我が家のココ、16歳で死にました。
我が家の猫の話しの続きです。実は私はこの猫と話しをしたことが何度かあります。我が家の妻や娘たちからは今なんて言ってんの?など聞かれたりするのであまり疑問にされているわけでもなくまあ普通のことでした。
この猫との会話で忘れられないものがいくつかあります。その最後のものが死んだ当日のものです。ひょっとして忘れてしまうかもしれないので、それもあって書いてみたいと思いました。
まず、この猫にとって衝撃的な事件が起こった時のことです。
それは前回も触れましたが、新しい猫が我が家にきたことです。きてから数日後、先輩猫のココはわたしに話しがあると抗議の眼差しで言いました。お父さんはどうしてこんなことをするん?と目で訴えるのです。正直こんなに抗議してくるとは思ってもみませんでした。今でもその目を思い出すと少し胸が痛みます。
次に思い出すのはもっと強烈でした。私とココを連れてきた上の娘とが気が合わなくなってもう家出て行け的な感じになって娘もそれを感じてキマヅイ雰囲気だったときのことです。ココが普段いる二階から降りてきてお父さん話しがあるというのです。「改まってなんだ。」」と聞いてみると「◯◯ちゃんを許してあげて。」と言うのです。そのような気持ちは誰にも話してなくて娘本人は気づいていたのですが、娘の様子がおかしいことになんと相棒の猫のココが心配してやってきたのです!これには正直参りました。
こういうこともあってこの猫が雑種とは思えません。姿からしてアメリカンショートヘアですが、きっと血統書付きの猫だろうと踏んでいます。後から来たチビは文字通りの野良猫で、その野良の親からも捨てられたらしい?。
後から来た猫とはもちろん私はそんな会話などしたことありません。しかし後から来たねこはチビと呼ばれて甘えることが天才的に上手でどうしてもアイドルは末っ子?のチビとなりました。この二匹の葛藤は長く家族、特に母親の嘆きとなりました。
そしてついに追い詰められた先輩猫ココの家出という事件につながっていきました。家に帰ってこなくなったココを毎晩娘は探して五日目になって家の近くで見つけて連れ帰りました。家族全員でココを囲んで息を飲んで見守っているなかで家族の真ん中に進み出たココに私がみんな心配してたんだよと言ってみんなでココを覗き込んだ時のことです。
それに対するココの第一声は「みんなわかった?」でした。つまり自分はいなくなるほど悩んで怒って抗議したんだその気持ちわかった?というわけです。私がココの第一声を伝えると家族で爆笑してしまいました。
そのことがあってから少しづつですが、ココとチビの距離は縮まってきました。
ココは死んだその日、私が仕事から帰るとすぐに膝の上に乗ってきて甘えるのです。普段滅多にそんなことしないのに、死ねことが近いのでお別れに来たのだなと思いました。私が、少し横になるとそばに来て少し苦しそうに人間でいうと小さな声ですが、ゼエゼエとしていて目を見ると苦しそうで力も入らない様子でした。でも目はわりとしつかりしているのです。首を前足に乗せてしんどそうだったのにやおら急に前足をしっかり立てて座りなおすようにしてすごい大きな声で鳴き出したのです。病人が急に立ち上がったかのようでした。最初何が言いたいのかわからなかったのですが、何度か鳴き声を聞いているうちに言ってることがわかってきました。
「この家でもっと生きたかった。みんなと一緒にこのまま楽しくもっと暮らしたかった」と力の限りに叫ぶのです。最後のあらん限りの生命の残りを絞り出すように叫ぶのです。
たった2キロあまりとなってやせ細ってヨロヨロの身体のどこにそんな力が残っているのかと思えるほどの叫びでした。私は圧倒される思いでただ聞いていました。
やがておとなしくなってその数時間後最後は娘の部屋で仕事から帰った娘によって力尽きた姿が発見されました。「ココ!よく生きたな。娘の真の友達になってくれて本当にありがとう。」
翌日、妻がココが(長く患わずに)片付いてくれて助かったと娘の前で言ったので、私が「片付いてくれたとは何事か、一週間はココを賛美しながら過ごすんだ。」と言うと娘はすかさず「四十九日やで!」と言ってきました。ココが行きている間は自立(家を出ること)はできん。と言っていた娘は四十九日の先はどうするのか?多少気になる今日此の頃です。
それはともかく、猫ですら家族と一緒に楽しく生きたいと臨終の間際まで力の限り叫ぶのです。愛を受けて、愛を与えて家族と楽しくあらん限りの力を振り絞って人間は生きているでしようか?