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朝鮮戦争時の米国将兵遺骨収集、返還が米朝交渉の突破口となるのだろうか?

アメリカと北朝鮮との交渉がもたついています。

肝心の北朝鮮の完全、検証可能かつ不可逆的な非核化実現の見通しがつかない中で、米国にとっても大きな課題となっている朝鮮戦争時の米国将兵戦没者の遺骨返還問題で、成果が見えそうです。

ところが、北朝鮮はこのことで経費を要求するなど資金稼ぎを意図しているとの疑惑があり、この問題でも米国国内が揺れています。

WEDGE REPORTからの引用です。


〜引用開始〜

米国の経費負担に反発は必至、唯一の成果、不明米兵返還協議


樫山幸夫 (産經新聞前論説委員長)

2018/07/14


<米国将兵の遺骨返還をめぐる交渉>

 北朝鮮の核開発をめぐって、さきに平壌で行われた米朝協議は、「重要な分野で進展があった」というポンペオ米国務長官の説明とは裏腹に、激しい対立の場となったようだ。長官と金正恩・朝鮮労働党委員長との会談も実現せず、協議終了後、北朝鮮外務省は米国を「強盗的」と口汚く罵倒した。

しかし、少ないながら成果があったのも事実だ。非核化の履行に向けた作業部会を設置し、朝鮮戦争不明米兵の遺体返還についての協議を開始することで双方が合意した。

遺体返還問題で北朝鮮が積極姿勢に出てくれば、核交渉全体への好ましい影響が期待できよう。

 米国とベトナムが関係開園を果たしたのも、やはり不明米兵の遺体返還での協力が契機だった。

しかし、そう簡単にことが進むかどうか。

協議を通じて北朝鮮は遺体捜索の経費負担を要求してくるだろうが、米側がこれに応えれば、「制裁を科している相手に資金を供与するのか」と国内強硬派の反発を招きかねない。

それを無視してトランプ大統領が、北朝鮮の気を引くため大盤振る舞いする可能性も取りざたされているが、大きな論争に発展すれば、核交渉の前途を危うくすることにもなりかねない。


3度目の訪朝をしたポンペオ長官(代表撮影/ロイター/アフロ)


<朝鮮戦争で7700人の米兵が不明>

 さきの協議の内容については、すでに各メディアが詳細に伝えているので、立ち入るのは避ける。

とぼしい成果のひとつ、米兵の遺体返還問題は、シンガポールでの米朝共同声明に盛り込まれ、北朝鮮側が「即時引き渡し」を約束していた。

 トランプ米大統領は首脳会談後の6月20日、ミネソタ州ダルースで行った演説で、遺骨200柱が返還されたと明らかにした。

しかし、ペンタゴン(国防総省)当局からの確認がなされていなかったため、当初、「この問題がポンペオ長官の訪朝に影を落とすことになるかもしれない」(7月6日、米ブルムバーグ通信)という見通しが伝えられていた。

 朝鮮戦争(1950年6月勃発、53年7月休戦協定署名)では、3万6000人以上の米軍将兵が戦死、約7700人が行方不明になっている。

その遺体返還問題、実は今回の共同声明によって動き始めたものではない。過去においても、北朝鮮は遺骨が発見される都度、米国に返還してきた。

2018年6月24日付産経新聞によると、北朝鮮は1990-94年に、400人分が混在しているとみられる棺208基を米国に引き渡した。96年からは米朝合同の捜索が行われ、2005年まで33回、229基分が発掘、回収された。2007年にも7柱が米側に引き渡された。

 数十年ぶりで母国に帰還した遺骨はハワイ・真珠湾のヒッカム基地にある国防総省の戦争捕虜・戦闘時行方不明兵集計局(DPAA)の施設に運ばれ、DNA鑑定などで身元が判明すれば、遺族に引き渡され、希望に沿ってワシントン近郊のアーリントン国立墓地などに埋葬されてきた。これまであわせて459柱が家族のもとに帰った。


<北朝鮮、資金獲得の狙いも?>

 米朝合同の捜索が始まった1996年、米国はクリントン政権(民主党)だったが、94年の米朝枠組み合意が曲りなりにも機能し、双方の関係が比較的安定していた時期だった。

枠組み合意で、北朝鮮が約束した核開発凍結の見返りとして、米国、日本、韓国などが、エネルギー源として重油、軽水炉の供与を北朝鮮に約束し、その建設準備が進んでいた。

 北朝鮮がこの時期、またそれ以前に遺骨収集、返還に応じたのは、善意を示すことで信頼を醸成、米側との関係を改善したいという思惑からだった。

一方で、経費負担の名目で、米国から資金を引き出す狙いもあったのではないかという見方も米国内でなされていた。

 96年5月、合同捜索実施で合意した際、北朝鮮は過去に発見、収集された遺骨の輸送費用など400万ドル(約4億4000万円)を要求してきた。米側は実際に米兵の遺骨と確認されたものが少なかったことから、これを拒否、半分の200万ドル(2億2000万円)で妥協した。

無関係の遺骨が混入されたのではないかと米側が疑念を抱いたようだが、北朝鮮がその後、日本人拉致被害者のニセの遺骨を送りつけて来た事実を想起すれば、その行動パターンが浮かび上がってくる。


