ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

二代目王様とともにサンクチュアリの使命を果たしましょう。

家庭連合すなわち旧統一教会が変質していったのがいつからなのかはわかりません。

私が旧統一教会に入会したのは1974年の12月でした。その年は第二次七年路程の最終年で第二次七年路程に最後とはいえそれに引っかかって復帰されたのは意義が大きいとか先輩に言われたりしました。

その時は確か、人類の「希望の日」講演会の摂理が中心的で朴晋正熙(パクポーヒ)氏が講演しておられました。

年末のある日その講演会に行くと朴先生の声が一段と高らかに響き渡り、人類の偉大な指導者文鮮明先生が紹介されました。

文先生はなんと最前列に座っておられたのに全く気付かず、朴先生に壇上に上がるように誘われて、ややえんりょがちに見えたのですが、壇上に上がられて両手を振られました。

それがアボジを実際に見た初めての経験でした。まじそんな大会やら希望の日晩餐会の映像で何十回と見ていたのですが、その時の印象よりも小さくみえました。

後で先輩から聞いた話ではアボジは「第二次七年路程は失敗した。松濤本部はサタンがドグロを巻いているよ」と言われたとお聞きしました。

その時の私にはなんのことかほとんどわかりませんでしたが、お父様が小さく見えたのはそういうことなのかと思った記憶があります。

1960年から1968年一月一日までが第一次七年路程でお父様の御聖婚から神の日の制定までが家庭的勝利基盤であり、そこから74年までが第二次七年路程になり、民族的基盤を勝利しなければならない期間でした。それは五万の核心要員、五十万の会員を復帰するという伝道が目標でした。

しかし、それが、勝利できず、実体人間の復帰の前に象徴的万物の復帰が主なる目標となりました。

それから長い期間、万物復帰、すなわち経済活動が主な前線活動となりました。

ある程度原理原則通り、印鑑、人参の経済活動前線から、展示会活動、幸せ会のビデオセンター方式が定着し、80年代多くの壮婦が復帰されました。

やがてバブルが弾けて、90年代から社会的にも糾弾を受け、本来の原理的転換点を迎えられず、変質を続けていきました。

私が伝道された時が一つの転換点でした。

70年代、私は何度も路傍や電車の中で「伝道」されました。

最初は確か中3くらいで電車の中で小さな折りたたんだリーフレットに裏表難しいことが書いてあって修練会のお誘いがあったように思います。

何が書いてあったのか今となっては何も覚えていませんが、なぜか行きたいな、その修練会に出て見たいと思ったことを覚えています。

高校受験の時もあるし、将来そんなところに行ってみようと漠然と思っただけでした。

高校に入って部活も忙しく、繁華街の路傍やら阿倍野の歩道橋やらで声を掛けられて、神様はいると思いますか、とか聖書を読んだことありますか?とか聞かれた記憶があります。

結局、みことばを知ったのは、大学生になってから大学近くの駅頭で二度目のアンケートを答えて教会に行きました。

自分を振り返ってもキリスト教の基盤の無い日本での伝道は難しかったのだなと感じました。

私の家計は神道で本家は平安時代から続くと言われる神主の家系です。

しかし、本家の跡取りは徳島大学で教授をして神主は途絶えそうだと聞いたこともあります。母親は結婚後カトリックに入信して小学校の低学年までカトリックに通いました。

仏教は献身後、少し独力で学びました。

それで有名な讃美歌は皆知っていました。

サンクチュアリの聖殿シックは特別な位置にいます。

それだけにその特別な位置にふさわしい使命を果たすべきだと思います。二代目王様から使命を授かっています。

天一国憲法をしっかり学んでそれを社会の上層部に伝えていく使命、ミクロの摂理をマクロの摂理につなげる使命があります。トランプ大統領を支援して。この国と世界を守る使命があります。

それは単に知識を増やしていくことではなく、得た知識が血となり肉となって魂を活かすものとならなければなりません。

私が復帰される前、本当に初期の統一教会の頃、機関紙(誌)になんと懸賞論文の募集がありました。そのテーマは「イエス様の十字架は本来の使命であったのか」という趣旨であったと記憶しています。

