報ではなく、米国を凌ごうたして覇権国家を目指す中国の意図を知ってトランプ大統領の仕掛ける中国の野望を阻止する意図をしっかりと支え、応援していく必要があります。

朝鮮戦争時の米国将兵遺骨収集、返還が米朝交渉の突破口となるのだろうか?

アメリカと北朝鮮との交渉がもたついています。

肝心の北朝鮮の完全、検証可能かつ不可逆的な非核化実現の見通しがつかない中で、米国にとっても大きな課題となっている朝鮮戦争時の米国将兵戦没者の遺骨返還問題で、成果が見えそうです。

ところが、北朝鮮はこのことで経費を要求するなど資金稼ぎを意図しているとの疑惑があり、この問題でも米国国内が揺れています。

WEDGE REPORTからの引用です。


〜引用開始〜

米国の経費負担に反発は必至、唯一の成果、不明米兵返還協議


樫山幸夫 (産經新聞前論説委員長)

2018/07/14


<米国将兵の遺骨返還をめぐる交渉>

 北朝鮮の核開発をめぐって、さきに平壌で行われた米朝協議は、「重要な分野で進展があった」というポンペオ米国務長官の説明とは裏腹に、激しい対立の場となったようだ。長官と金正恩・朝鮮労働党委員長との会談も実現せず、協議終了後、北朝鮮外務省は米国を「強盗的」と口汚く罵倒した。

しかし、少ないながら成果があったのも事実だ。非核化の履行に向けた作業部会を設置し、朝鮮戦争不明米兵の遺体返還についての協議を開始することで双方が合意した。

遺体返還問題で北朝鮮が積極姿勢に出てくれば、核交渉全体への好ましい影響が期待できよう。

 米国とベトナムが関係開園を果たしたのも、やはり不明米兵の遺体返還での協力が契機だった。

しかし、そう簡単にことが進むかどうか。

協議を通じて北朝鮮は遺体捜索の経費負担を要求してくるだろうが、米側がこれに応えれば、「制裁を科している相手に資金を供与するのか」と国内強硬派の反発を招きかねない。

それを無視してトランプ大統領が、北朝鮮の気を引くため大盤振る舞いする可能性も取りざたされているが、大きな論争に発展すれば、核交渉の前途を危うくすることにもなりかねない。


3度目の訪朝をしたポンペオ長官(代表撮影/ロイター/アフロ)


<朝鮮戦争で7700人の米兵が不明>

 さきの協議の内容については、すでに各メディアが詳細に伝えているので、立ち入るのは避ける。

とぼしい成果のひとつ、米兵の遺体返還問題は、シンガポールでの米朝共同声明に盛り込まれ、北朝鮮側が「即時引き渡し」を約束していた。

 トランプ米大統領は首脳会談後の6月20日、ミネソタ州ダルースで行った演説で、遺骨200柱が返還されたと明らかにした。

しかし、ペンタゴン(国防総省)当局からの確認がなされていなかったため、当初、「この問題がポンペオ長官の訪朝に影を落とすことになるかもしれない」(7月6日、米ブルムバーグ通信)という見通しが伝えられていた。

 朝鮮戦争(1950年6月勃発、53年7月休戦協定署名)では、3万6000人以上の米軍将兵が戦死、約7700人が行方不明になっている。

その遺体返還問題、実は今回の共同声明によって動き始めたものではない。過去においても、北朝鮮は遺骨が発見される都度、米国に返還してきた。

2018年6月24日付産経新聞によると、北朝鮮は1990-94年に、400人分が混在しているとみられる棺208基を米国に引き渡した。96年からは米朝合同の捜索が行われ、2005年まで33回、229基分が発掘、回収された。2007年にも7柱が米側に引き渡された。

 数十年ぶりで母国に帰還した遺骨はハワイ・真珠湾のヒッカム基地にある国防総省の戦争捕虜・戦闘時行方不明兵集計局(DPAA)の施設に運ばれ、DNA鑑定などで身元が判明すれば、遺族に引き渡され、希望に沿ってワシントン近郊のアーリントン国立墓地などに埋葬されてきた。これまであわせて459柱が家族のもとに帰った。


