ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

日韓の連携、協力を困難の中で考えます。ささやかでも確かな一歩を!

個人としての自由と責任はその個人が守り、守られる家庭においての自由責任があります。

そしてその家庭を守る氏族さらに大きな民族の国の自由と責任があります。

その意味で隣の国であってもその国の自由があり、その国はその国の責任があるのだと思います。

その意味で韓国は韓民族としての韓国国家の選択の自由があり、責任であると思います。

日本で親韓派であった多くの人々、識者達が、韓国とは距離を置くようになりました。

かつてはそれは日本にとっても良い意味でもそうでなくても韓半島は日本の生命線と呼ばれてきたのです。

ブログ村においても西郷隆盛も含めて日本がキリスト教をもっと深く大きく取り入れていたならば変わっていった歴史だったと指摘がありますが、私もそう思います。

日本は徳川時代過酷なキリシタン弾圧をしました。しかし一方で西洋に対しての警戒感が強かったので、鎖国の定義は別にして、西洋列強の侵略から守れた面も否定できないでしょう。

日本にとって秀吉を除いて中国、特に徳川時代は韓国を先生として儒教を取り入れてきました。それはキリスト教文明とともにもう一つの東洋文明の手本としての韓国がありました。

徳川家康はその道をもう一度切り開いた先達であり、功労者でした。

もし、韓氏オモニの失敗がなく勝利していたならば、その功績は高く評価されてもおかしくなかったでしょう。

しかし、大きく歴史は転換してしまいました。

話を戻すと明治新政権は西洋文明を取り入れようとして必死でした。

その場合の精神は和魂洋才つまり日本人としての精神性を重視し、科学的な面での西洋文明は積極的にそれこそ懸命に取り入れようとするものでした。

その時、全くもって西洋文明の受け入れを拒否したのが当時の韓国、末期の李氏朝鮮でした。

明治新政権の落胆は大きく、やがて福沢諭吉のように脱亜入欧の考えが日本を主導するようになってしまいました。

日本においてキリスト教の精神は非常に限定的にしか、取り込めず、次第に国家と神道が結びついた思想が高揚し、右翼全体主義的な考えが主流となってしまいました。

それは韓国にとっては甚大なダメージを与えました。

しかし、それがトラウマのように韓国民族の傷となり、安倍政権をまるで戦前の亡霊の復活のように嫌っているのは安倍政権ひいては日本に対する誤解でしょう。

いずれにせよ日本と韓国の結びつきは歴史的にみて深く太いものがあります。

さて本題ですね。韓国、日本は世界の問題をシンプルに考える必要があります。

トランプ大統領に対する評価もそうですが、最も大事な問題の優先順位をつけて問題意識を明確にすべきです。

まず、アメリカはロシアとの問題で躓いているウクライナやシリアの問題から深刻名対立や戦争紛争の拡大を防ぐべきです。

それは世界大戦にまでもたらしかねない事態であり、特にグローバリスト達が戦争を引き起こそうとすることを阻止することです。

次にイスラム過激派のテロを防がねばなりません。それは将来対イスラムとの全面対立、そして文明戦争に発展しかねない引きがねのようなものです。

次に北朝鮮問題です。この問題ではアメリカだけでなく当然韓国も日本も連携し、協力しなければなりせません。

もちろんアメリカがその中心です。韓国はそれがずれているという深刻な問題を抱え、さらにそれだけでなく日本との協力ももちろん否定的な方向に行っています。

グローバリズムつまり世界全体を考えるというならば、この最も深刻かつ喫緊の課題を最優先して取り組まなければならないのです。

どうしてこの事態に目を背けて韓国は自分たちの感情や情緒を優先しているのでしょうか?

話は変わりますが、先日、日米韓の連携、協力を訴える集会、デモ行進に出席してきました。

様々な団体が寄り合い世帯で企画、実行しました。

まことに必要なタイムリーなイベントです。百人足らずの小さな規模でした。

しかし、主催者の一人が、小さな小石で海底叩くようなものでほんの小さなさざなみしか起こせないけれど、誰かがはじめて続けていけは行けば、やがてあちこちでさざなみが起きて最後は大きな津波となっていくと信じると言っておられました。 アメリカとの連携は誰しも納得ですが、在日中心とはいえ日韓の連携は彼自身もたいへんな葛藤があったと言っていました。日韓の連携、協力相互信頼という課題はそれほど今大変なのです。

予定を変更して急遽来られた江利川会長も主催者のその言葉に感動されて別な予定もあったけれど来てよかったと喜んでおられました。

議論も大切ですが、小さくても確かな一歩ももっと大切ではないでしょうか?

日本各地で、路傍遠別やビラ配りなど頑張っておられる聖殿食口にエールをお送りします。

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