イエス様の十字架の死は神様の最初からの予定であったのかそれとも二次的に与えられた使命であったのかというような説明があったように思います。

世界のどの国からでも天一国は可能でしょう。またアメリカが最も重要な国であることは確かです。

しかし、日本がアメリカを支えなければなりません。

長男の国が大黒柱の国となったとしても支える国が必要です。母国という言葉があります。たとえ世界にこの国から貢献する人材が、どんなに現れてもそれは絶対必要ですが、それと同じようにこの国自体がアメリカとともに世界を守る国として存在がますます重要であると確信しています。

私はこれから日本が神様から祝福を受けるだろうと確信しています。これまで北朝鮮問題を中心として厳しい予想が多く、艱難の予想をせざるを得ませんでした。

それとともに試練の後には神様の祝福があることも事実です。祝福のたねは蒔かれつつあると思います。

それを蒔いているのはサンクチュアリのシックです。

かつて松濤本部に毒ヘビがドグロを巻いていましが、サンクチュアリには小さなヘビがいるかどうかは知りませんが、大蛇や毒蛇はいないのです。家庭連合には 家庭連合すなわち旧統一教会が変質していったのがいつからなのかはわかりません。

私が旧統一教会に入会したのは1974年の12月でした。その年は第二次七年路程の最終年で第二次七年路程に最後とはいえそれに引っかかって復帰されたのは意義が大きいとか先輩に言われたりしました。

その時は確か、人類の「希望の日」講演会の摂理が中心的で朴晋正熙(パクポーヒ)氏が講演しておられました。

年末のある日その講演会に行くと朴先生の声が一段と高らかに響き渡り、人類の偉大な指導者文鮮明先生が紹介されました。

文先生はなんと最前列に座っておられたのに全く気付かず、朴先生に壇上に上がるように誘われて、ややえんりょがちに見えたのですが、壇上に上がられて両手を振られました。

それがアボジを実際に見た初めての経験でした。まじそんな大会やら希望の日晩餐会の映像で何十回と見ていたのですが、その時の印象よりも小さくみえました。

後で先輩から聞いた話ではアボジは「第二次七年路程は失敗した。松濤本部はサタンがドグロを巻いているよ」と言われたとお聞きしました。

その時の私にはなんのことかほとんどわかりませんでしたが、お父様が小さく見えたのはそういうことなのかと思った記憶があります。

1960年から1968年一月一日までが第一次七年路程でお父様の御聖婚から神の日の制定までが家庭的勝利基盤であり、そこから74年までが第二次七年路程になり、民族的基盤を勝利しなければならない期間でした。それは五万の核心要員、五十万の会員を復帰するという伝道が目標でした。

しかし、それが、勝利できず、実体人間の復帰の前に象徴的万物の復帰が主なる目標となりました。

それから長い期間、万物復帰、すなわち経済活動が主な前線活動となりました。

ある程度原理原則通り、印鑑、人参の経済活動前線から、展示会活動、幸せ会のビデオセンター方式が定着し、80年代多くの壮婦が復帰されました。

やがてバブルが弾けて、90年代から社会的にも糾弾を受け、本来の原理的転換点を迎えられず、変質を続けていきました。

私が伝道された時が一つの転換点でした。

70年代、私は何度も路傍や電車の中で「伝道」されました。

最初は確か中3くらいで電車の中で小さな折りたたんだリーフレットに裏表難しいことが書いてあって修練会のお誘いがあったように思います。

何が書いてあったのか今となっては何も覚えていませんが、なぜか行きたいな、その修練会に出て見たいと思ったことを覚えています。

高校受験の時もあるし、将来そんなところに行ってみようと漠然と思っただけでした。

高校に入って部活も忙しく、繁華街の路傍やら阿倍野の歩道橋やらで声を掛けられて、神様はいると思いますか、とか聖書を読んだことありますか?とか聞かれた記憶があります。

結局、みことばを知ったのは、大学生になってから大学近くの駅頭で二度目のアンケートを答えて教会に行きました。

自分を振り返ってもキリスト教の基盤の無い日本での伝道は難しかったのだなと感じました。

私の家計は神道で本家は平安時代から続くと言われる神主の家系です。

しかし、本家の跡取りは徳島大学で教授をして神主は途絶えそうだと聞いたこともあります。母親は結婚後カトリックに入信して小学校の低学年までカトリックに通いました。

仏教は献身後、少し独力で学びました。

それで有名な讃美歌は皆知っていました。

サンクチュアリの聖殿シックは特別な位置にいます。

それだけにその特別な位置にふさわしい使命を果たすべきだと思います。

天一国憲法をしっかり学んでそれを社会の上層部に伝えていく使命、ミクロの摂理をマクロの摂理につなげる使命があります。トランプ大統領を支援して。この国と世界を守る使命があります。

