ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

「鉄の杖」とは? 私が思うこと。

さて、天一国が近づてくるにあたって、「鉄の杖」が絶対的条件であることに対して違和感を感じておられる方も多いのではないかと思います。

特に女性の方にとってはかなり違和感のある方もおられるのではないかと思います。

しかし、のちに詳しく述べるように女性の方々こそ鉄の杖が絶対的なものとして必要であると私は思っています。

今回の基元節は完成期の祝福式です。

祝福式は血統的転換をもたらす結婚式です。

ですからもちろん聖酒式がまずあります。

これまでの祝福の儀式は聖酒が霊的堕落を蕩減してその原罪を清算し、また三日行事は肉的堕落を蕩減してその原罪を清算するものとされて来ました。

ですから、従来の聖酒式の後の祝福において三日行事によって血統的転換がされたわけですから、今回の完成期の祝福において鉄の杖が絶対に必要とされるとすれば、いわば三日行事の儀式に匹敵する内容だと思われます。

すなわち鉄の杖は実体のメシヤ(の血統)を象徴していると考えられます。

メシヤの(救いの)本質は原罪の清算すなわち血統的転換にあります。す

エバは取って神さまから食べてはならないと言われた善悪知るの木から取って食べました。

そしてそれを夫にも食べさせたとあります。

それはまず天使長との霊的不倫の関係を結び、さらにアダムとの間で肉的堕落の関係を結びました。

それ故に女性は性的に非常に苦難の環境がありました。

わたしたちはメシヤと出会い、その人類の歴史の苦難の路程に終止符を打つ決意をして、祝福に臨みました。

わたしたちの先輩にあたる777双の女性の方々は真の父よりもしも男性(天使長)から襲われることがあれば短刀を手に犯されるしかないならば自ら喉をついてでも貞操を守らなければならないと教えられたと聞きました。

それが天の伝統であると教育されたのです。

もちろん身を守るためならば、相手を刺すこともためらうべきではないでしょう。

鉄の杖はまさに自分を襲う相手から身を守る武器なのです。

それはまさにメシアの象徴なのです。

武器というと何か勇ましかったり、あるいは恐ろしさを感じてしまうものです。

ましてそれは女性にはふさわしくないようでいて、それを持つことによってメシヤの血統を守り抜く貞節の象徴なのです。

もちろん男性にとってもメシアの象徴です。


真のお父様が生前最後に公的にお認めになった最後の講義とされたのが国進様の「自由社会」の内容と言われています。

その講義は直接知らなくとも「強い韓国、強い日本」の講演は聞かれた方も多いと思います。私の地元大阪では柏原市で行われました。

私たちが渉外していた羽曳野市の市会議員が前座の露払いの日韓交流の歴史を現代に生かすライフワークを話し、国進様の講演がありました。その柏原市民であり、私の同志のサンクチュアリのメンバーがはっきりと覚えていたというのです。

国進様はアベルが殺されたのは銃を持っていなかったからだ。もしアベルに銃があれば殺されずに済み、摂理は失敗することはなかったと語られていたというのです。

もちろん私も覚えていました。その頃は多少の驚きというかカルチャーショックもあったようですが、確実に思考が変わりました。


メシヤの最強の武器とはなんでしょうか?その本質は血統転換によって人類をサタンの血統から神様の血統に還す種を持っていることです。

メシヤはサタン不可侵の神様の種(精子)持って神様が天から地に降ろされた方です。

そのメシヤの象徴が鉄の杖であり、私たち男性はその鉄の杖を持つことによってよりメシヤの血統に近づき血統転換を確かなものにしていくのです。

もちろんただ単なる鉄の杖ではありません。メシヤの種があらゆるサタンの血統を打ち砕く最強のものであるのと同様に神の国すなわち天一国を建設する最強の武器の象徴でもあります。


もし韓氏オモニの失敗がなければ鉄の杖がメシヤの象徴として選ばなかったかもしれないと個人的には思います。

しかし、もし韓国のキリスト教が失敗していなければ、興南の監獄もなく、また統一教会もありませんでした。そのように見れば過去を振り返ることはできません。

失敗があればこそ苦難の底から新たな出発があります。


私達、サンクチュアリの聖殿は韓氏オモニの失敗からその元を離れ、二代王を選んだのです。

その二代王の決定したことは真の父が決定されたことであり、私達の選択もそこにしかありません。二代王と共に真の父はおられるのです。

光復節の後、キリスト教の失敗により、真の父の十字架路程がどれほど悲惨であったでしょうか?

真の父は妻と生まれたばかりの幼な子を捨て、ただ一人最悪の共産主義国家北朝鮮に渡り、そこでどれほど残酷な拷問を受け、どれだけ極限の死地を越えてこられたか?

韓氏オモニの失敗はある意味それ以上ではないでしょうか?

私達にどれほどの覚悟があるのでしょうか?

確かに家庭連合での「過度の献金」では深い傷が私たちにも残っているかもしれません。

しかし、真の父の計りしれない「深い傷」とくらべることができるでしょうか?

もし私達に深い傷があるとすれば、真の父母のおびただしい血の跡を訪ねましょう。

深い慰めがあるでしょう。

そして私の傷を忘れて真の父母様の愛に浸りましょう。

私達のキズの前に真の父母の血と汗と涙があると思います。


完成期の祝福を前にして、戸惑う聖殿家庭がシックおられると感じてとりあえず個人的に思うことを綴りました。

拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。

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