ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

シャボン玉さんのご主人さんのご意見に関して。

シャボン玉さんのご主人のグローバリズムに対する考えはある面非常に常識的です。よくまとまっていて、安倍首相に言ってもかなり同意されると思います。

私も同意できるところが多々あります。

それでもグローバリストによって洗脳されているという側面もあります。

ですからトランプ大統領がキチガイというのは誤解です。

詳しい議論はきりがないので大まかに説明します。

たとえば二代目王様がグローバリズムを否定されているのはグローバリズムの問題点を明確にしてその危険性を指摘されているのです。

だいたい全ての主義を全く間違っていると全否定することはそれ自体間違っています。

全ての人間に善悪があるように全ての主義には長所、短所の二面性があります。

ですからご主人のグローバル化の全否定するべきでというのは敢えていえば正しいとさえ言えると思います。

お父様のみことばを持ち出すまでもなくその功罪を明らかにすることは簡単なことです。

二代目王様が問題にしているのは現在の世界政府を目論む様々な世界的規模の団体やジョージソロスのような金の亡者が動かそうとさている犯罪的行為をまず問題にしておられるのです。

それは理解しておられるとすれば問題はグローバリズムとナショナリズムという単純な色分けでグローバリズムの方が人類全体にとって良いことのように思っておられることです。

それは多くの識者、専門家と称されるような方々のほとんどがそのように捉えていることから全く不思議ではありません。

私のような人間は殆んどの人が同意する意見は間違っているというある種の格言を信じる者でそのような者にとってはほとんどの人がそうなのかと思うことは胡散臭い、間違った判断や意見だとまず考えます。

それはより真実には近づかない考えだろうと推測できるからです。

たとえば、世の中の人のほとんどは統一教会に対して悪いイメージをもっています。(左翼の人は別にして)その意見をずーと聞いているとなるほど悪く思うだろうなと思います。また合っている点も多くあります。

私の子供の一人はその影響を受けて完全な反統一教会でした。私は論争はせずそれをほぼ受け入れるようにしていました。家内はかなり反論しましたが。

サンクチュアリに来て見ると信仰の世界はまだまだですが、その子供はあっさり受け入れました。統一教会のような矛盾だらけのところではないと判断したようです。

もしこれを理屈や信仰の面だけで話し合っていたならば、サンクチュアリに移ったとしてもどうせおんなじようなおかしなところでしょという感じで反対したでしょうね。

私のやり方は議論できる状況と思えば徹底的にでも議論を厭いませんが、まずはほとんど反論せず、相手の言い分のもっともな点を受け入れる様に頑張ります。

私はグローバル化は基本的概念は正しいと考えています。

しかし、現実の今起こっているグローバリズムには問題が大きいと考えています。

ひとつ例にあげます。グローバル化のひとつの現象は国境や地域を越えての人の自由な移動があります。そのひとつが移民や難民です。しかし、その自由はいきすぎればテロの温床となります。

もちろん移民難民によって利益を得ている人もいます。また移民や難民への愛情は観念としては正しいのですが、テロの増大は社会の分断を生み出し、やがてイスラム社会とキリスト教社会の分断が深刻化し、文明間の衝突へ発展し、戦争へと最悪の事態へと予想できます。宗教の力を知っていればわかります。

それはトランプが煽っているのではありません。きちんと対応しようとしているのです。トランプが分断を拡大しているのではなく、テロによる脅威、恐怖が分断を生むのです。

移民保護はたとえ正しくとも真に実現するには時に後退作戦も必要です。正しいからといって一方通行では破綻した時の損害が計り知れません。

ひとつの例を挙げました。

地球温暖化の問題、パリ協定の離脱問題も様々な側面があります。

総じて男性特に夫たる者、間違っていると妻から指摘されることを喜ぶ者はほぼ皆無です。妻からひたすら認めてもらって尊敬されることしか願わない愚かな存在です。

奥様の考えを変えることをお勧めします。

家庭連合では女性がより信仰的で先に行きます。その家庭連合が失敗しました。それで男性を立てて蕩減するのが原則的であると思います。

ご主人の良いところをいっぱい書き出して褒めて尊敬して、感謝してあげれば、感謝が帰ってきます。

男と女は議論に向いていません。

ああそうだね、そうよね〜とうなづき合うところから話が始まります。

そういう私ですが、妻からはあなたこそ実践しなさいと言われること間違いなしです。

全く男はプライドが強く傷つきやすいややこしい生き物です。

女から妻からプライドをくすぐられると元気になり、逆にプライドが傷つくと怒る、拗ねる、ペシャンコになるという具合です。

参考にしていただけたでしようか?

