ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

このブログの五つの方向性。そして、映画ベンハーを観て。

このブログで扱う内容は大きく分けて、誌上説教や信仰観、日本をキリスト教的土壌にしていく文化論、韓半島を巡る主に安全保障上の問題、トランプ大統領を中心とするマクロ的摂理、自分や身の周り的な随想など多岐にわたっています。

その方向性はみことばを咀嚼し、生活や人生の中に落とし込んでいく方向のもの、個人も家庭も吹っ飛んでしまう安全保障上喫緊の課題、また、中、長期的日本人としての課題さらにマクロの摂理の重要な課題、最後に全く個人的、家庭的、家庭教会としての身の周りの様子を綴ること、がそれぞれ対応して方向性をもっています。

3月から5月にかけて韓半島の問題が緊急的でしたのでそれに集中しましたが、一段落して、ブログの内容を検討した結果だいたい先ほど紹介したようなものがこれからも出てくるのかなと整理されてきました。

ブログを書くことは私自身の成長にとっても重要です。また読んでくださった方々がいろんな感想やら参考をしていただくことでともに成長したりして、ひいてはみ旨の前進につながればと願っています。

今日はキリスト教の定着化を自分自身を例に取り考えてみます。

先日たまたまケーブルテレビで映画ベンハーをやっていました。ちょうど戦車での迫力あるシーンあたりから見たのですが数十年ぶりに観たせいか新鮮でした。

そして昔の記憶とは全く違った感想を抱きました。

映画観賞にもいろんな段階があるのだなと改めて感じたのです。

一般的にはハデな戦車の競争の場面の紹介が多くスペクタルが見どころなどと言われます。

次の観賞のポイントは主人公の恋人が、イエスに出会い、心洗われて平和を求めて、さらにはやがて憎しみに燃える主人公もイエスに感化されて改心していく心の変化を見どころにする見方があります。

ここはこの映画の最も狙ったところかもしれません。

さらにはこの映画では疫病と訳されていましたが、最近ではハンセン氏病と呼ばれている感染症(昔はらい病と呼ばれていました)となっていた主人公の母親と妹がイエスと出会った直後にあっと言う間に治ってしまうのもう一つのクライマックスでした。

二十代のころ観た記憶では奇跡信仰には違和感があるな、イエス様は奇跡を起こしたが故、民衆はついてきたが、信仰は歪んでしまったという感想がメインでした。

今見てみると映画の製作者や原作者の意図はわかりませんが、その疫病で爛れて肉体が崩れていく様子が、(映画ではそれほどリアルではありませんが、悲田院その他で昔から日本でも知られている病気ですので)想像できます。

すると映画の意図とは別にそれは肉体上のことですが、堕落人間の霊人体の姿に思えてきたのです。

イエスの奇跡は病気を治したり、死人を生き返らせたり、海の風といった自然現象もありました。

しかし、作者は多くの奇跡の中でたった一つの“らい病”を取り上げました。それは映画や文学上効果的であったのかもしれませんが、私には人間の霊人体を暗示、象徴しているように思われました。そう私には疫病による感染は即霊人体の悪化している姿を想起させるものでした。

その時の私自身の課題と思えるものに直結していたからでしょう。

魂が美しくなることをその時切望していました。

私はその時その映画を見ながらイエス様に出会い、また再臨主に出会いました。神様の堕落人間を救いたい心情に出会い涙がとめどなく流れ、嗚咽していました。

そしてお父様が言われました。

「私が愛してきたと家庭連合のシックたちがああいう姿になってしまったよ。もう一度前の姿で会いたい」と嗚咽して泣きながらおっしゃいました。変わり果てた韓氏オモニを見るのはよほどのきつい色付きの眼鏡でしかご覧にはなれないのかもしれません。

今の段階でお聞きできるものではありません。

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