777さんにお答えします。お父様と一体化した亨進様の厳愛。
神様が囹圄の立場であるということとエバが囹圄の立場であるということとは全く次元が違います。エバは堕落してサタンと関係を結び、囚われの身となりました。神様は愛する愛娘がサタンと不義の関係を結び、サタンと一体化したため、千秋万代の恨みを抱く身となられました。確かに同じ立場に身を置いているかの表現は神様の無限の愛を見せてくださっているような思われます。
しかし、そのエバや神様を囹圄から救い出せるのは神様ご自身でもエバでもなく、真のアダムであるメシヤしかいないのです。そしてお父様が霊界に行かれたので、その使命は後継者である亨進様が相続されました。
亨進様はメシヤとしての後継者ではないとの議論がありますが、亨進様が、メシヤ自身ではないのはその通りですが、メシヤの完成されていない使命の相続者であられ、その使命を成就するためにメシヤの代身としての権能を持たれています。
その意味ではメシヤと私たちをつなぐ仲保者であり、またアベルの中のアベルであると言えるでしょう。私達はお父様のご子女様の中でカインの立場を代表しておられる国進様と一体化して、ともに亨進様をお支えしなけれはなりません。
さて、777さんはお父様の真の愛は自分の妻までもサタンに与えて、それでも許し続けることと表現されておられるようです。亨進様にもそのような愛を求めておられるのですか?そしてそのような愛を真の愛としてあらゆる人に求めていかれるのですか?
とんでもないない話です。怨讐を愛せよ!というみ言葉は真実です。しかし、自分の愛する子女や、家族が現にいま罪を犯し続けて、非行に走っていて、それをただ見ていて、地獄に引っ張られていく姿を見て、許し続けるというのはとんでもないことです。
命懸けで叱り、引き戻さなければならないでしょう?愛するものをサタンから引き離すの深刻ではないですか?それではまるで非行したのは悪い友達のせいで私の子どもは被害者です。と自分の子どもを甘やかすダメな親と同じではありませんか?
自分の子どもを命懸けで真剣に叱り、罪に引きずり込ませる悪い友達を厳しく分別して更生させようとするのは当然ではないですか?
それとも多くの幹部達が言うように亨進様は幼いですか?親を叱るなどと無分別な未熟な姿ですか?イエス様は30歳からの公生涯です。母マリアを叱り、パリサイ人、律法学者、宮の商人達に対して怒りをあらわにされました。そのようないお姿を今日幼い、未熟などと言う人はいません。
罪を糾弾することはその人が憎くてするのではありません。愛するからするのです。さらに申し上げたいことは山ほどあります。もし、反論がおありでしたらしてください。お父様の無念なる胸の張り裂けるほどの痛みを、亨進様の耐えに耐えてきた心の叫びをお伝えします。
過去に起きたことではありません。いま現在おきていることです。