さてもう一度本題を考えてみます。

「トランプを支持すれば統一教会の本来の構想からかけ離れていくことになるのか」


をまともに捉えれば全くそんなことはないという答えになります。シャボン玉さんは

「亨進様が支持されるトランプは反グローバリストです。

世界は中央政府や世界銀行というもので一握りのスーパーエリートたちに牛耳られて

世界の各国の庶民たちは、搾取され奴隷化されている。

そのグローバリズムに対し、神様とお父様の導きの中で

トランプが宣戦布告して戦っている」と私たちは受け止めて応援しています。

ということですが、もし私が妻からそう言われたら本当にそうなのかと聞きます。亨進様がそうおっしゃっているからそう言っているだけだろ?と聞き返すかもしれませんね。意地悪ですか?

一番の問題は民主主義はその本質を失うと独裁主義に至ってしまうということですが、それを理解するには歴史をきちんと理解しなければなりません。私達が今、グローバリスト達の奴隷となっていることをきちんと理解することはかなり困難です。


観点を変えます。

私達が神様をきちんと理解することもかなり困難です。ですから罪を悔い改めて二代目王様の前に悔い改める立場で立たねばなりません。

二代目王様の言葉は基本的にお父様の言葉と同じです。

従って神様がトランプを立てたということを信じ、受け入れなければなりません。

それが受け入れられなければそれはサンクチュアリにいたとしてもその中の異端となります。

信仰的に言えばその辺りから問題があります。

お父様をメシアとして受け入れる。亨進様をその後継者として受け入れ、三代王権の二代目王様として信じ受け入れ、侍る。そしてその言葉をお父様の言葉として受け入れる。

従ってトランプ大統領は神が立てたマクロの摂理の中心人物ととして基本的に受け入れる。

それを前提としてその政策を論ずるということになります。トランプが完全ではありません。


もしそういうことでは難しい面があるとすれば、韓半島を救うためトランプが必要であることを証明するのが良いと思います。

オバマの政策の延長すなわち何もしないこと、戦略的忍耐の政策を続ければ、やがて北朝鮮はアメリカに届く大陸間弾道核ミサイルを開発しそれによってアメリカと交渉し、在韓米軍の撤退させ、南北統一を北主体で実現する。つまり韓半島は中国主導による共産主義統一が達成される。

(それが理解できなければ統一教会で何を勉強していたのだということです。)

それを防ぐにはトランプ大統領を立てなければならない。もしそれ以外の人が大統領になれば、決定的にロシアと対立し、第三次世界大戦の危機が迫り、韓半島には対応はできない。たとえばヒラリーが大統領になっていればロシアと戦争になるとする論調はアメリカでは結構ありました。

トランプを受け入れるのが難しければアメリカと在韓米軍が韓半島から引けば韓国は終わるということです。

韓国を北朝鮮から守るため、神様がトランプを送ったのだと言うしかないでしょう。

日本人に次々と天才少年現れる。天運の証拠か?

日本に神様からの祝福の予感があると前回書きましたが、其の予感の根拠になるかもしれないと思うことがあります。

その国の将来は若者を見れば占えるという意味の言葉をアボジが言われたことがあります。

日本からは将来性豊かな若者が次々と現れていると感じるのは私だけでしょうか?

