ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

信仰の成長過程とは?

信仰には成長過程があります。人間の大人になるまでの成長過程と比較してみましょう。統一思想では、7歳くらいまでを情緒教育、14歳くらいまでを規範(善悪)教育、21歳くらいまでをて天才(技術)教育、としています。情緒教育では親の愛情を感じて、親を絶対的に信じて、親の言うことは全て正しいと思います。そこには自分の判断を主張する明確な根拠を持っていません。親が嫌だ、嫌いだ、と思うことが悪であり、親が喜ぶことが善であります。


しかし、14歳ごろまでになると親が必ずしも全ての面で絶対的な存在ではないと気付き始めるとともに自分の感性や自分なりの判断ができてきます。この段階を思春期の始まりとか、時に反抗期とか一般的に言います。これは同時に自分の判断で善悪をしっかり認識して行く時期にあたります。異性に関心ができて、また関心を引きたいと思うようになりますが、異性問題では善悪の基準が絶対的に必要です。


最後に社会に出ていくために、どのような分野で身を立てるか?社会性や専門分野、職業の選択に必要な教育があります。それは本人だけの適性や、自覚する使命分野、貫きたい、やり遂げたい社会や家庭での責任や貢献を見いだし、実行するための教育があります。



信仰においても神様、メシヤを知ってまず自己を否定して、神様、メシヤの代身であるアベルに従います。神様がよくわからないので、アベルの判断に委ねます。アベルの意向や、願いに応えることが信仰であると自覚してそのための努力を惜しみません。それはいわば、幼児教育に近いものです。しかし私達はもはや幼児ではありませんし、いつまでもそれで良いはずもありません。


原理を理解して生活に応用して真の愛が信仰を自己の内面を見つめて、成長しなければなりません。そうでなければいつまでも幼い信仰の持ち主となり、世の中からも思考停止状態にあるとみなされます。そしてそれを幹部達は利用し、またそのような幼い信仰のままにさせようとします。その方が扱いやすく、言葉を変えれば主管しやすいからです。そして、成長するための様々な情報から遠ざけます。


これは一見、幼い信仰を守るための思いやり、配慮のようですが、いつまでも幼い信仰のままにさせようとする危険きわまりない教育です。それをサタンは狙っています。いつまでも小学生、幼稚園児で良いはずはありません。中学生にもなれなくて良いでしょうか?中堅幹部レベルでもほとんどが中学生にもなれるかどうか。ましな人でも中学生程度です。例えば、原理講論はほとんど理解できて中学生卒業レベルでしょうか。



タマルの信仰、胎中聖別、原罪清算、さらにはイエスの結婚とザカリヤ家庭との関係、マリヤとエリザベツの関係などすでに明らかにされた重要なみ言葉があります。最近では八定式や信仰の八段階、神氏族的メシヤなどがあります。それを現実の世界に応用して問題解決をしていくつまり受肉化していく必要があります。少なくとも理解できていなければなりません。



さらには未だ定着化できていない様々なみ言葉があります。原理本体論も消えてしまいました。真のメシヤ観すらはっきりしません。それを確立研究するのが大学、大学院以上のレベルです。例えば、経済学を学ぶのに私達のあるいはその前の世代ではマルクス経済学か近代経済学かを選択しなければなりませんでした。マルクス経済学を選べば、それはサタンの経済学です。今、お母様が神様であるという神学が登場しようとしています。それでも良いという話もあるのです。それをどう判断しますか?全てを

アベルに委ねますか?セマウル号でしょうか?


この大艱難の時代をどのように乗り越えますか?お母様ですら、最後の最後で乗り越えられ無かったこの時を。ですから神様は24時間、365日祈り続けているというのです。私達、一人一人のために。自分の内面の奥深くにある本性に目覚め成長させ、神様を掴みましょう。



追記。

お父様が聖和される数カ月前に統一教会は失敗したと言って号泣されたという話を以前しました。その情報の根拠は?という質問を受けました。2年ほど前に太田洪量世界平和連合会長のある教区本部教会での講話で直接聞きました。ただ、失敗したことの理由については確かな言及がなかったのではないかと思います。私達食口の足らなさのような印象であったと思います。

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