現在の平和憲法で、北朝鮮の脅威から国民を守れるのか?他国に、一方的に守ってもらおうとする奴隷根性。
護憲派の人にお聞きしたい。
憲法で北朝鮮の軍事的脅威を止めて欲しいと。
という問いかけをしたのは産経新聞論説委員の古森義久氏であります。
〜引用開始〜
【古森義久のあめりかノート】わが日本はあまりにも無力 北朝鮮の軍事脅威に危険な「護憲」の旗 - 産経ニュース
北朝鮮の労働新聞が16日掲載した、中距離弾道ミサイル「火星12」の発射訓練を視察し、笑顔を見せる金正恩朝鮮労働党委員長の写真(コリアメディア提供・共同)
北朝鮮の軍事活動が日本の国家や国民の存立を脅かすようになった。
その結果、自国の防衛にも「軍事」を否定する日本は戦後の国のあり方の根底を問われることとなった。
あまりにも明白で切迫した核兵器とミサイルの軍事脅威に対してわが日本の軍事面での防衛も抑止もあまりに無力だからだ。
その根本の原因は、日本が外部からの軍事での攻撃や威嚇に対して自国の安全を守るためにでも「平和憲法」という虚名の下に一切の軍事を排してきたことにある。
軍事とは簡潔にいえば、国を守るための物理的な力の保持である。
全世界の主権国家が自国の防衛には不可欠だとする手段でもある。
安倍晋三首相は北朝鮮の核武装の動きやミサイル発射のたびに「断固として許さない」と言明する。
だが北朝鮮は平然と核爆発を重ね、ミサイルを日本の方向に向けて発射し続ける。
首相の言明はむなしく終わる。日本国が「断固として」とか「許さない」という言葉に実効性をもたらす物理的な手段をなにも持たない事実をみると、空恐ろしいほどのむなしさとなる。
北朝鮮の脅威にはもちろん軍事以外の対応も欠かせない。だが脅威の本質は軍事なのだ。
「日本列島を核爆弾で海中に沈める」という自大な威嚇も基盤は軍事である。
だからこちらの対応も防御も、最悪の場合に備えての軍事的な要素が欠かせない。
日本自身に北朝鮮の軍事脅威を抑える軍事能力が皆無となれば、その能力を持つ他国に依存する以外にない。
だからこその日米同盟強化だろう。
だが日本の防衛とは首相が米国大統領と会談することなのか、という皮肉な感想もつい浮かぶ。
軍事面での日本独自の対策がなにも出てこないからだ。
自国の安全保障よりも些細(ささい)な行政手続きの疑問を材料にしての政権非難を優先させる野党側でも、北朝鮮危機への対処は他国依存のようである。
民進党幹事長だった野田佳彦氏も「中国を含めた関係国に働きかけを」と主張していた。
与野党を通じて政治指導者たちの主張は、まずは米国、そして韓国、国連、さらには中国、ロシアと、とにかく他国との協力、連携なのだ。
事態の核心である軍事面での日本自身の対処にはみな沈黙のままなのである。
この現状は憲法9条の帰結だともいえよう。
軍事をすべて否定する趣旨の規定だからだ。
軍事的脅威に直面した日本が非軍事的対処ではその脅威は増すばかりという苦境に追い込まれても、軍事的な防御策には他国との共同でも触れてはならない、というのが9条の自縄自縛なのである。
だから米国では日米同盟強化のために日本の憲法改正を求める声が超党派で広がってきた。
大手紙ウォールストリート・ジャーナルは「憲法9条は日本自身の防衛にとって危険だ」という主張を社説で打ち出した。
こう述べてくると、日本側の絶対護憲派からは「前のめりの危険な軍事志向」などという反発も起きるだろう。
だが護憲派に求めたい。いまこそ憲法9条の真価を発揮させて、北朝鮮の軍事脅威をなくしてほしい、
それができないならば、危険な「護憲」の旗を降ろしてほしい、と。(ワシントン駐在客員特派員)
〜引用おわり〜
憲法を改正は日本という国が生きていくためには必要不可欠であることがわかります。
護憲派の人々は日本国憲法は連合軍(アメリカ中心の占領軍)に押し付けられたものではなく、(たとえそうであったとしても)戦後長い間に日本人に好まれ、定着した戦後の日本人の考えの根本にあったものであるから尊重し、大切にしてきた国民の精神を反映していると主張しています。
しかし、長い間に定着してきたものであっても、それがあるゆえに存続すら、危険にさせてしまうものであるならば、生きていく上で必要であるものに衣替えすべきであります。
その憲法を後生大事に一言一句変えてはならないという呪文のごとく信じているというのは護憲派の人々があまり好まない宗教的教義のようです。
キリスト教徒における聖書の存在であるかのような印象を受けます。
日本人は元来、生真面目で、勤勉な民族と言えますが、この点においてはまるで思考停止の考える努力を初めから放棄している民族ではないかとさえ思えてきます。
自分の国を中心に考えて、世界のことがわからない韓国を笑えないのではないかと思います。
これは為政者の都合の良い儒教、特に朱子学の影響が強く、お上からいただいた秩序こそ天が定めた秩序であると信じて疑わない性格が、災いとなっています。
それが奴隷根性であります。
主人がつくるルールを後生大事に守ります。
平和憲法があるから日本は平和であるとか、非核三原則は、日本人が、絶対に守らなければならない国民精神であるといった類いです。
それを破ろうとすればそれは非国民的な非難の対象になります。まるで戦前の精神構造と変わっていないのかとすら思えてきます。
平和を愛する国民には銃器など持ってはならず、日本国には核保有国などとんでもないという呪文のようなものです。
それは考えることを放棄して呪文を唱えれば平和が来るし、平和が保てると思い込んでいます。
いい加減に変わるときが来ています。
銃器を持ったり扱ったりするのは怖いこと、日本が核を持つのは悪いこと、そのようなタブーや怖がりが日本の空気です。せめて議論をさけるべきではありません。
それが憲法のゆえに、アメリカに守ってもらうのが当然だと考える奴隷根性なのです。
たとえば、 スイスは永世中立国であり、どこの国とも同盟は結びません。ですからNATOにも入っていません。
しかし、どの国もスイスを、侵略し、占領しようとは思いません。なぜなら、スイスは、国民皆兵の徴兵制の国であり、国民は軍事訓練を必ず受けねばならない義務を負っています。
ですから、他国がスイスをうっかり占領しようものなら、アルプス山中のいたるところに武器庫が隠されていて、徹底的に交戦され、結局は追い出されます。
そんな国を占領する方が損するのです。
それが独立を尊ぶスイスの国民性です。
日本は、スイスとは置かれた国際環境が違います が、日本人がその独立を今の国際情勢の中で、果たすとすれば、現憲法の不備は自らの手で是正し、自らの手で描き直すべきです。
日本を占領した外国の手による憲法を何の疑問も抱かず、大事に従っているのは自らの幼児性、つまり周りに助けてもらう根性が根付いているのです。
憲法を改正することは日本人が大人になるための第一歩であると確信しています。