実体基台がなぜ必要か?天一国基盤のポイント。
先回の続きです。礼拝後の交流会や、電話などのやり取りを通して実体基台の重要性をつくづく感じます。例えば伝道やサンクチュアリーへの勧誘がなぜ大切なのかよくお分かりでないと痛感します。
中心者が願うから、メシアが願っておられるから、み旨だから、神様が働かれるから、というのは全てそのとおりですが、誰しも自分や家族の幸せを考えます。そして幸せは愛に溢れた家族関係にあるということも知っています。それはほとんどの誰しもが願っていることです。
実際は、夫婦の課題、子供の問題が山積しています。そこに幸せとは言い難いなかなか出口の見えない苦しみが続いています。伝道するのも公的なみ旨をするのも全ては家庭を中心とする愛のためです。
私は公務をしている頃、子供が小さかった時など、公務を終えて家に帰る際、玄関の前で一呼吸して「よし、これから本当の闘いだ❗️」とよく決意しました。公務したり、伝道、教育したりしてきて、天に積んだ恩恵はここで家庭に連結するのだというわけです。自動的に天的恵みが降りてくることはなくはないでしょうが、それよりも自分の責任が大きいのです。
家庭盟誓の八番に絶対屈服という言葉がありますが、それは自分の子供に絶対屈服だという趣旨のみことばを見てびっくりしたことがあります。
家庭連合ではメシアや中心者に絶対屈服のような解釈しかないような気がします。組織のなかでの絶対屈服があってもそれは訓練のためであつたり特殊な状況(たとえば何らかの蕩減のため)
であって最も大事なことは教会での訓練成果は家庭で真の愛がいかに成就されるかにかかっています。
メシアを中心として夫婦が一体化しておられれば、その家庭は必ずしも教会のアベルを必要としません。むしろ夫がいかに家庭教会長として立つかが次の課題となるべきです。
ところが自分の家庭(教会)の器では伝道対象者を活かし、また教育するのが現実的でない場合、家庭教会を束ねたり、支えたりする教会、教会長が必要となります。
つまり家庭教会、家庭教会長を育てる教会がどれだけ成果を上げているかが天一国基盤のポイントとなるではないかと思います。
原理講義はもちろん、お父様や亨進様のみ言葉をわかりやすくまた心霊に届けられるような講義や説教、座談会、交流会ができるか、あるいは導かれた証が現れるかで、左右されていくでしょう。
初期の統一教会、あるいは内的教会史にあるようにお父様の周りは多くの人たちが霊的に導かれてきたので、原理的、み言葉を理解してきた人は少なかったと言われています。
同じようにサンクチュアリーに加わった方々もみ言葉を深く理解してきたというより、霊的に導かれてきた方々が多いようです。
み言葉を知的に整理して理解するかとは重要ですが、実践して体恤することが本当の目的なので、とても難しいことです。
そこでお父様は天国に入る基準を家庭教会、氏族メシアを勝利したものからと言われて誰でも入ることができるようにしてくださいました。
残念ながら、家庭連合ではそれを実体的に推進していく組織ではありませんでした。
もう一度整理してみると私達に最も重要な全員が行かねばならない道が家庭教会と氏族メシアです。そのために信仰基台と実体基台が必要であり、よりは本質的なものは実体基台です。
そのために家庭教会を支えたり引っ張っていこうとする「教会」というか、そういう信徒の集まりとその指導ができる責任者が必要となります。
次はもう少し掘り下げて天一国あるいは二代目王様の語る王国とのつながりを考えてみたいと思います。