ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

ある喫茶店で家庭連合の壮年に出会いました。霊界は近い?

先日日曜日に夫婦でよく行く喫茶店でたまたま一人でモーニング食べていたところ、少し離れたところに見覚えのある人が座っていました。

家庭連合で同じ教会に通っていた壮年が二人で来ていたのです。この喫茶店にはもう五年以上来ていて初めてシックに会いました。

少し様子を見てから声をかけると、おータメサダさんじゃないですか久しぶり!と言ってきたので、こっちのテーブルにおいでよと誘うと二人してニコニコして同席して来ました。

前回紹介したベンハーの映画を見て、お父様がシックに会いたい、とおっしゃっていたその翌日だったので何かあるのかなと思った矢先、本当に久しぶりに家庭連合の壮年に会いました。う〜ん。霊界は近い!って感じます。

家内が、スーパーで家庭連合の人に会うと挨拶と一言二言話しすることもあったりするらしいのですが、ある本家庭の人なんかはあーと叫んで慌てて逃げ出す人もいて話す機会もなかなかないのですが、そこは男同士、いやー今日は会えてよかったと満面の笑みで喜んでくれます。

というかまあ、そういう壮年同士の付き合いを特にサンクチュアリに来るまでの数年間は作りあげて来た自負もあり、またもともと仲の良い教会の壮年だったところかもしれないのですが。

壮年特に規制家庭の夫たちは奥さんに連れられて教会に来て祝福を受けて来たので、なかなか奥さんの反対を超えてこっちに来ることは難しいのが現状です。

たまたま会った二人は難しい話しは苦手な人でしたので私が誘った壮年男性二十人の中にも入っていませんでした。

サンクチュアリのことは話さず三十分くらい朝食を食べながら、礼拝の時間まで話して、また日曜日この場所でたまには会いましょうと言いながら、別れました。

多分礼拝後の昼食を壮年同士で食べている間とかに私と会った話しが出ているでしょう。

もし婦人達の耳に入れば、あの喫茶店はサンクチュアリに行った誰それがよく行っているから言ってはいけないということになるかもしれません。

しばらくすれば自ずとわかることですが。

なんとも不自由な人間関係です。お互い付き合って来た仲間がろくに話もできないということは世の中でもそうはないことでしょう。

しかし私たち夫婦に会ったり話しをしたりすれば、かならずアベル最終的に壮年部長、婦人部長、教会長に報告することというメールが流されています。実際そのメールを見せてもらったこともあります。永遠の命がかかっていますと書いてありました。

いずれにせよやがてこの組織は崩壊することでしょう。

その時の受け皿が必要です。幹部は罪が深く厳しいでしょう。しかし、あー、会えてよかった、嬉しいと素直に言ってくれる末端の一般シックは受け皿次第で帰って来れそうに思います。

このブログも家庭連合の本部または地区本部あたりが読んでいるのでまた警戒のお達しが出て来るかとしれません。

ご苦労様なことです。そしてさらに罪を重ねていきます。

誘っても誘わなくてもサンクチュアリー に来る人は来るのです。来ない人は来ないのです。サンクチュアリに行かないようにと圧力をかけたり、反サンクチュアリの宣伝、プロパガンダをすれば、罪がまた深くなります。

私のブログを読んでいる家庭連合の方々よ。これ以上罪を重ねないよう勧告、警告します。

私に対する警戒はわかりますが、今の韓国人教会長は教会長在籍期間がとっくに五年を超えています。呆れる長さです。笑ってしまいます。

この喫茶店は日曜日とかに夫婦か家族でモーニングを食べに来ます。

例えば、ワンコインで、たっぷりの野菜サラダ、四種類の果物、目玉焼きにコロッケ、パンに飲み物まで付きます。

その日は妻が半年に一回の職場の懇親会で日帰りツアーに参加したので私一人が立ち寄っていました。

懇意の市会議員が来ていたり、私たち夫婦のファンという方もおられて軽い社交場にもなっています。

さあ、今日も頑張りましょう。

このブログの五つの方向性。そして、映画ベンハーを観て。

このブログで扱う内容は大きく分けて、誌上説教や信仰観、日本をキリスト教的土壌にしていく文化論、韓半島を巡る主に安全保障上の問題、トランプ大統領を中心とするマクロ的摂理、自分や身の周り的な随想など多岐にわたっています。