たとえば、今日将棋の世界で今までの記録と並ぶ28連勝を14歳の中学三年生が達成しました。この藤井聡太四段はプロ棋士になったのが14歳2ヶ月で、去年、史上最年少の記録を塗り替えていました。

そしてプロ棋士デビュー以来無敗での28連勝の記録達成で世の中にいろんな意味で衝撃を与えました。

二度と破られることはないのでは無いかと言われた記録を三十年以たってしかも14歳の中学生にそれも無敗のままで並ばれるとは予想もできない記録達成と言われています。

本人は実力以上の「僥倖」(偶然の幸運)、つまり運がよかったと言ってますが、もちろんそれも実力のうちかもしれません。

前回の記録達成者は自分の時は終了サッカーで言えば終了まであと10分で三点差で負けていたのをひっくり返して勝ったのが3回くらいはあったけれど、藤井四段は負けていてもせいぜい一点差くらいを勝った程度なので本当にすごいと語っていました。藤井棋士にはまぐれに近い勝利はないということになります。

このような世の中がびっくりするいわゆる「天才」が現れるのは私にはなんらかの理由があると思えてきます。つまり日本に天運が近づいているのかもしれません。

しかし、将棋の世界は日本のみ、なので舞台が小さいと思えるかもしれません。

ところが同じ14歳の中学二年生で今年、世界選手権で世界ベスト8に入る天才が卓球界に現れました。

惜しくも中国人選手に敗れてメダルを逃しましたが、二回戦で日本では絶対王者と言われる過去史上最多の9回日本チャンピオンとなっている世界ランク日本人最上位6位の水谷隼選手を圧倒して勝っています。

彼は「チヨレイ!」という気合いの叫び声が有名になり、今年の流行語大賞にも入賞するかもしれないほどの話題です。

早ければ、東京オリンピックのメダル候補にも名乗りを上げそうです。ちなみに彼に今回負けた水谷選手は前回のリオ五輪では銅メダルを取っています。

彼の名前は張本智和と言いますが、両親は中国人で彼が日本人としてオリンピックに出たいと言って一家で日本に帰化した帰化二世です。

お父さんもお母さんも中国の元卓球選手でお母さんは中国ナショナルチームにも選ばれた卓球エリートの家庭ですが、張本選手の生まれる前に卓球を教えるために日本に来て今は夫婦で卓球教室を運営しています。

人種的?には日本人ではないかもしれませんが、国際化の時代ですので、以前の国籍には関係なく、帰化すれば、日本人になったわけでもちろん日本に同化しているわけです。

また張本選手は14歳ながら、18歳以下の世界ランクは堂々の一位であり、日本でも年代別の記録を次々と塗り替えています。

まえにも触れましたが、私は四十歳をいくつか過ぎてから子供達と一緒に卓球を趣味で始めました。この数年間はラケットを握ることも無くなりましたが、卓球を通してみことばを身体で学び、また霊的な体験を多くしました。

スポーツの世界は科学的でもあり、精神的であり、神がかりというか霊界を感じることも多いのです。

そして名実共の天才と呼ばれる少年少女が出てくるには様々な要因があると思いますが、彼らにはこれくらいが常識かなという普通の人が考えてしまういわば一般的な思考の枠というものがないのです。

たとえば藤井聡太棋士の場合、連勝記録とかマスコミが取り囲むとか、相手がとても格上とか、そういう重圧といったものにとらわれない良さを持っています。

それは勝負も含めて将棋が好きでたまらないということです。

それは張本選手にも言えることです。両親が卓球エリートだから卓球選手としてトップに行きたいという教育であったわけではなくお母さんの話によれば、卓球のプロにはさせたくなかったそうです。

それがどれくらい厳しい道であるかよく知っているからと言います。ですから普通によく勉強して安心できる道に進ませたかったと言います。ですから小学校低学年の頃は宿題をしないと卓球をやらせなかったそうです。そして高学年になると学校から帰るとすぐ学習塾に通わせてみっちり勉強してから卓球をしていたのです。

