北朝鮮の背後のサタンとそれが操る文在寅候補…… 紙上説教「みことばによる悔い改めと国家のサタン分立」
先日行った礼拝の案内をした時、ソウル聖殿におられた方より、ソウル毎週日曜日に礼拝がありましたとのことでした。
またラインのグループを作って情報や案内を共有したいとのご意見も礼拝の後いただきました。
つたない者ですが、それをきっかけにしてブログ上でも毎週日曜日に紙上説教を試みてみようと
紙上説教 「みことばによる悔い改めと国家のサタン分立」
聖書拝読ヨハネによる福音書一章一節から五節
1
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2
この言は初めに神と共にあった。
1:3
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
1:4
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
1:5
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
私たちはメシアである真のお父様をみ言で知ることができます。
私の尊敬する先輩が、韓氏オモニがお父様のみことばから逸脱して幹部たちもおかしくなっていることを理解していますが、そうすると真のお父様は妻や弟子たちの教育に失敗したことになり、そのことからが引っかかって真のお父様に対して不信してしまうと言っておられました。
しかし、彼はまた文鮮明師のみことばを読めばやはりメシアとしか思えないということになると言っておられました。
みことばは不信したものも正してくれる力があります。
みことばは単にことばではなく文師の生きた実体であるということです。
文師の実体に近づくことはいまやみことばを通してしかできません。また私たちもことばを通して真実や実体に近づこうとします。
祝福を受けたから、実体として完成したり、天国に行けるわけではなく、みことばを通して自分を再創造し、みことばの完成実体、愛の完成実体となってこそ天国に行くことができます。
では私たちにはみことばとは違う言葉によって左右され、自分を作っています。
私はとてもみことばには遠くもはや自分にはみことばを法(のっと)って生きて行くことはでできない、私には無理だからできない自分を認めて生きて行くことにしました。
という方がおられました。
とても共感はしますが、もしみことばに対しての自分の反発を認めて生きて行くという意味ならば、違和感があります。
そういう自分と折り合いをつけながらも、矛盾した自分と格闘する生活ならば良いのですが、自分には無理ですからと公言されるのであれば、はい、そうですねと言うことはできません。
もし、みことばとは違う自分を認めて欲しいというのは罪の告白に匹敵するので、一対一の時かあるいは悔い改めをしていることを前提として言わなければなりません。
さて私たちはみことばを知っているから、人から聞かなくてもわかっていると、そういうこともあるでしょう。
そういう自分との戦いを乗り越えるお手伝いするのはお互いにできるのではないでしようか?
そうではなく、間違った自分を相手にどこまでも認めさるとすればそれは悪を繁殖させることになってしまいます。
なかなかみことばは実践して行くのは難しいですね。
それはサタンが巧妙に人を陥れるからです。
サタンもみことばをよく知っていて巧妙に似たことばで人を騙します。それは世の中でも多く見られます。
ちょっと飛躍するかもしれませんが、韓国の大統領選でもそのような印象があります。
韓国の大統領選まで二日となりました。
韓国聖殿食口の皆様の活動が活発なので、保守派に勢いが出てきました。
それはそれとして今最も大統領に近い人は文在寅候補です。
では彼は国民に対してどのように話しているのでしょうか?
彼と保守派の候補者とはどこが一番違うのかといえば
北朝鮮との安全保障の問題です。
文在寅と問題人は韓国語ではほぼ同じ発音で(ぶんじぇいん、とモンジェイン)と問題の大きい人です。
彼は北朝鮮を韓国にとって国家としては敵国とは認識していないと言い切っています。韓国の民衆に寄り添うように北朝鮮とも寄り添って友好的に互いに歩み寄って話し合いによって問題を解決すべきだと言います。
なんだかよい言葉のように聞こえます。お父様も個人としては敵はいないとも言われます。
しかしお父様はサタンとも友好的に仲良くせよとは決して言われません。
サタンを分立してこそ仲良くできるのではないでしようか?
文在寅候補の支持者には文在寅ならば北朝鮮と話し合いで核も放棄させることができるといったことを話しています。国民にもそのような幻想を与えています。
同じことばつまり韓国語を話し、同じ民族の心があるのだから分かり合えるはずだと言います。
文在寅候補の支持率は約40%ありますし、支持率20%安哲秀の支持者の多くは左翼よりですから
国民の半数以上はそのような考えにシンパシーがあるようです。
国民の三割くらいは保守派がいるはずですがもはや少数派になりました。保守派以外は北朝鮮がサタン的思想を持ったサタン性国家であることを忘れてしまいました。
同じことばを話し、同じ民族だから分かり合えるはずだという考えではすぐに騙されてしまいます。
しかし国民の多数は騙されて行く方向に流れています。
韓国はその大きな“流れ”に完全に飲み込まれています。
以前ならば核実験やミサイル発射があれば危機感が出て、左翼が不利となりましたが、最近はそれらがあっても(脅威だからこそがある時だからこそ)仲良くすべきだと考えるようになりました。
それはサタンの戦略にやられてしまったのです。
そのようになれば神様がその国におられるということはできません。
神様は 韓国の中でも聖殿食口の戦いを頼もしくもあり同時にハラハラしながら見守るしかないのです。サタンの勢力下にある韓国を憂いておられるのです。
あまりに悔しいことであります。
サタン分立の蕩減条件が必要になります。
それは最も自分にとって辛いことであり、みことばに照らし合わせば、正しいことを自分の事情から自分を優先させておざなりにしてきたことがあるはずです。
それを悔い改めて、再出発することです。サタンが自分から離れることをすることが最も良い蕩減条件となることでしょう。
それが国を救うことにつながります。
それは個人にとっても審きではなく救いになります。
結論です。みことばによる再創造を信じて摂理に従い、個人と家庭と氏族、そして民族と国家を救いましょう。
明日は東京でサンクチュアリによる救国行進があるそうです。私は残念ながら行けませんが、心から多くのご参加をお祈りしています。