その方向性はみことばを咀嚼し、生活や人生の中に落とし込んでいく方向のもの、個人も家庭も吹っ飛んでしまう安全保障上喫緊の課題、また、中、長期的日本人としての課題さらにマクロの摂理の重要な課題、最後に全く個人的、家庭的、家庭教会としての身の周りの様子を綴ること、がそれぞれ対応して方向性をもっています。

3月から5月にかけて韓半島の問題が緊急的でしたのでそれに集中しましたが、一段落して、ブログの内容を検討した結果だいたい先ほど紹介したようなものがこれからも出てくるのかなと整理されてきました。

ブログを書くことは私自身の成長にとっても重要です。また読んでくださった方々がいろんな感想やら参考をしていただくことでともに成長したりして、ひいてはみ旨の前進につながればと願っています。

今日はキリスト教の定着化を自分自身を例に取り考えてみます。

先日たまたまケーブルテレビで映画ベンハーをやっていました。ちょうど戦車での迫力あるシーンあたりから見たのですが数十年ぶりに観たせいか新鮮でした。

そして昔の記憶とは全く違った感想を抱きました。

映画観賞にもいろんな段階があるのだなと改めて感じたのです。

一般的にはハデな戦車の競争の場面の紹介が多くスペクタルが見どころなどと言われます。

次の観賞のポイントは主人公の恋人が、イエスに出会い、心洗われて平和を求めて、さらにはやがて憎しみに燃える主人公もイエスに感化されて改心していく心の変化を見どころにする見方があります。

ここはこの映画の最も狙ったところかもしれません。

さらにはこの映画では疫病と訳されていましたが、最近ではハンセン氏病と呼ばれている感染症(昔はらい病と呼ばれていました)となっていた主人公の母親と妹がイエスと出会った直後にあっと言う間に治ってしまうのもう一つのクライマックスでした。

二十代のころ観た記憶では奇跡信仰には違和感があるな、イエス様は奇跡を起こしたが故、民衆はついてきたが、信仰は歪んでしまったという感想がメインでした。

今見てみると映画の製作者や原作者の意図はわかりませんが、その疫病で爛れて肉体が崩れていく様子が、(映画ではそれほどリアルではありませんが、悲田院その他で昔から日本でも知られている病気ですので)想像できます。

すると映画の意図とは別にそれは肉体上のことですが、堕落人間の霊人体の姿に思えてきたのです。

イエスの奇跡は病気を治したり、死人を生き返らせたり、海の風といった自然現象もありました。

しかし、作者は多くの奇跡の中でたった一つの“らい病”を取り上げました。それは映画や文学上効果的であったのかもしれませんが、私には人間の霊人体を暗示、象徴しているように思われました。そう私には疫病による感染は即霊人体の悪化している姿を想起させるものでした。

その時の私自身の課題と思えるものに直結していたからでしょう。

魂が美しくなることをその時切望していました。

私はその時その映画を見ながらイエス様に出会い、また再臨主に出会いました。神様の堕落人間を救いたい心情に出会い涙がとめどなく流れ、嗚咽していました。

そしてお父様が言われました。

「私が愛してきたと家庭連合のシックたちがああいう姿になってしまったよ。もう一度前の姿で会いたい」と嗚咽して泣きながらおっしゃいました。変わり果てた韓氏オモニを見るのはよほどのきつい色付きの眼鏡でしかご覧にはなれないのかもしれません。

今の段階でお聞きできるものではありません。

腑に落ちる話。アメリカファーストの真意とは。

私ごとですが、骨折から一ヶ月半、ギブスが取れて半月くらいでようやくアルバイトの研修に一日過ごしたのですが、なんと正式出勤日は月末から。慌ててハローワークに失業手当の再開をお願いしました。