<北朝鮮、資金獲得の狙いも?>

 米朝合同の捜索が始まった1996年、米国はクリントン政権(民主党)だったが、94年の米朝枠組み合意が曲りなりにも機能し、双方の関係が比較的安定していた時期だった。

枠組み合意で、北朝鮮が約束した核開発凍結の見返りとして、米国、日本、韓国などが、エネルギー源として重油、軽水炉の供与を北朝鮮に約束し、その建設準備が進んでいた。

 北朝鮮がこの時期、またそれ以前に遺骨収集、返還に応じたのは、善意を示すことで信頼を醸成、米側との関係を改善したいという思惑からだった。

一方で、経費負担の名目で、米国から資金を引き出す狙いもあったのではないかという見方も米国内でなされていた。

 96年5月、合同捜索実施で合意した際、北朝鮮は過去に発見、収集された遺骨の輸送費用など400万ドル(約4億4000万円)を要求してきた。米側は実際に米兵の遺骨と確認されたものが少なかったことから、これを拒否、半分の200万ドル(2億2000万円)で妥協した。

無関係の遺骨が混入されたのではないかと米側が疑念を抱いたようだが、北朝鮮がその後、日本人拉致被害者のニセの遺骨を送りつけて来た事実を想起すれば、その行動パターンが浮かび上がってくる。


米国は1993年に返還された46柱についても約96万ドル(1億500万円)を負担した。

 1997年中に行われた3回の合同捜索だけに限ってみても、米国は、輸送経費、人件費、発掘による農作物への保証まで含めて31万ドル(3400万円)を拠出。

2005年に合同捜索が終了するまでの間、33回にわたったその都度、米国は費用を負担してきた。


<捜索にかける北朝鮮の意気込み>

 話は逸れるが、1997年7月に行われた合同捜索に参加した米国務省の北朝鮮専門家から聞いた話を紹介したい。北朝鮮の軍の様子などがうかがえて興味深い。

 平壌の北東130キロ、朝鮮戦争有数の激戦地だった雲山近くの集落で2週間続いた捜索に、

北朝鮮は将校10人、発掘作業に当たる兵士80人、地方官憲らあわせて100人を動員する熱の入れようだった。

人件費はもちろん米国の負担。米側係官は国防総省、国務省の専門家ら10人という少人数だ。

 双方の参加者はいずれも、テントを張っての〝キャンプ生活〟だったが、当時、数年続きの水害などで多くの餓死者を出す食糧難であったにもかかわらず、北朝鮮側は、米、牛肉、鶏肉、キムチなど貴重な食料をふんだんに持ち込んだ。どこで入手するのか訝った米側がさりげなく聞いてみると、軍がもつ専用の農場から調達したらしいことがわかったという。

 その時の写真をみたが、発掘作業中の遺跡を思わせる木材の足場の近くで、半裸の男性何人かが食事をし、そばで通訳らしい北朝鮮の若い女性が屈託なく笑っている姿も写っていた。

 米軍機撃墜などの目撃者を探すため、ほとんどの村人から話を聞き、遺体が埋められているとみられる場所を掘り返した。

平壌近くの戦争博物館に保存されている撃墜米軍機の残骸、兵士の認識票、制服なども入念に点検した。

忍耐強い努力にもかかわらず、この時の捜索では、水田近くの埋葬場所から4人の遺体が発見されたにとどまった。

 米側はジープ、日本製大型トラック、イタリア製バスなどを用意したが、品質の劣るガソリンはすぐにエンストを引き起こした。故障しても北朝鮮には部品がなく、中国から航空便で取り寄せなければならなかった。

 摂氏35度超、暑さで倒れる兵士もでる悪条件にかかわらず、北朝鮮が予想以上に協力的だったため、米側が真意をはかりかねていると、先方は引き替えに経済制裁の緩和を強く求めてきた。

