72回目の終戦記念日に寄せて。敗戦の時と同じく日本と韓半島に国難が迫っている。
昨日は戦後72年を迎えた72回目の終戦記念日でした。この日は日本人にとってもちろん感慨深いものがあります。
この72回目というのは私にとっては節目の年であると考えています。
毎年終戦記念日を迎えるわけですが、特に今年ほど感慨深いものがあったことはありません。
よく巷では戦争絶対悪といった声もよく聞きます。そういった立場からは特に戦争体験を風化させてはならないという話しによくなります。
それも一定の理解ができますが、私なりには終戦というと終戦間近に行われた特攻の悲劇が毎回のように思い起こされてきました。
日本の国を守った英霊達にどう向き合い、何を感じ、どう生きていこうとするのかといった感じです。
もともと特攻に対する敬意と感謝はありましたが、そのような思いを強く思うきっかけがあったのかと言えば、80年代後半に日本にお見えになった、文鮮明師の次男興進師が広島など日本の戦争の犠牲者などを慰霊されて回られた時の印象がありました。
特に当時、たまたま広島にいたこともあり、広島での慰霊の様子をお聞きして涙が止まりませんでした。
広島での原爆の被災により、日本を代表する立場( 原爆投下により日本の敗戦が決まり、本土決戦が回避された )で犠牲になられた方々はどれほど苦しかったのか、またどれほど無念であったということ、またそれらの方々の恨みが解かれていく様子、神様の愛が感じられてまた泣けて仕方ありませんでした。
しかし、次の鹿児島での特攻での記念館に興進様が行かれたときのご様子を伺って、本当に身が引き締まる思いでした。
それは特攻での記念館に興進様が足を踏み入れられた瞬間からお顔が別人のごとく変わられて、「ここには日本で最も純粋な自己犠牲の心であふれた聖い日本の若者の魂に満ちている。」という趣旨のことばを語られたのです。
そこで明らかに他の場所とは全く違うまさに神様とともに号泣という涙の祈祷をされたということでした。
人間的には同じく若き日に友のために自らの命を犠牲とされた興進様とは同じような気持ちが通じ合っておられた面かもあるのかとも思いました。
私は同じ日本人として彼らに恥ずかしく無い生き方をしなければならないと思い、時折彼らの純粋な国や家族や将来の日本を思う気持ちを共有したいと考えてきました。
今年の終戦記念日はそのことよりももっとさまざまな思いが絡んでいます。
それはまさに七十年以上前の国の危機と同じ国の危機が迫っているからです。
七十数年前の日本は国際情勢での冷静な認識が足りませんでした。
太平洋戦争に至る敗北に向かう歴史的流れに向かって抵抗することも別な道へ向かうこともできませんでした。
何か別な道があったという研究の成果もなく、従って認識もありません。
今の北朝鮮もそうですし、韓国も結局同じ流れの中に入ってしまいそうです。(つまり北朝鮮の戦略のなかに取り込まれつつあります。)
日本は明治維新以来、西洋列強に対して追いつけ、追い越せとばかり、富国強兵の道を歩んできました。
戦後、軍国主義の道を敗戦により、閉ざされて、経済大国の道を目指しました。
もし、あのとき敗戦がなかったらどうだったでしょうか?
いずれにせよあのような劇的な幕切れでなかったにせよ、それまでの歩みの延長は行き詰まって大日本帝国は倒れたのではないかと思います。
戦争の災禍は二度とあってはならないとよく言いますが、あの災禍を伴う敗戦無くして日本が変われたという保証はどこにもないでしょう。
これは全く難しい問題です。
北朝鮮を今の価値観から、非難するのは簡単ですが、日本は悲惨な敗戦無くして軍国主義を捨てることはできませんでした。
よって戦争無くして北朝鮮を封じ込めるには日本のこれまでの経験からすれば、難しいかなという結論になります。
従って、日本を超えた考えがどうしても必要となります。
その葛藤のなかで72回目の終戦記念日を迎えました。
次回は日本が過去の経験を超えて、日本も含めた国際平和へのどのように道を開くのか考えてみたいと思います。