それは単に知識を増やしていくことではなく、得た知識が血となり肉となって魂を活かすものとならなければなりません。

私が復帰される前、本当に初期の統一教会の頃、機関紙(誌)になんと懸賞論文の募集がありました。そのテーマは「イエス様の十字架は本来の使命であったのか」という趣旨であったと記憶しています。

イエス様の十字架の死は神様の最初からの予定であったのかそれとも二次的に与えられた使命であったのかというような説明があったように思います。

世界のどの国からでも天一国は可能でしょう。またアメリカが最も重要な国であることは確かです。

しかし、日本がアメリカを支えなければなりません。

長男の国が大黒柱の国となったとしても支える国が必要です。母国という言葉があります。たとえ世界にこの国から貢献する人材が、どんなに現れてもそれは絶対必要ですが、それと同じようにこの国自体がアメリカとともに世界を守る国としての存在がますます重要であると思っています。

私はそのように確信しています。

ある喫茶店で家庭連合の壮年に出会いました。霊界は近い?

先日日曜日に夫婦でよく行く喫茶店でたまたま一人でモーニング食べていたところ、少し離れたところに見覚えのある人が座っていました。

家庭連合で同じ教会に通っていた壮年が二人で来ていたのです。この喫茶店にはもう五年以上来ていて初めてシックに会いました。

少し様子を見てから声をかけると、おータメサダさんじゃないですか久しぶり!と言ってきたので、こっちのテーブルにおいでよと誘うと二人してニコニコして同席して来ました。

前回紹介したベンハーの映画を見て、お父様がシックに会いたい、とおっしゃっていたその翌日だったので何かあるのかなと思った矢先、本当に久しぶりに家庭連合の壮年に会いました。う〜ん。霊界は近い!って感じます。

家内が、スーパーで家庭連合の人に会うと挨拶と一言二言話しすることもあったりするらしいのですが、ある本家庭の人なんかはあーと叫んで慌てて逃げ出す人もいて話す機会もなかなかないのですが、そこは男同士、いやー今日は会えてよかったと満面の笑みで喜んでくれます。

というかまあ、そういう壮年同士の付き合いを特にサンクチュアリに来るまでの数年間は作りあげて来た自負もあり、またもともと仲の良い教会の壮年だったところかもしれないのですが。

壮年特に規制家庭の夫たちは奥さんに連れられて教会に来て祝福を受けて来たので、なかなか奥さんの反対を超えてこっちに来ることは難しいのが現状です。

たまたま会った二人は難しい話しは苦手な人でしたので私が誘った壮年男性二十人の中にも入っていませんでした。

サンクチュアリのことは話さず三十分くらい朝食を食べながら、礼拝の時間まで話して、また日曜日この場所でたまには会いましょうと言いながら、別れました。

多分礼拝後の昼食を壮年同士で食べている間とかに私と会った話しが出ているでしょう。

もし婦人達の耳に入れば、あの喫茶店はサンクチュアリに行った誰それがよく行っているから言ってはいけないということになるかもしれません。

しばらくすれば自ずとわかることですが。

なんとも不自由な人間関係です。お互い付き合って来た仲間がろくに話もできないということは世の中でもそうはないことでしょう。

しかし私たち夫婦に会ったり話しをしたりすれば、かならずアベル最終的に壮年部長、婦人部長、教会長に報告することというメールが流されています。実際そのメールを見せてもらったこともあります。永遠の命がかかっていますと書いてありました。

いずれにせよやがてこの組織は崩壊することでしょう。

その時の受け皿が必要です。幹部は罪が深く厳しいでしょう。しかし、あー、会えてよかった、嬉しいと素直に言ってくれる末端の一般シックは受け皿次第で帰って来れそうに思います。

このブログも家庭連合の本部または地区本部あたりが読んでいるのでまた警戒のお達しが出て来るかとしれません。

ご苦労様なことです。そしてさらに罪を重ねていきます。

誘っても誘わなくてもサンクチュアリー に来る人は来るのです。来ない人は来ないのです。サンクチュアリに行かないようにと圧力をかけたり、反サンクチュアリの宣伝、プロパガンダをすれば、罪がまた深くなります。