小学校の時は県下で「指折り数えられるほど」塾では優秀な成績だったと塾の指導者も語っていました。

しかし、小学校の卒業作文に将来の夢は日本人としてオリンピックの金メダルを取ることと書いて、また全校生徒を代表してその前で宣言したのです。

中学校からは国立のJOCスポーツアカデミーを所属して金メダルを目指しています。

彼も自分が好きな卓球を極めようとしているのであって誰かの思考の枠にとらわれない自分に忠実な生き方をしています。

先回腑に落ちるということを書きました。自分がやりたいこと、納得することをとことんすることが天才を生み出すと思います。

韓氏オモニと家庭連合幹部の失敗により、蕩減の時代はまだ続きますが、やがて終わります。本性と天性の時代が来ます。日本からも次々と天才が現れて日本人全体を通して創造本性的な時代が来ることを願います。

自分や自分の家庭はそれどころではないと言われる方も多いと思います。

しかし、私が申し上げたいのは今までの自分に捕らわれ過ぎていませんか?ということです。

自分は頑張ってみたけれどダメだった、自分はここまででそれ以上は変われないという固定観念に捕まり過ぎていないかということです。

もちろん歳を取るごとに体力は衰え、無理がきかなくなります。しかし、それでも成長できることはあると思います。また超えれなかった堕落性を超える可能性があるでしょうし、愛せなかった、恨んできた相手に対する気持ちが変わっていったという「奇跡」は五十代でも六十代でもあるのです。

そのような例を挙げることができます。

しかし、まずできることから挑戦してみましょう。

私は決して運動神経の良い方でもなく器用な方でもありません。

卓球も子供に嫌われるほど下手でしたが、それでも子供に教えながら、みことばを身体で知る訓練をしました。ですから中学校でもコーチを頼まれてやりました。大阪府で団体戦で二度2位にもなりました。

学校の先生からは教員免許がないんですか?と聞かれました。あれば正式なコーチの契約をしたでしょう。

将棋ももう何十年も指していませんがたまにスポーツ新聞の詰将棋をしてみます。10分で初段とか五分で一級とか書いてありますが昔はほとんど解けなかったのが今ではだいたい解いてしまいます。

アボジは頭の体操のようなものを時々やりなさいと言われたことがあります。

一時会社の先輩に誘われて数独をやりました。なんでもそのようにやってみながら、自分の課題だと思えることに挑戦する訓練が必要だと思います。

それは常に新鮮に柔軟に成長できる自分を保てるようにしたいからです。

常日頃からみことばを理解できる自分になりたい、もっとみ旨を愛せるものになりたい、神様を常に愛せる、神様が好きな自分になりたい、そうなってこそ真に自由な人間になれると信じるのです。

二代目王様とともにサンクチュアリの使命を果たしましょう。

家庭連合すなわち旧統一教会が変質していったのがいつからなのかはわかりません。

私が旧統一教会に入会したのは1974年の12月でした。その年は第二次七年路程の最終年で第二次七年路程に最後とはいえそれに引っかかって復帰されたのは意義が大きいとか先輩に言われたりしました。

その時は確か、人類の「希望の日」講演会の摂理が中心的で朴晋正熙(パクポーヒ)氏が講演しておられました。

年末のある日その講演会に行くと朴先生の声が一段と高らかに響き渡り、人類の偉大な指導者文鮮明先生が紹介されました。

文先生はなんと最前列に座っておられたのに全く気付かず、朴先生に壇上に上がるように誘われて、ややえんりょがちに見えたのですが、壇上に上がられて両手を振られました。

それがアボジを実際に見た初めての経験でした。まじそんな大会やら希望の日晩餐会の映像で何十回と見ていたのですが、その時の印象よりも小さくみえました。

後で先輩から聞いた話ではアボジは「第二次七年路程は失敗した。松濤本部はサタンがドグロを巻いているよ」と言われたとお聞きしました。

その時の私にはなんのことかほとんどわかりませんでしたが、お父様が小さく見えたのはそういうことなのかと思った記憶があります。

1960年から1968年一月一日までが第一次七年路程でお父様の御聖婚から神の日の制定までが家庭的勝利基盤であり、そこから74年までが第二次七年路程になり、民族的基盤を勝利しなければならない期間でした。それは五万の核心要員、五十万の会員を復帰するという伝道が目標でした。