図らずも、遺骨収集を政治的に利用しようとする意図が明らかになった。


<遺体を金で買う」と批判>

 過去の捜索の経緯に話を戻す。

 米国内では当時、「一体約2万ドル(200万円)か」「遺体を金で買うのか」などと、共和党を中心とする対北朝鮮強硬派から強い批判が出た。

 北朝鮮のGDPは、国連の統計によると、2015年現在で162億8200万ドル(1兆8000億円)。

日本国内で最下位の鳥取県なみという最貧国の北朝鮮にとっては、たとえ100万ドル、10万ドル単位とはいえ、貴重な収入源になりうる。

それだけに北朝鮮の狙いも外貨獲得にあったという見方もなされているが、米国の北朝鮮専門家は、「捜索の経費は国防総省が厳密に査定しており、北朝鮮が経済的に潤ったことはない

ベトナム戦争不明米兵捜索でも資金供与は行われている」と反論。北朝鮮の狙いはむしろ、「信頼醸成措置」と分析する。


<一貫して米朝対話の窓口>

 朝鮮半島の安全保障をめぐる米国と北朝鮮の対話の場、機会としては過去、枠組み合意に至る米朝ジュネーブ交渉、今世紀に入っての6カ国協議などがあったが、不明米兵の遺骨返還協議は、それ以前から存在し、地味、細々ながら一貫して米朝の対話の窓口になってきた。

北朝鮮はそれを利用して、常に米国との直接対話につなげることを模索、硬軟織り交ぜた対応で駆け引きを展開してきた。

 

 7月12日に板門店で予定されていた返還協議当日、北朝鮮側は姿を見せず、米側関係者に待ちぼうけをくわせたが、今後、北朝鮮が前向きな姿勢に出て順調に推移すれば、今後の核交渉全体についても進展に期待が持てるかもしれない。

 問題は米国の動きだ。シンガポール合意について、共和党内部からも「譲歩しすぎだ」という批判があるため、返還のための費用で、規模も少額とはいっても、実際に北朝鮮に資金供与をすれば、反発がますます高まる可能性がある。

 遺体返還問題を突破口に交渉を進めるという米国の方針は理にかなったものと言えようが、米国内の強硬論台頭が、本来核放棄に消極的な北朝鮮につけ込む余地を与え、交渉を潰えさせる結果になりはしないか。

 国務省のナウアート報道官は、1、完全な非核化。2、北朝鮮の体制保証。3、遺体返還―という重点目標について、ポンペオ長官は強硬な姿勢を維持していると強調した。だが、ミサイル実験施設の廃棄を含む非核化についての作業部会の日程も決まっておらず、全体の展望はなお見えない。

 ポンペオ長官の今回の訪朝は、北朝鮮の完全な核放棄実現という長い困難な道のりへの緩慢な一歩に過ぎなかったことを思い知らせてくれたというべきだろう。 

〜引用終わり〜


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困難な非核化を前提とした一連の交渉の中でも米朝にとって扱いやすいはずで、米国ではかなり関心の高い遺骨の返還交渉ですが、それでもなかなか大変です。

しかし、ここからまず突破口として信頼関係を繋いでいくしかないのが現状のようです。

前回の日米の激戦地硫黄島での遺骨収集の件を取り上げましたが、米国にとっても国に忠節を果たして異国の地に眠った英霊の遺骨の大切さは同じなのです。

ここで良き米朝のすり合わせができることを期待したいものです。

硫黄島などが返還されて五十周年です。米国も朝鮮戦争の戦没者の遺骨返還が大きな課題ですが、日本人なら硫黄島の遺骨を忘れることはできません。

今年、硫黄島が米国から返還されて50周年になります。1994年、両陛下が硫黄島を訪問されたおり、皇后陛下は次の歌を読まれました。

「銀ネムの大木茂りゐていこの島に五十年(いそとせ)眠るみ魂悲しき」

銀ネムとは中南米を原産地とする亜熱帯の植物で、戦闘後、玉砕した2万一千名近くの日本兵が戦死し、そのほとんどは埋葬されることもなくその遺体の腐敗臭を除去するために米軍がタネを空中散布したと言われています。

