ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

歳をとっても良い嬉しいことは成長できるから。

たまには肩の凝らない話をしてみます。

ミクロとマクロのつながりが深いサンクチュアリにおいてミクロは家庭もしくは氏族単位か、あるいは教会、地域単位ということができるでしょう。

私たちも家庭王あるいは氏族メシア王として王冠を被りました。

そこで家庭王という位置は天一国での基本的単位ということになります。

当たり前の話ですが、夫婦が父母となり、子女達と一つになってこそ家庭王にもなるのでしょう。


私がサンクチュアリが正しいと確信してもっとも緊張した瞬間は妻が受け入れてくれるかということでした。

私の頭の中には離婚してでもという言葉すら頭をよぎりました。簡単に理解できるとは思えませんでした。

私が資料を見せて読み終えた彼女の答えはお母様は気が狂ったの?という返事でした。

ところが、この時の記憶が妻と私では少し違っていて、夫である私の方がお母様が気が狂ったと話したというのです。

それでどういうこと?というところから始まってわかってきたというのです。

妻が理解してくれたことは本当に大きな支えでした。

もちろん私にはこれまでの30年に及ぶ関係の中で、わかってくれるだろうというある程度の自信がありました。

少なくても教会という組織よりは私の方を信じてくれる確信めいたものはありました。

つまり三十年の付き合いの蓄積から、判断できるものでした。

彼女は割とアベルに恵まれていたようで、自分でも言っていましたが、あまりアベルとの葛藤がありませんでした。

それがだんだん変わってきたのが氏族メシア環故郷してからでした。特に次々とくる献金路程も何とか必死で借金しながらやってきましたが、貸した金は返ってこないし、だんだんと溝もできてきました。

それでも私はこの教会を何とかしないとダメになると必死だったので妻も協力的にやってきました。

その中で私も教会を変えるにも家庭を良くするためにも自分も変わらなくてはそれなりに努力をしてきました。

たとえば、家族の中核は夫婦です。お互いに好きで結婚したわけでもないので、どちらかといえばみ旨を進める同志、家庭を支える運命共同体的な身内という仲間同士といった感じでした。

恋愛をしたことはなかったのであまり比較もできませんが、どうもそんな感じではありませんでした。

向こうもそうでした。子供が四人いてケンカしても子育てや家事、仕事などに追われて長続きのしないケンカでした。

それでも子供の小さな時は短いながらも派手なケンカをして、小学生だった子供達は離婚したらどっちに付くかで話あったそうです。

二番目の子はお母さんっ子でしたが、私はどっちにもつかない。施設に入るというんです。二人に抗議して元に戻るまで施設から出ないというのです。

おかしくて笑ってしまいました。

ケンカしても三日と続かないのですぐ笑い話になるのですが、子供はやはりかわいそうです。

両親の別居が長いある二世の子はもう立派な大人ですが、両親、家族が一つに暮らすにはどうしたら良いのかと考えて夜も眠れない日があると聞きました。

親はそんなこと知りませんでした。

親子の前に夫婦が大切です。

妻から尊敬されるためには必死でみ言葉を学びました。

献身していた頃、子供達が思春期の頃までは、家に帰ってからが本当のみ旨が始まると家の前で決意して入ったことが何度もありました。

タマルの信仰、女性の胎内での血統転換、心情転換のために天使長である夫はどうすれば良いのか、祈ることも多かったことを覚えています。

私たちは普通の夫婦ではありません。自らの救いは妻の心情にかかっています。その心情を受けずして夫たるもの男たるもの天国どころか救いそのものがありません。

家庭連合時代にもこの幹部の人たちは原理がわかっているのだろうかと不思議に思うこともたびたびでした。

子供達が大きくなってくるとさらに私の挑戦が始まりました。

当時、軽トラックで配送中にラジオを聴いていると妻の笑顔が生きがいとか喜びとかという言葉が飛び込んできました。

世の中をバカにして教会にしか通用しない家庭連合に愛想がついていた頃でしたので、これは新鮮に聞こえました。

そういう発想がもともとなかった私は誰にも言わず(言えず)一人でそんな自分になりないと考えて何年かすると本当に妻の屈託のない笑顔が素晴らしい、今で言うところの癒されると実感してきました。

なるほお妻の笑顔で頑張れるとはこういうことかと思いました。

次に耳に入った言葉は妻や子供が可愛ければ、頑張れみたいな言葉でした。

子供が可愛いのはわかるが妻が可愛い??

う〜ん。また難題だなと思い、また数年後には妻が可愛くて可愛くて仕方ないと思い始めました。

子供には申し訳ないけど、子供以上に可愛いのです。

60も過ぎるようになってまさかこんな気持ちになるとは自分でも不思議なくらいでした。

神様は不思議な方です。面と向かってお祈りしたこともなくても、お願いしたこともなくてもその人の願い(祈り)ちゃんと知っておられて、その人の願い以上のことをしてくださる方だと思うのです。

しかし、人間が願わないことには干渉されないとも言われます。

私はだから本音が大切だと思うのです。

先日、サンクチュアリに最近復帰されたある夫人と電話で話をして初めてそのことを話したところ、そんな話は初めて聞きました。先輩たちの夫婦でも聞いたことのない話です。と言われました。

私たちは二世の家庭はもっと早くからもっと仲の良い家庭を築いて欲しいと願います。

また遅いとかいうこともなく、生きている限り、成長することはできると思うのです。

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