私のブログを読んでいる家庭連合の方々よ。これ以上罪を重ねないよう勧告、警告します。

私に対する警戒はわかりますが、今の韓国人教会長は教会長在籍期間がとっくに五年を超えています。呆れる長さです。笑ってしまいます。

この喫茶店は日曜日とかに夫婦か家族でモーニングを食べに来ます。

例えば、ワンコインで、たっぷりの野菜サラダ、四種類の果物、目玉焼きにコロッケ、パンに飲み物まで付きます。

その日は妻が半年に一回の職場の懇親会で日帰りツアーに参加したので私一人が立ち寄っていました。

懇意の市会議員が来ていたり、私たち夫婦のファンという方もおられて軽い社交場にもなっています。

さあ、今日も頑張りましょう。

このブログの五つの方向性。そして、映画ベンハーを観て。

このブログで扱う内容は大きく分けて、誌上説教や信仰観、日本をキリスト教的土壌にしていく文化論、韓半島を巡る主に安全保障上の問題、トランプ大統領を中心とするマクロ的摂理、自分や身の周り的な随想など多岐にわたっています。

その方向性はみことばを咀嚼し、生活や人生の中に落とし込んでいく方向のもの、個人も家庭も吹っ飛んでしまう安全保障上喫緊の課題、また、中、長期的日本人としての課題さらにマクロの摂理の重要な課題、最後に全く個人的、家庭的、家庭教会としての身の周りの様子を綴ること、がそれぞれ対応して方向性をもっています。

3月から5月にかけて韓半島の問題が緊急的でしたのでそれに集中しましたが、一段落して、ブログの内容を検討した結果だいたい先ほど紹介したようなものがこれからも出てくるのかなと整理されてきました。

ブログを書くことは私自身の成長にとっても重要です。また読んでくださった方々がいろんな感想やら参考をしていただくことでともに成長したりして、ひいてはみ旨の前進につながればと願っています。

今日はキリスト教の定着化を自分自身を例に取り考えてみます。

先日たまたまケーブルテレビで映画ベンハーをやっていました。ちょうど戦車での迫力あるシーンあたりから見たのですが数十年ぶりに観たせいか新鮮でした。

そして昔の記憶とは全く違った感想を抱きました。

映画観賞にもいろんな段階があるのだなと改めて感じたのです。

一般的にはハデな戦車の競争の場面の紹介が多くスペクタルが見どころなどと言われます。

次の観賞のポイントは主人公の恋人が、イエスに出会い、心洗われて平和を求めて、さらにはやがて憎しみに燃える主人公もイエスに感化されて改心していく心の変化を見どころにする見方があります。

ここはこの映画の最も狙ったところかもしれません。

さらにはこの映画では疫病と訳されていましたが、最近ではハンセン氏病と呼ばれている感染症(昔はらい病と呼ばれていました)となっていた主人公の母親と妹がイエスと出会った直後にあっと言う間に治ってしまうのもう一つのクライマックスでした。

二十代のころ観た記憶では奇跡信仰には違和感があるな、イエス様は奇跡を起こしたが故、民衆はついてきたが、信仰は歪んでしまったという感想がメインでした。

今見てみると映画の製作者や原作者の意図はわかりませんが、その疫病で爛れて肉体が崩れていく様子が、(映画ではそれほどリアルではありませんが、悲田院その他で昔から日本でも知られている病気ですので)想像できます。

すると映画の意図とは別にそれは肉体上のことですが、堕落人間の霊人体の姿に思えてきたのです。

イエスの奇跡は病気を治したり、死人を生き返らせたり、海の風といった自然現象もありました。

しかし、作者は多くの奇跡の中でたった一つの“らい病”を取り上げました。それは映画や文学上効果的であったのかもしれませんが、私には人間の霊人体を暗示、象徴しているように思われました。そう私には疫病による感染は即霊人体の悪化している姿を想起させるものでした。

その時の私自身の課題と思えるものに直結していたからでしょう。

魂が美しくなることをその時切望していました。

私はその時その映画を見ながらイエス様に出会い、また再臨主に出会いました。神様の堕落人間を救いたい心情に出会い涙がとめどなく流れ、嗚咽していました。

そしてお父様が言われました。

「私が愛してきたと家庭連合のシックたちがああいう姿になってしまったよ。もう一度前の姿で会いたい」と嗚咽して泣きながらおっしゃいました。変わり果てた韓氏オモニを見るのはよほどのきつい色付きの眼鏡でしかご覧にはなれないのかもしれません。

今の段階でお聞きできるものではありません。