ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

猫族の話。ネコとの出会いと別れ。続編。

猫族という言葉があるのかどうかはわかりませんが、この言葉を私が知ったのは12年前のことです。

先日あの世に旅立った我が家の末っ子猫をくださったNさんのことをそう呼ぶのを聞いたのが初めてでした。

Nさんは自分でも広い家にたくさんな猫を飼っていての猫好きの人たちの“溜まり場”にもなっていて、猫好きな主婦の社交場にもなっています。

私の妻もその辺りで新聞の集金人で、おしゃべり大好き人間として、知り合いになるのは自然でした。

当時我が家は長女が学校からもらって来た猫を飼い出して4年ほどで猫の話しをしていると「もう一匹飼ってくれない?」ということでもらって来たのが先日このブログで最期を報告した“チビ”でした。

家内が昨日このNさんにチビの最期の様子と“葬儀”のことを報告すると話もそこそこに次の猫を飼わない?と聞かれたそうです。“猫族”とはそういうものです。

一般的に猫の話が好きかどうかは人によっていろいろだとおもいますが、普通はチビの死に方とかにはちょっと引いてしまうのですが、家内が「でもうちの夫は相手の野良猫を恨んだらいけないって言うから」と聞くとすぐ別の猫を勧めてくるのです。

彼らは野良猫達の世話もしていてボランテア的に協力してくれる獣医と結託してお金を出し合って野良猫たちの避妊手術をして野良猫が増えない様にまた生まれて来た猫の引き取り手を必死で探したりしているのです。

全くのボランティアです。実は五年前チビが病気になって治療代もなく困っているとき、この獣医を紹介してもらって命が助かりました。手術代は多分相場の四、五分の一だっただろうと思います。Nさんの紹介だからということです。

うちの次女がチビは「喧嘩なんかしないネコだったのになんでこんなことになったん?」と落ち込んでいましたが、私は「いや〜この手術の時のチビ手術後の処置のの暴れ方はすごくってベテラン看護婦さんたちが総出でなんとかチビを抑えようとしたけどあかんかってん。」

このとき、麻酔も切れたのかチビのものすごい声が隣の部屋まで響き渡っていました。先生から説明を受けていましたが、さすがに先生もどうしたのかなと気にされ始めました。

仕方なく私が行って、抱き上げるとあっと言う間におとなしくなって、みんな唖然でした。

その時家内も怖がって何もできませんでした。チビは普段、内弁慶で外では「借りてきたネコ」そのままでしたがそういうやたら気の強いやつところのあるネコでした。

今回のチビの最期にショックを受けた次女はなんか家のなにかを守りたかったのかなとポツリと言いました。我が家が野良に侵されると思ったんやろかと言うのです。

「元々飼い猫だった“ノラ”はチビが羨ましくて仕方ない、初めは可愛い目をしてるなんてお母さんも言ってたからこの家なら飼ってもらえるかもしれないと思ったんだろう。」

そして我が家に何度も上がり込んで勝手にチビの餌を食べたりして警戒したチビと大げんか。“我が家の猫”と言う位置を巡って壮絶なバトルが始まってしまった。

もちろん私たち家族もできるだけの対策をして、ドラ(野良猫のことをよくそう呼んでいました)を家に入れない様、チビを出さない様してきたつもりだつたのですが、夏になって網戸が問題でした。チビにも開けれる網戸があったり、また最後はドラは網戸を破いて侵入してきました。

我が家では結果的に毅然とした“防衛”ができなかつたことにより、専守防衛に徹してきて、チビの外出も防ぐことができなかったうえ、ドラの攻撃を許してしまいました。

まさか、その敵意が、殺すまでのものとは思い至りませんでした。

しかし、猫族にとっては全て保護してあげたいねこたちでしょう。私も野良猫を憎むなと言います。長女、自立した次女、家内、私の四人でチビの葬儀の日の夜外出をしました。次女は事件の前後からのチビに会っていません。

この季節、翌日には「葬儀」をして骨にしてやらねばなりません。私がチビの様子を次女メールで昼間送っていましたが、トイレで読んでよかった、号泣したと言っていました。

猫大好きな(将来有力な猫族となる候補です。)長女は職場で周りからなんかあったの?と聞かれたそうですが「なんも。」と言って笑ってごまかした。と言います。もし一言でもチビが…って口を開いたら、泣き出して仕事になれへんから。ということでした。それでもだいぶ仕事になってへんと思うけど。

食事の場ですが、始まってしばらくは女性たちは口が重く、なんであんな死に方を、とか、あのドラ許されへんとか心の中で思っているのです。猫族候補の長女は一言「もう一生、「茶トラ(猫の種類。ドラがそれでした。)は飼われへん。とつぶやきました。彼女は茶トラが一番猫の中でも好きな種類でした。

家内は「私もなんで?と思ったけど、お父さんが、ドラを憎んだらあかん。と言うから、私も恨まない様にしている。」と話しました。二人は納得はしきれていないようでしたが、うなづいていました。

私の趣旨は次の通りです。人間がうらんだら、チビもそれに引きずられる。家族に愛されて、幸せな思い出ばっかりだった幸せな“猫生”だったのが、恨み思い出に引きずられる。チビは意識が薄れていく中で家族みんなのことを思い浮かべていたに違いない。

そんな時、家族の呼び声が聞こえて、そっちのほうに懸命に前足を一本前に伸ばそうとした。目は見えているようには見えなかったが虚空を見つめて最後の力を振り絞ってこっちを向いていた。

車の下から出してやった時まだかすかな息があったようだが、大好きだった末っ子の次男の腕の中で事切れた。(次男はチィーとかチィちゃんとか呼んで妹のように可愛がった。)


あいつは最後まで幸せな猫だった。

だから、相手を恨むな。動物は自然の掟に従う。いつ死んでも天の摂理に従う。元々怨みなど無い。

もちろん稀な死に方かもしれないが、元々の殺意は人間のなかにある。堕落の世にあって人間に殺意があるのは不思議でもなんでも無い。それを乗り越えてこそ、人としての使命が果たされる。そのような人間になり、そのような人間に愛されてこそ真の猫達の本来の幸福がある。三大祝福はそういうものだ。



( 私は骨折後二ヶ月にして昨日仕事にでました。深夜の粗立ちっぱなしの荷物の区分です。身体もガチガチで、よろけてお店で食べ物をひっくり返して長女にしかられました。生まれて初めての体験が多くなってきました。

書かなければならないことはたくさんあるのですが、頭も動かず、書きやすいことを書いてしまいました。

もうすぐ米韓首脳会談が開かれます。気の重いテーマですが、運命の別れ道となります。そのことを書かねばなりません。このブログをお読みいただける方々に感謝しています。大事なことを考えることを共にできる方々かおられることが私の最大の励ましとなっています。

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