その繁殖力のため、現在も銀ネムが生い茂る硫黄島となっているそうです。


「国のため重き務を果し得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき」

 「仇討たで野辺には朽ちじ吾はまた七度生れて矛を執らむぞ」

 「醜草の島に蔓るその時の皇国の行手一途に思ふ」


硫黄島守備司令官、栗林忠道中将の辞世の句です。


本日(7月14日)の毎日新聞の専門編集委員 青野 由利の記事「土記(どき)」などによれば、戦没者21900(概数)のうち遺骨収集ができたのが10410体、残る約11500近くもの遺骨が収集できていません。

ウィキペディアからの引用です。

〜引用開始〜

硫黄島の戦いで、日本軍は守備兵力20,933名のうち20,129名(軍属82名を含む)が戦死した。捕虜となった人数は3月末までに200名、終戦ま でにあわせて1,023名であった。アメリカ軍は戦死6,821名、戦傷21,865名の損害を受けた。硫黄島の戦いは、太平洋戦争後期の島嶼防衛戦にお いて、アメリカ軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った稀有な戦闘であったと同時に、アメリカが第二次大戦で最も人的損害を被った戦闘のひとつとなっ た。

(ウィキペディア)



組織的な戦闘が終わり島の大部分がアメリカ軍に制圧された後、わずかな水源や食糧を求めて生き残った負傷した日本兵が島の海軍航空隊の壕などに集結した。

(中略)

その後も生き残った日本兵が地下陣地に潜伏しており、アメリカ軍は投降を促した。生き残った日本兵の一部はこれに応じて投降したが、拒否する日本兵もおり、アメリカ軍は掃討作戦を決行し投降しなかった日本兵が潜伏していると思われる壕の入り口を埋め、潰していった。

最後の生存者として、終戦から4年後の1949年(昭和24年)1月2日に潜伏していた元日本兵2名がアメリカ軍に投降した。海軍所属であった両名は千葉県出身の一等兵曹(38)と、岩手県出身の二等兵曹(25)であり、終戦後も島内の洞穴などに隠れて4年間にわたり硫黄島に暮らしてきたものであった。両名によると終戦から1年半が過ぎた頃に島内に駐在しているアメリカ兵が捨てたとおぼしき雑誌を拾ったところ、その雑誌に東京の不忍池でアメリカ兵と日本人女性が一緒にボートをこいでいるグラビア写真があるのを見つけた事により、日本が戦争に敗れた事に気付くと共に激しくショックを受けたと言う。この元日本兵2名は1月22日に羽田空港に帰国した。

その後、二等兵曹が「硫黄島に日記を忘れてきた、本を出版するためにどうしても日記を取りに戻りたい」とアメリカ軍に申し出て、同年5月7日に再び アメリカ軍機に乗って硫黄島へと戻った。ところがいくら探しても日記が見つからず、摺鉢山の火口から400mほど離れた場所から「万歳」 と叫びながら飛び降り自殺をしてしまった。この二等兵曹は日本に帰国したあと周辺の者に「生きて返ってきて申し訳ない」「硫黄島へ日記を取りに行って見つ からなかったら日本へは戻らない」などと漏らしていた事から自殺の覚悟を決めていた節があり、戦友の死んだ地で自分も死のうとしたのではないかと推察され た。

(ウィキペディアより)

〜引用終わり〜

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今上陛下の御製。


硫黄島二首 
  精根を込め戦ひし人未だ 地下に眠りて島は悲しき
  戦火(いくさび)に焼かれし島に五十年(いそとせ)も 主なき蓖麻(ひま)は生ひ茂りゐぬ


合掌。

…… ………… ………

なお硫黄島の戦いと名将栗林忠道中将、並びに両陛下の硫黄島に関することをお知りになりたい方は次の一文を読まれるとわかりやすいと思います。

〜引用開始〜

栗林忠道と硫黄島の戦い(下)硫黄島の玉砕と両陛下


 

◆栗林兵団の玉砕

 栗林から最後の攻撃の電報を受けとった大本営は、以後連絡がとだえたので栗林以下全滅したものとして、硫黄島の失陥を発表した。そのとき大本営は、栗林の忠烈をたたえ大将に特進せしめた。