米国は1993年に返還された46柱についても約96万ドル(1億500万円)を負担した。

 1997年中に行われた3回の合同捜索だけに限ってみても、米国は、輸送経費、人件費、発掘による農作物への保証まで含めて31万ドル(3400万円)を拠出。

2005年に合同捜索が終了するまでの間、33回にわたったその都度、米国は費用を負担してきた。


<捜索にかける北朝鮮の意気込み>

 話は逸れるが、1997年7月に行われた合同捜索に参加した米国務省の北朝鮮専門家から聞いた話を紹介したい。北朝鮮の軍の様子などがうかがえて興味深い。

 平壌の北東130キロ、朝鮮戦争有数の激戦地だった雲山近くの集落で2週間続いた捜索に、

北朝鮮は将校10人、発掘作業に当たる兵士80人、地方官憲らあわせて100人を動員する熱の入れようだった。

人件費はもちろん米国の負担。米側係官は国防総省、国務省の専門家ら10人という少人数だ。

 双方の参加者はいずれも、テントを張っての〝キャンプ生活〟だったが、当時、数年続きの水害などで多くの餓死者を出す食糧難であったにもかかわらず、北朝鮮側は、米、牛肉、鶏肉、キムチなど貴重な食料をふんだんに持ち込んだ。どこで入手するのか訝った米側がさりげなく聞いてみると、軍がもつ専用の農場から調達したらしいことがわかったという。

 その時の写真をみたが、発掘作業中の遺跡を思わせる木材の足場の近くで、半裸の男性何人かが食事をし、そばで通訳らしい北朝鮮の若い女性が屈託なく笑っている姿も写っていた。

 米軍機撃墜などの目撃者を探すため、ほとんどの村人から話を聞き、遺体が埋められているとみられる場所を掘り返した。

平壌近くの戦争博物館に保存されている撃墜米軍機の残骸、兵士の認識票、制服なども入念に点検した。

忍耐強い努力にもかかわらず、この時の捜索では、水田近くの埋葬場所から4人の遺体が発見されたにとどまった。

 米側はジープ、日本製大型トラック、イタリア製バスなどを用意したが、品質の劣るガソリンはすぐにエンストを引き起こした。故障しても北朝鮮には部品がなく、中国から航空便で取り寄せなければならなかった。

 摂氏35度超、暑さで倒れる兵士もでる悪条件にかかわらず、北朝鮮が予想以上に協力的だったため、米側が真意をはかりかねていると、先方は引き替えに経済制裁の緩和を強く求めてきた。

図らずも、遺骨収集を政治的に利用しようとする意図が明らかになった。


<遺体を金で買う」と批判>

 過去の捜索の経緯に話を戻す。

 米国内では当時、「一体約2万ドル(200万円)か」「遺体を金で買うのか」などと、共和党を中心とする対北朝鮮強硬派から強い批判が出た。

 北朝鮮のGDPは、国連の統計によると、2015年現在で162億8200万ドル(1兆8000億円)。

日本国内で最下位の鳥取県なみという最貧国の北朝鮮にとっては、たとえ100万ドル、10万ドル単位とはいえ、貴重な収入源になりうる。

それだけに北朝鮮の狙いも外貨獲得にあったという見方もなされているが、米国の北朝鮮専門家は、「捜索の経費は国防総省が厳密に査定しており、北朝鮮が経済的に潤ったことはない

ベトナム戦争不明米兵捜索でも資金供与は行われている」と反論。北朝鮮の狙いはむしろ、「信頼醸成措置」と分析する。


<一貫して米朝対話の窓口>

 朝鮮半島の安全保障をめぐる米国と北朝鮮の対話の場、機会としては過去、枠組み合意に至る米朝ジュネーブ交渉、今世紀に入っての6カ国協議などがあったが、不明米兵の遺骨返還協議は、それ以前から存在し、地味、細々ながら一貫して米朝の対話の窓口になってきた。

北朝鮮はそれを利用して、常に米国との直接対話につなげることを模索、硬軟織り交ぜた対応で駆け引きを展開してきた。

 

 7月12日に板門店で予定されていた返還協議当日、北朝鮮側は姿を見せず、米側関係者に待ちぼうけをくわせたが、今後、北朝鮮が前向きな姿勢に出て順調に推移すれば、今後の核交渉全体についても進展に期待が持てるかもしれない。

 問題は米国の動きだ。シンガポール合意について、共和党内部からも「譲歩しすぎだ」という批判があるため、返還のための費用で、規模も少額とはいっても、実際に北朝鮮に資金供与をすれば、反発がますます高まる可能性がある。

 遺体返還問題を突破口に交渉を進めるという米国の方針は理にかなったものと言えようが、米国内の強硬論台頭が、本来核放棄に消極的な北朝鮮につけ込む余地を与え、交渉を潰えさせる結果になりはしないか。

 国務省のナウアート報道官は、1、完全な非核化。2、北朝鮮の体制保証。3、遺体返還―という重点目標について、ポンペオ長官は強硬な姿勢を維持していると強調した。だが、ミサイル実験施設の廃棄を含む非核化についての作業部会の日程も決まっておらず、全体の展望はなお見えない。

 ポンペオ長官の今回の訪朝は、北朝鮮の完全な核放棄実現という長い困難な道のりへの緩慢な一歩に過ぎなかったことを思い知らせてくれたというべきだろう。 

〜引用終わり〜


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困難な非核化を前提とした一連の交渉の中でも米朝にとって扱いやすいはずで、米国ではかなり関心の高い遺骨の返還交渉ですが、それでもなかなか大変です。

しかし、ここからまず突破口として信頼関係を繋いでいくしかないのが現状のようです。

前回の日米の激戦地硫黄島での遺骨収集の件を取り上げましたが、米国にとっても国に忠節を果たして異国の地に眠った英霊の遺骨の大切さは同じなのです。

ここで良き米朝のすり合わせができることを期待したいものです。

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