ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

二代目王様の「準備しなさい」から考えたこと。

9月23日に向かって準備しないと亨進様は語られています。

非常に具体的に語られているところもありますが、私は次の礼拝の箇所に注目しました。

なぜなら、どのような準備をすべきなのか、そのはポイントは何なのか、考えるヒントが欲しかったのです。

サンクチュアリnewsからの引用です。いつも翻訳など本当にありがとうございます。

〜引用開始〜


8月27日日曜礼拝

翻訳:管理人

(抜き書きです。)

「 終わりの時に意識しておかなければならない重要な、重要な、重要なことは何か。

終末が容易いものだ、この先3年半が生易しい時だと夢にも考えてはなりません。

だから準備する、備えることが重要なのです。

その準備のレベルに応じて変わってくるでしょう。

霊的レベルから、心理的レベルからずーっと、

そのすべてのレベルで完全に備えることは無理です。

しかし少なくとも、今よりは、良く備えることはできるでしょう。

簡単なことから始めればいいのです。

考え方を変える、それをあなたから初めるといいのです。 」


〜引用おわり〜


「考え方を変える、それをあなたからはじめるといいのです。」とあります。このことばから具体的な準備ももちろん必要だが、まず考え方から変えることからでももいいと話されています。

そこで私は自分をリセットすることを考えました。還暦は過ぎたのですが、還暦を迎えた頃、家庭連合のあり方、特に中央(幹部)に絶望的になっていましたので、仕事も行き詰まり、いろんな面で限界でした。

61歳を迎える少し前に亨進様のサンクチュアリを知って、2年半走ってきました。

還暦は人生のリセットであると言われています。

「還暦の手習い 」という言葉もありますが、普通は引退した後に始めることを指すようですが、引退どころか、あらゆる意味で走り続けるしかない人生です。

さて、そんな自分がする「還暦の手習い」ならぬ還暦過ぎての「準備」とは?


まずは霊界に行く準備するのが本当でしょうが、このままではどこかで「野垂れ死」かもしれません。

「野垂れ死」んでもよいので、霊界では割といいところに行きたいという欲が残っています。そのためには地上でもう少し頑張らなくてはとも思えます。

そこでまず一番やり残していること、それはまず「片付け」と「整理整頓」です。

昔から掃除は心を磨くようにするとよいと言われていますか全く苦手です。亨進様は考え方から変える」とありますので、そのように考えてやってみたいと思います。

次になるべく健康体となって70歳までは少なくとも働くこと(就職が決まりました。アルバイトですが、1年更新70歳まで可能)です。格闘技はちょっと無理なので体を強くします。

それから、日本を守り、天一国に繋げていけるように準備していくことです。

韓国が厳しくなっているので、道連れにならないように、精魂傾けていきます。

それだけで気が遠くなりそうです。

しかし、準備が必要だという亨進様の教えに従い、やり通すつもりではいます。

ここで思い出すのが三代主体思想です。主体思想というと北朝鮮の主体(チュチェ)思想を思い出すのですが、全く違います。

わかりやすく言うと、(仏教で申し訳ないですが)日蓮大聖人の三大誓願と同じ内容です。

(Yahoo!知恵袋のベストアンサーからの引用です)


○我日本の柱とならむ・・・主の徳


○我日本の眼目とならむ・・・師の徳


○我日本の大船とならむ・・・親の徳


これを文鮮明先生の言葉に置き換えると「主人の愛」.「師の愛」.

「父母の愛」となります。

これは準備というよりこのようでありたいと願う、願望とか目標のようなものです。

何を準備していいのかわからないものにとって具体的ではない気もします。

しかし、亨進師のお言葉の中の準備に出てくる物の中で、お金がないので土地も持てず、日本の法律では銃も持てず、お金に替えるものも持てず、なのでこのような考え方から始めたいと思います。


主の徳:「主人の愛」とは主人の主体ですから対象を保護し、大事にして幸せを実感してあげらるようにしてあげる愛です。

師の徳:徳「 師の愛」は先生の愛情ですから、目下の人をいつくしみ幸せになれるように導いて あげることです。

親の徳:「父母の愛」とはどこまでも、尽くしてあげたい永遠に変わらない愛です。


結局、文先生のお姿に少しでも近づきたいということのようです。このような決意は辛いといえば辛いのですが過去の聖賢たちも目指したものでしょう。辛いのは今までの人生の罪が大きいのか、修行が足らないのでしょう。

何百年も前に日本でも日蓮大聖人が目指しました。

同じことを言わずとも、弘法大師もそのように生きてこられたことでしょう。

聖徳太子もそうであったかもしれません。

ということで、還暦の手習いも、人生のリセットもとても大変なことになりました。

過去の聖賢のことを考えれば、心安らぎますが、自分のこととなると「野垂れ死にたい」くらいですが、そうもいかず、、、

あまり、難しことは無理だと思うので、若いころからあなたは先生になればよかったとか先生が向いてる、とか先生みたいとか言われてきたので、せめて「 我、日本の眼目とならむ」には近づきたいと思います。


日蓮宗の解説です。(日蓮宗ポータルサイトより引用。)

[「眼目」とは、真実を見通す智慧、あるいは、過去、現在、未来の有り様を見通す仏の眼でもあります。聖人は、この「眼目」を用い、社会、国家の進むべき指針を示す人になることを誓願なされました。]

しかし、私は文鮮明先生と亨進師の弟子の一人に過ぎません。心を虚しくして、その方の言葉、と教えが何より頼りなのです。私は準備するものはこのお方に最後まで命かけて従い、忠節を尽くす心をなにより、準備します。そのために具体的な事柄を一つ一つ積み上げます。

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