ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

平和軍、平和警察につながる「鉄の杖」。

二代王は北朝鮮による韓国侵略が始まったことを強調されました。

金正恩委員長の妹与正氏の動向が話題を集めていますが、 気持ちの悪い笑顔と決して誰にも頭を下げず、笑顔の間の時折見せる相手を蔑んだような冷たい視線を見せていました。

まるで骸骨が微笑んでいるような感じがして文字通り死神!という印象でした。

それでも平和の祭典オリンピックですから、選手の活躍に拍手を送り、日本の国威発揚?というか日本の未来を象徴する若者たちの姿に後押ししたい気持ちになります。

今日は特に日本の活躍が期待される種目が目白押しでたまたま仕事が休みもあって応援にも力が入りました。

しかし、金メダルの有力候補が次々と登場しましたが、あともう一歩で銀メダルに終わり、喜び半分悔しさ半分の中途半端な試合が続きました。

なんてあと少しの差で金じゃないのかとテレビの前で呻くと、日本に運勢がないのよと妻が言います。

私が昔からオリンピックは国の未来の運勢を表しているいう話をして来たのを知っていて、そんなことを言うのです。

なんで日本に運勢がないのか、そんなはずないだろと落ち込みながらも抵抗しますが、日本に運勢があるはずがないと繰り返します。

深刻に考えたくなくて、オリンピックを見ているのにやはりそうはいかないなと心で呟きながら、ブログに向かうことにしました。

書く話題は山ほどあります。

しかし、どの話題を書こうとしても韓国はどうなるのか暗い心に囚われていくので、どうしようもなく辛い気持ちになります。

韓国の運命を担えるほどの力は私にはもちろんありません。どこかに解答もありません。


それなのに韓国聖殿は希望的だと言っているのでしょうか?

本音を言えば、呆れかえって何も知らないのか、わかってないのかとまるでお花畑にいるんだなと情けない気分になっていたのが実情です。

オリンピックで北の攻勢(微笑み戦術)に翻弄されている現政権です。

韓国が可哀想な国になってきます。北朝鮮の外交戦術、文在寅政権の内通ぶりに揺さぶられ、翻弄されて

、騙されているのに国民の多くは踊らされています。

せめて韓国聖殿シックだけでも鉄の杖の摂理に無条件で呼応すれば、希望も生まれるのに逆の反応を見聞きするたびに心が重くなります。

家庭連合からせっかく解放されたのに責任の無自覚さは本当に当事者なのかと思ってしまいます。

日本も本当に平和ボケですし、鉄の杖の必要性も全く感じていなかった民族であるので、韓国の現状をとやかく言えませんが。

文鮮明師が生前鉄の杖について語られたり、指示されたり、また、実施されたことは山ほどあるとは言え、完成期の祝福の絶対的条件であるという話はわたしも初めてでした。

しかし、初めてだからといって対応が必要なことに変わりはありません。それは早く、心からの対応をした方が良いのはいうまでもないことです。

二代王に摂理の中心が移って大きく転換しなければならないことは過去にもありました。

それは文鮮明師の女性関係にあります。これが真実ということを知った時、一瞬ですが、まさかと心が揺らぎました。

しかし次の瞬間二代王の私は何も恥ずかしくは思わないという言葉を見て安心しました。

自分の感情はともかく二代王がそうならばなんの問題もないだろうと直感しました。

事実その後語られた公的な説明に納得しました。

むしろその計り知れない恩恵とメシアの本質を理解できました。

私は直感的にその時の体験に今回の件のことも似ていると思いました。

えっ、そんなことがあるのか?というショックとその恩恵がやがて理解するできていくし、なるほどという確信が生まれてきます。

しかもどちらも、世の中からはどんなにか批判がくるのだろうな、また家庭連合の人たちは大きく躓いてなかなかこちらに来れなくなりそうだなという感想も同じです。

文鮮明師のメシアとしての最も本質はその血統の起源である精子にあります。

原罪を清算し、人類を復帰することのできる精子を持って血統を転換することができるのです。

原理も理解できない世の中の人たちがいきなりそれを理解するのはどだい無理な話です。

男ならならば、祝福を受けて、まことの男性の種を恋い焦がれ、自分もその勝利を与りたいという切実な信仰が成約の信仰だとわかりました。

女性なら真の男性の勝利の結実である種を受け継ぎたいと願うことによって、心情が転換されていきます。

それが実体的な信仰であると思います。

個人や家庭レベルならば、血統的には最強の精子が無敵ならば、最強の武器を持ちサタンを打ち砕くのは当然です。

それを持って訓練せよとは最高の恵みであると考えることができます。

目に見えない血統は子孫を通して目に見える形になって結果を伴います。

しかし、武器は目に見える形をしていますが、実際は使わなくて済めば、それに越したことはありません。

その意味では天国の基である血統を守る手段であって、あくまでも善なるものを悪なるものから、実体としの形の上で守るための道具にすぎません。(考えてみれば、殺人やレイプ、強盗といった凶悪犯がいなければ、このような武器は必要ありませんが、人類始祖の堕落がなければ、メシアも必要ありませんでした。)


ですから、武器を崇拝することの意味は全くありません。その正しい評価と扱い方は訓練しなければなりません。


そして、いつでも悪と戦える準備があるべきです。

日本の法律では日本人がこのような武器を持つことには大きな制約があり、合法的に所持することはほぼ不可能に近いということです。

しかし、そのことの心構えがあるならば善悪の判定基準はより鮮明に理解されていくでしょう。

今日本の社会は治安が良く、武器を手にすることのメリットはありません。

しかし、国際情勢や国際社会では必ずしもそうではありません。

日本を基準にして考えるわけにはいきません。

日本にも昔から、自衛隊だけではではなく、民間人による民間防衛隊なの構想がありました。

大きな武器は自衛隊が持つとしても、全くの民間防衛隊は普通の市民や国民の組織です。文鮮明師の平和警察、平和軍構想はそのレベルでしょうし、シビリアンコントロールとも一致すると考えられます。


つまり、政府組織によるコントロールではなく、家庭を単位とする市民レベルのコントロールが重要です。その上で市民の代表者や実務者が国防軍を率いるのです。

天一国とはキリスト教でいうところの千年王国です。

しっかりと天一国憲法を勉強して、天一国の主体的国民となれるように、前に進みたいものです。

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