しかし、それが、勝利できず、実体人間の復帰の前に象徴的万物の復帰が主なる目標となりました。

それから長い期間、万物復帰、すなわち経済活動が主な前線活動となりました。

ある程度原理原則通り、印鑑、人参の経済活動前線から、展示会活動、幸せ会のビデオセンター方式が定着し、80年代多くの壮婦が復帰されました。

やがてバブルが弾けて、90年代から社会的にも糾弾を受け、本来の原理的転換点を迎えられず、変質を続けていきました。

私が伝道された時が一つの転換点でした。

70年代、私は何度も路傍や電車の中で「伝道」されました。

最初は確か中3くらいで電車の中で小さな折りたたんだリーフレットに裏表難しいことが書いてあって修練会のお誘いがあったように思います。

何が書いてあったのか今となっては何も覚えていませんが、なぜか行きたいな、その修練会に出て見たいと思ったことを覚えています。

高校受験の時もあるし、将来そんなところに行ってみようと漠然と思っただけでした。

高校に入って部活も忙しく、繁華街の路傍やら阿倍野の歩道橋やらで声を掛けられて、神様はいると思いますか、とか聖書を読んだことありますか?とか聞かれた記憶があります。

結局、みことばを知ったのは、大学生になってから大学近くの駅頭で二度目のアンケートを答えて教会に行きました。

自分を振り返ってもキリスト教の基盤の無い日本での伝道は難しかったのだなと感じました。

私の家計は神道で本家は平安時代から続くと言われる神主の家系です。

しかし、本家の跡取りは徳島大学で教授をして神主は途絶えそうだと聞いたこともあります。母親は結婚後カトリックに入信して小学校の低学年までカトリックに通いました。

仏教は献身後、少し独力で学びました。

それで有名な讃美歌は皆知っていました。

サンクチュアリの聖殿シックは特別な位置にいます。

それだけにその特別な位置にふさわしい使命を果たすべきだと思います。二代目王様から使命を授かっています。

天一国憲法をしっかり学んでそれを社会の上層部に伝えていく使命、ミクロの摂理をマクロの摂理につなげる使命があります。トランプ大統領を支援して。この国と世界を守る使命があります。

それは単に知識を増やしていくことではなく、得た知識が血となり肉となって魂を活かすものとならなければなりません。

私が復帰される前、本当に初期の統一教会の頃、機関紙(誌)になんと懸賞論文の募集がありました。そのテーマは「イエス様の十字架は本来の使命であったのか」という趣旨であったと記憶しています。

イエス様の十字架の死は神様の最初からの予定であったのかそれとも二次的に与えられた使命であったのかというような説明があったように思います。

世界のどの国からでも天一国は可能でしょう。またアメリカが最も重要な国であることは確かです。

しかし、日本がアメリカを支えなければなりません。

長男の国が大黒柱の国となったとしても支える国が必要です。母国という言葉があります。たとえ世界にこの国から貢献する人材が、どんなに現れてもそれは絶対必要ですが、それと同じようにこの国自体がアメリカとともに世界を守る国として存在がますます重要であると確信しています。

私はこれから日本が神様から祝福を受けるだろうと確信しています。これまで北朝鮮問題を中心として厳しい予想が多く、艱難の予想をせざるを得ませんでした。

それとともに試練の後には神様の祝福があることも事実です。祝福のたねは蒔かれつつあると思います。

それを蒔いているのはサンクチュアリのシックです。

かつて松濤本部に毒ヘビがドグロを巻いていましが、サンクチュアリには小さなヘビがいるかどうかは知りませんが、大蛇や毒蛇はいないのです。家庭連合には 家庭連合すなわち旧統一教会が変質していったのがいつからなのかはわかりません。

私が旧統一教会に入会したのは1974年の12月でした。その年は第二次七年路程の最終年で第二次七年路程に最後とはいえそれに引っかかって復帰されたのは意義が大きいとか先輩に言われたりしました。