 ところが攻撃後も栗林らはなお生き抜き戦い続けていたのである。三月二十一日とだえたはずの電報が大本営に届いた。

 「十七日正午、予(私)は我が戦闘司令壕を出撃し、北部落の西側に歩兵第一四五連隊、玉名山地区、北地区、東地区および西地区の全生存将兵を集結し、目下戦闘を継続中なり。現在予の掌中に在る兵力四百名なり。

敵は我を包囲し、十八、十九両日戦車および火焔放射器をもって我に近接し来れり。特に爆薬を使用しつつ我が防空壕の入口に近迫せんとす。

敵線は我を去る二百ないし三百米にあり。戦車をもって攻撃しつつあり。

敵は拡声器をもって我に降伏を勧告せり。しかれどもわが将兵は一笑に付して相手にせず。

海軍司令部は十六日来りて我に合し、ともに戦闘中なり。

師団長以下、将兵敢闘中なり」

 次いで二十二日、今度こそ最後の電報が届いた。

 「我ら将兵は飲まず食わずの日を五日続けたり。しかれども敢闘精神は益々高潮しつつあり。最後の一瞬まで戦闘を続行せんとす……」

 一日でも長く抗戦せんとする栗林らの恐るべき闘志であった。ほとんど飲まず食わずの十日間余を経て、三月二十六日未明、栗林は硫黄島海軍司令官市丸利之助少将とともに四百名の残存将兵を率いて最後の出撃を決行した。その突撃直前において、栗林は生き残った者はあくまで持久戦を継続することを命じた。

 普通こうした最後の突撃の場合、指揮官はその前に自決するのだが、指揮官陣頭を信条としてきた栗林は、軍刀をふりかざし「進め、進め」と叫び先頭に立った。この日栗林らは一団となって米軍陣地を襲撃、全員壮烈きわまりなき戦死をとげたのである。栗林は敵弾をうけつつも尚前進したが、出血多量で手の自由がきかなくなり、部下に頭を撃ち抜かせた。かくして栗林兵団は、三十六日間を戦い抜き玉砕した。

 米軍は同日、硫黄島の占領を宣言してここに硫黄島の戦いは終った。

 日本軍は二万一千のうち二万名が戦死、残りは重傷を負って倒れ後に米軍に収容された。

 米軍の損害は海兵三個師団七万五千中、二万六千(内死者七千)、海軍を含めると二万八千余に達した。米軍は難戦苦闘の末ようやく日本軍を下したが、予期せぬこの膨大な犠牲に勝利感はほとんどなかった。

 

◆栗林を賛嘆する敵将

 米軍に比べあまりにも寡少貧弱な戦力のもと、後半にはほとんど食料なく水なく弾薬なき孤立無援の中で、日本軍が一ヶ月余り戦意衰えず、団結少しも崩さず、最後の最後まで粘り強く戦い抜いたことは、まことに驚嘆すべきことであった。

 かくのごとき戦いが可能であったのは、ひとえに主将たる栗林の存在による。栗林は鉄石の信念のもとに巧みな戦略戦術を駆使し見事な統率力を発揮して米軍を苦しめ抜いた。栗林は部下を厳しく徹底的に鍛え上げたが、同時に彼らを深く思いやり苦楽を分ち合った。部下はこうした栗林に絶対的信頼を寄せ、この人の下に命を惜しまじと心服していた。まことにも栗林は将帥として傑出した人物であった。

 「公論は敵より出ずる」というが、硫黄島攻略軍司令官スミス海兵中将は、次のように栗林をたたえてやまなかった。

 「わが軍に莫大な損害を与えたのは栗林将軍である。彼はその部下に『最後の一人まで戦え』と教え、特に各人はそれぞれ敵十人を倒すまで倒れるべからずとの訓令を発している。

 彼は知将たるのみならず、鉄石をも貫かずんばおかざる猛将であった。戦闘停止後、戦場で血にまみれ息まさに絶えようとしていた幾多の日本将士にたずねても、そのことごとくが将軍の卓絶した戦術と熱火のごとき闘魂に心酔していたことを語っていた。まことに立派な将軍であった」

