好き!という感情の根源はどこから? 韓国と日本は友達なのか?
朝、トラックに乗って仕事している時よくラジオを聞きます。大抵NHKですが、今朝も“すっぴん”という番組を聴いていると面白い話が聞けました。
出演者の高橋源一郎という作家が講師をしているところの学生相手にアンケートを集計して面白いことがわかったというのです。その日のテーマが“秘密”ということで誰にも話したことのない自分だけの秘密を学生達に書いてくださいというテーマなのです。
書いた人の名前は不要で用紙を提出した後シャッフルして、誰が何を書いたか全くわからない状態にして秘密を書いてくださいということで何年もやったところ興味深いデータが出て来たそうです。
毎年必ず同じ内容が一番多くしかも全体の二割ぐらいを占めているとのことのようでした。
相手の女性アナウンサーが気になって、“浮気”のようなものですか?と聞くと全く違うのだそうでした。
答えは実は友達が嫌いという内容が一番多いそうです。
アナウンサーも呆気にとられていました。
高橋さんはそのことを友達を失いたくないし、友達いない人にはなりたくない一心で嫌いなのに友達として付き合っていると分析していました。
「それってもう友達じゃないよね。」
と彼は上から目線でしたが、わかるような気がします。
学生同士がほとんどでしょうから仕事上の付き合いで友達ということではなさそうですが、それ以外でも利害関係はありそうです。
若い頃特に友達いないのは結構辛いのだと思います。確かに嫌いだけどいま付き合えるのはあいつしかいないし、誰もいなくなるのは耐え難い、選り好みしてある立場じゃない、って結構ありそうです。
なぜこんなこと書くのでしようか?
日本と韓国のことを考えてしまいます。隣国であり、かなりの付き合いもあったはずですし、いまもありますが、好きではないのかもしれません。嫌いなのに必要?ってことでしょうか?
考えてみると家族はどうでしょう?夫婦はどこまで「好き」なのでしょう?
一番純粋に好きなのは親子でしょうか。それも子供が赤ちゃんの時、お母さんがおっぱいをあげている時、絶対「好き」!ですし、子供が小さい頃ほぼ絶対好きなのがお母さん、最近はお父さんもでしょうか。
そして歳をとるにつれて好きなんだけれど嫌いと思えることも増えてきたりします。
そして秘密も増えてきたりします。
私は考えてみます。それでは私は神様をどれくらい好きでしょうか?
お父様はどれくらい?
私が行きたくない道、いたくない事情に囲まれてみる時、好きと言えなかったりします。
好きと心から思える時、どんな道でも行きます。と祈れるのに。
ひとを心から好きの思える感情は神様が与えてくださったのだと思います。
でもお父様も自然を相手にしないと神様と通じなくと言われることがあります。蜜蜂と花の関係をご存知でしょうか?ミツバチは蜜を吸うとお尻を掴まれても体が半分持っていかれても蜜を出す花を離さないそうです。
それくらい蜜が好きというわけです。このような万物の姿を見ても、好きという感情はどこからきたのでしょうか?
神様の創造からそれは始まったと言われています。
それでは神様が万物、人間を創造される前には好きという感情はあったのでしょうか?
なかったという結論になります。
創造前の神様、つまり夜の神様には好きになる対象がなかったのです。
ではどこから好きという感情が始まったのか、その感情を生まれた時それを「聖霊」と呼ぶのだとわかりました。
それが先日の諸星くるとさんの礼拝でわかった結論です。
万物と人間を創った時、そこに好きという感情が出発しました。その感情の本体を聖霊と呼んでいるのかと。
神様という根源に近づいた時、ひとは本当の好きに近づくのだと思います。
翻って韓国と日本も「好き」になる道はあると思います。
韓国聖殿と日本聖殿は互いに好きになる根源に触れて、その実体の開拓者、先駆者、体現者になりましょう。
見せかけの付き合いではなくまた本音と言いながら、悪いところを探しうそを鵜呑みにすることなく真の愛情を実体化させましょう。
ただ、韓国から脱出するという危機から、危機を超えて本然の根源に近づくチャンスにしたいものです。