その時は確か、人類の「希望の日」講演会の摂理が中心的で朴晋正熙(パクポーヒ)氏が講演しておられました。

年末のある日その講演会に行くと朴先生の声が一段と高らかに響き渡り、人類の偉大な指導者文鮮明先生が紹介されました。

文先生はなんと最前列に座っておられたのに全く気付かず、朴先生に壇上に上がるように誘われて、ややえんりょがちに見えたのですが、壇上に上がられて両手を振られました。

それがアボジを実際に見た初めての経験でした。まじそんな大会やら希望の日晩餐会の映像で何十回と見ていたのですが、その時の印象よりも小さくみえました。

後で先輩から聞いた話ではアボジは「第二次七年路程は失敗した。松濤本部はサタンがドグロを巻いているよ」と言われたとお聞きしました。

その時の私にはなんのことかほとんどわかりませんでしたが、お父様が小さく見えたのはそういうことなのかと思った記憶があります。

1960年から1968年一月一日までが第一次七年路程でお父様の御聖婚から神の日の制定までが家庭的勝利基盤であり、そこから74年までが第二次七年路程になり、民族的基盤を勝利しなければならない期間でした。それは五万の核心要員、五十万の会員を復帰するという伝道が目標でした。

しかし、それが、勝利できず、実体人間の復帰の前に象徴的万物の復帰が主なる目標となりました。

それから長い期間、万物復帰、すなわち経済活動が主な前線活動となりました。

ある程度原理原則通り、印鑑、人参の経済活動前線から、展示会活動、幸せ会のビデオセンター方式が定着し、80年代多くの壮婦が復帰されました。

やがてバブルが弾けて、90年代から社会的にも糾弾を受け、本来の原理的転換点を迎えられず、変質を続けていきました。

私が伝道された時が一つの転換点でした。

70年代、私は何度も路傍や電車の中で「伝道」されました。

最初は確か中3くらいで電車の中で小さな折りたたんだリーフレットに裏表難しいことが書いてあって修練会のお誘いがあったように思います。

何が書いてあったのか今となっては何も覚えていませんが、なぜか行きたいな、その修練会に出て見たいと思ったことを覚えています。

高校受験の時もあるし、将来そんなところに行ってみようと漠然と思っただけでした。

高校に入って部活も忙しく、繁華街の路傍やら阿倍野の歩道橋やらで声を掛けられて、神様はいると思いますか、とか聖書を読んだことありますか?とか聞かれた記憶があります。

結局、みことばを知ったのは、大学生になってから大学近くの駅頭で二度目のアンケートを答えて教会に行きました。

自分を振り返ってもキリスト教の基盤の無い日本での伝道は難しかったのだなと感じました。

私の家計は神道で本家は平安時代から続くと言われる神主の家系です。

しかし、本家の跡取りは徳島大学で教授をして神主は途絶えそうだと聞いたこともあります。母親は結婚後カトリックに入信して小学校の低学年までカトリックに通いました。

仏教は献身後、少し独力で学びました。

それで有名な讃美歌は皆知っていました。

サンクチュアリの聖殿シックは特別な位置にいます。

それだけにその特別な位置にふさわしい使命を果たすべきだと思います。

天一国憲法をしっかり学んでそれを社会の上層部に伝えていく使命、ミクロの摂理をマクロの摂理につなげる使命があります。トランプ大統領を支援して。この国と世界を守る使命があります。

それは単に知識を増やしていくことではなく、得た知識が血となり肉となって魂を活かすものとならなければなりません。

私が復帰される前、本当に初期の統一教会の頃、機関紙(誌)になんと懸賞論文の募集がありました。そのテーマは「イエス様の十字架は本来の使命であったのか」という趣旨であったと記憶しています。

イエス様の十字架の死は神様の最初からの予定であったのかそれとも二次的に与えられた使命であったのかというような説明があったように思います。

世界のどの国からでも天一国は可能でしょう。またアメリカが最も重要な国であることは確かです。

しかし、日本がアメリカを支えなければなりません。

長男の国が大黒柱の国となったとしても支える国が必要です。母国という言葉があります。たとえ世界にこの国から貢献する人材が、どんなに現れてもそれは絶対必要ですが、それと同じようにこの国自体がアメリカとともに世界を守る国としての存在がますます重要であると思っています。

私はそのように確信しています。