 洋の東西を問わず民族人種の壁を超えて、真に武人の魂をもつ者は栗林のごとき人物に脱帽せざるを得ないのである。不撓不屈の勇気と闘魂をもって祖国のために自己を捧げて戦い抜くことは、いかなる国の人々の魂をゆさぶってやまぬものがある。敵将をしてかくまでいわしめた栗林であったからこそ、米人は第二次大戦中の十人の名将の一人として栗林を選んだのであった。

 

◆日本を亡国より救った硫黄島の戦い

 二万名の日本軍が玉砕した硫黄島の戦いはいかなる意義を有したであろうか。それとも全く無益な戦いであったろうか。

 日本軍を上回る損害を出した米軍の打撃は物理的にも精神的にも甚大であった。この戦いが長びいた結果、沖縄戦の開始が遅延した。沖縄戦もまた硫黄島以上の苦戦に陥り、米軍は三ヶ月もの日時を費して占領したがやはり膨大な犠牲を出した。上陸軍十八万中損害は実に七万にも及んだ。

 硫黄島の戦いと続く沖縄戦において、日本軍が玉砕して最後まで戦い抜き、米軍に莫大な損害を与えた衝撃ははかりしれぬものがあった。この二つの戦いを顧みるなら、米軍は来るべき日本本土進攻作戦においてとほうもない損害を蒙ることが必然視された。

 日本軍は玉砕するまで戦いをやめない。戦局は明らかに日本に不利であったが、日本軍の戦意は微塵も衰えをみせず団結はいささかも崩れてはいなかった。戦争において何より重要なのは士気だが、日本軍のそれは米軍を上回るものがあった。

 日本国内にはまだ三百万もの兵力があった。米軍の計算では本土進攻作戦に五百万の兵力を必要とし、そのうち少なくとも百万以上の損害が予測された。硫黄島でも沖縄でも損害は三分の一を優に超えていた。百万以上もの死傷者を出して勝利したとしても、決してそれは米国民の許容するところではなかった。

 結局、それがアメリカをして日本本土における決戦を躊躇せしめる最大の要因となり、アメリカは当初の無条件降伏要求を引っこめ有条件降伏にきりかえることになるのである。

 アメリカが日本に求めた無条件降伏の眼目は何であったか。非戦闘員たる一般国民数十万を平気で無差別爆撃しさらに原爆まで落して虐殺するようなアメリカが、日本に求める無条件降伏の柱は皇室の抹殺であり、わが歴史伝統の根底的破壊であった。つまり、日本を日本でなくしてしまい、未来永劫アメリカの脅威とならぬ隷属国にすることであった。

 しかし、アメリカがこれを要求する限り、日本は一億玉砕して戦い抜く決意を硫黄島や沖縄で敢然と示した。かくして、アメリカは皇室の存在を暗黙裡に認める条件付降伏に変更せざるを得なかったのである。

 つまり、硫黄島の玉砕が、アメリカの鉾先を鈍らせ日本に対する条件を緩和せしめる要因となったのである。敗北はしたものの栗林兵団の玉砕は決して無駄ではなく、わが国の終戦に大きな貢献をし、辛くも国体を守り抜き、日本を亡国より救う人柱となったと言いうるのである。

 栗林は総攻撃を決意した十七日、部下に最後の訓示を与えたが、その中でこうのべている。

 「諸君の今日まで捧げてきた偉功は決して消えるものではない。いま日本は戦いに敗れたりといえども、日本国民は……諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に涙して黙祷を捧げる日がいつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし」

 

◆今上陛下の硫黄島御訪問

 硫黄島の戦いから四十九年たった平成六年二月、天皇皇后両陛下は硫黄島を行幸啓された。それは同年六月に行われる御訪米を前に、日米両国が戦った硫黄島で亡くなられた方々をぜひ慰霊したいという天皇陛下の強いご希望によって実現したものである。

 両陛下は二月十二日、栗林兵団司令部のおかれた天山にある慰霊碑を拝礼され、水を汲み碑の上に注がれ白菊をお供えになられた。またその場で遺族らにお言葉を賜った。そのあと島を一周され島のあちこちに眠る護国の英霊に対し心からのご慰霊を尽されたのである。