つまり、その研修日から賃金が発生するため、その前日で失業保険による手当は終わります。新たな雇用先からは中旬から業務とあるだけで研修日当日になって月末からの出勤であることがわかりました。

すると、中旬にあった研修日から月末までの半月間失業手当も賃金も出ずということで痛手です。

その研修日1日限りで再契約はしませんという文書を雇用先からもらってそれを根拠に失業手当の再開をハローワークに主張するのですが、失業手当再開の根拠のために会社がそのような文書を作ったのでないとハローワーク側が説明するので異を唱えました。

雇用先の会社に電話して私の主張が正しいことが判明しました。

そして出勤日前日までの約半月間の失業手当をもらえるようになりました。私にとって失業保手当は生きていく上で必要です。

なぜこんなことを書くのかというと普段からこちらの主張をしっかりと伝えて、もちろん相手の話もちゃんと理解しようとするのですが、いわゆる腑に落ちるということの大切さが身にしみていることをお伝えしたかったのです。

腑に落ちるという言葉は知っていましたが、そのことをしっかり考えるようになったのは数年前からです。

私達はいろんな場面でいろいろな説明を受けます。そこでなんとなくわかったようなよくわからなかったような印象を持ったままで終わってしまうことはありませんか?

サンクチュアリのシックはそうではありませんね。それはおかしいとよく異を唱えるというか簡単に納得しないでしょう?それは改めて大切なことだと思います。

そのとき納得、つまり腑に落ちるまで真実を尋ねて求めるべきだと思います。

先日もある日本サンクチュアリの中心メンバーのお一人からみんなああだこうだと意見が多くてなかなかいうことを聞いてくれない、江利川会長も大変苦労されているとお話くださいました。

なるほど日本サンクチュアリでもそうなんだ。みんな長いものに巻かれろでもないんだなと改めて思いました。

ある程度はそういう訓練や過程は仕方ないと思うし、必要なことであると思います。

もちろん人の話はしっかり聞いて受け止めることも大切なことであるのですが。

さて、本題に入って行きたいと思います。

腑に落ちるところまで徹底的に議論することの大切さはこの時期にとても重要だと確信しています。

たとえば経済政策において何が正しいのか、専門家でも意見の分かれることも多いのです。わからないことだらけと言っても過言ではないでしょう。

そのためには正しくかつ重要なポイントを見つけること、そして優先順位のつけ方、処理の仕方の順序などを明確にすることです。

たとえば、世界で最も優先順位の高い問題はなんでしょう?

まず世界大戦、とくに核戦争を防ぐことです。ヒラリーが敗れ、トランプが勝つことによって当面は防ぐことができました。しかし、ヒラリーを勝たせたかった勢力はトランプの弾劾を狙っています。

ですからこれを防ぐことがまず重要です。

次に重要な問題は北朝鮮問題です。これは日本と韓国に深刻な影響があり、次回以降引き続き取り上げます。

それと同じくらい重要なのはISイスラミックステートをはじめとするイスラム過激派集団によるテロ問題です。これを解決しなければ将来イスラム社会対キリスト教社会の深刻な対立、さらには文明の衝突から文明の戦争へと拡大してしまいます。

トランプ大統領はそうなる前に手を打とうとしています。

それはそうですが、私達日本人や韓国人にとって最も優先順位の高い問題は北朝鮮問題です。

この解決のためにはアメリカは圧倒的な軍事力を背景にして北朝鮮に圧力を加えることが問題解決の前提です。その実力を背景にしてこそ外交的な圧力や交渉が可能となります。

空母打撃群その他の戦力を配備するにも、韓国などの犠牲を最小限に食い止めるためにも、強力な、圧倒的な軍事力を持たねばなりません。

それを可能にするにはこれまた圧倒的軍事費が必要となります。その軍事費はアメリカ国内から調達しなければなりません。

そこで、アメリカ国内の経済的安定が必要です。

世界の警察官をする力はアメリカにはもはやありませんが、アメリカの国益を守るための軍事力の行使は必要であると考えています。そのためにも経済的な立て直しが必要です。

アメリカファーストの真意はそこにあります。