 「先の大戦中の硫黄島における戦いは大洋に浮かぶ孤島の戦いであり、加えて地熱や水不足などの厳しい環境条件が加わり、筆舌に尽しがたいものでありました。この島で日本軍約二万人が玉砕し、米軍の戦死者も約七千という多数に上りました。

このたびこの島を訪問し、祖国のために精根込めて戦った人々のことを思い、また遺族のことを考え深い悲しみを覚えます。今日の日本がこのような多くの犠牲の上に築かれたものであることに深く思いをいたしたく思います。鎮魂の碑の正面に立つ摺鉢山は忘れがたいものでありました」

 このとき詠まれた御製が次のものである。

精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき

戦火に焼かれし島に五十年も主なき蓖麻は生ひ茂りゐぬ

    ※蓖麻=唐胡麻の別名、種子からひまし油をとる。

 同じく皇后陛下の御歌

銀ネムの木木茂りゐてこの島に五十年眠るみ魂悲しき

慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ

 玉砕将兵に対する両陛下の言い知れぬ切々たる深いお心がここにある。天皇陛下は栗林忠道大将始め二万名玉砕将兵に対して万感の思いをもって、「精根を込め戦ひし人」と賛えられたのである。皇后陛下のお歌もまた我々の胸を強く打つ。

 さらに今上陛下は翌年七月、東京都硫黄島戦没者追悼式に参列した遺族代表に対して次のようにのべられた。

 「硫黄島の戦いが終って五十年が経ちました。皆さんには七月六日の戦没者追悼式に参列し、この長い年月を振り返られることに深い感慨をお持ちのことと察しております。

 私どもは昨年二月、硫黄島を訪れました。慰霊碑に参拝し、島を巡り、水もなく地熱の高い厳しい壕生活の中で、祖国のために死力を尽して戦った戦没者をしのびました。二万の未来ある命が失われ、今なお一万の遺骨が地下に眠っていることに尽きることのない悲しみを覚え、今日の日本がこのような多くの犠牲の上に築かれたことに深い思いを致しました」

 陛下はここでも、「祖国のために死力を尽して戦った戦没者」といわれている。栗林は「日本国民は……諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に涙して黙祷を捧げる日がいつか来るであろう」とのべたが、誰よりも今上陛下が皇后陛下とともに栗林ら玉砕将兵の偉勲をかくも賛えられ、その死に涙され、衷心より慰霊の誠を捧げられたのである。そして、こうした思いを体せられて、訪米されたのであった。

 両陛下が硫黄島をご訪問された翌年、衆議院で終戦五十年決議がなされた。それから五年、日本政府は大東亜戦争を侵略戦争であるとし、日本が他国に顔向けできない罪悪を犯した国家であるとして、見るも無惨な卑屈きわまりなき謝罪外交を繰返し今日に至っている。偏向しきった歴史教科書も唯ひたすら自国をのみ非難してやまない。こうした日本政府の屈辱的姿勢の対極にあるものこそ、天皇陛下の硫黄島玉砕将兵への御慰霊である。

 アメリカは強敵日本を敗北せしめ長期の占領統治を行い、日本の弱体化、日本人の精神的武装解除に全力を尽し、大東亜戦争を侵略戦争とするいわゆる東京裁判史観を強要して日本人を洗脳してきた。

 その効果が最も出てきたのが平成の今日である。日本人としての自信と誇りの喪失は青少年のみならず、国家指導者を始めとする大人の方がむしろ深刻である。

 自国の歴史を忘却しこれを軽侮してやまず、偉大な先祖、護国の英霊たちを敬い誇りに思う気持を捨て去ったならば、その国民は間違いなく亡国の民、隷属の民と化すほかはない。

 いま何より大切なことは、自国の歴史と伝統に対する自信と誇りの回復であり、祖国を命がけで守り抜いてきた先人への敬愛と感謝の心をとり戻すことである。今上天皇の硫黄島御訪問、栗林大将ら玉砕将兵への御慰霊は、何よりそのことの大切さを我々に教えている。(完)(日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦)