ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

誌上説教。「主の霊のあるところに自由がある。」天一国の自由とは?

誌上説教です。良ければご覧ください。

○聖書拝読。

コリント人への第2の手紙三章17節。

「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。」

○説教。「主の霊のあるところには、自由がある。」


さて、自由という言葉はいろいろな意味で使えるのかもしれません。

(*の間の文章は飛ばして読んでいただても大丈夫です。)



*たとえば、原理講論では堕落論第5節(一)自由の原理的意義では一般的な自由とは何かということではなく、原理講論での自由の原理的意義を説明しています。

それはそれで原理的な意味での原理の理解には大切でしょうが、普通の立場ではすぐには理解できません。

また文先生も一般的な言葉で自由を語られることもあります。

もちろん二代目王様も一般的な言葉の使い方を普通にされます。

他にもそのような例は見ることができます。

たとえば良心という言葉ですが、原理講論では良心の定義は(参照〜創造原理第六節(三)(2)生心と肉心との関係から見た人間の心)はありますが、それとは別に文先生は良心は神様に勝るといったみことばがあります。*


二代目王様の使われている自由という言葉はいうまでもなく一般的な意味で使われている自由ということであると思います。

一般的な自由の意味は何ものの制約も受けない状態にあることを言います。

なぜ、それが大事なのでしょうか?

それは神様との間において何ものにも妨げられないあるいは神様との関係を妨げられないことが重要であるからです。

しかし問題もあります。なぜなら神様との関係を完全にストレートに築くことは不可能に思えるからです。

それでは自分がどの程度、神様とつながっているのか自分でわかるのか?という課題に直面します。

それは知識や経験はある程度役に立っても、自分のみことば知識として知っていても、充分ではありません。

あるいは神様を感じてきた経験が過去にあったとしても、それだけを根拠に自分は神様と確実に常につながっているという保証がないのも事実です。

そこでやはり祈りが重要になります。

霊的に祈って霊の存在である神様と繋がらなくてはなりません。

これが私達の課題でありまた審きであるとも言えます。

それは私達の課題にとどまらず、二世達、私達の息子、娘たちがさらにその試練に直面します。

私達一世は堕落の血統と堕落の社会や環境で生きてきましたが、二世特に祝福の二世は原罪もなく、両親から本来的な愛情で育てられてきたはずです。

ですから彼らの本性をどれだけ信じてあげられるかが大切になります。


二代目王様は天一国においても(性的)堕落はあるとお話されました。

そういう意味でいうと天一国は天国という言葉の意味と同じではないことになります。

そしてなぜ堕落があるかというとそれは自由が保障されているから堕落するものも出てくることは避けられないだろうと言われています。

麻薬を法律で禁止しないというのも同じ考えです。

その一人一人が、自分で判断できなければならないのです。

もちろん親がそれがどれくらい悪なるもの、あるいは悪なる影響があるものであるかをは熱心に話すことはしていいわけですが、最後は子供に強制はできないのです。そのように強制されれば、子供、特に祝福二世の心は傷を持ちます。

堕落人間であっても感受性が強けれは、時に深く傷つきます。


昔から言われてきた言葉としては心がスポイルされるというわけです。

スポイルとは辞書で引けば、最初に出てくる意味が① 本来もっている良い性質を損なうこと。とあります。

つまり二世は本人が理屈ではなく、本性として受け入れられない、あるいは自分が持っている大切なものを傷つけられたと感じるのです。

私もたくさん失敗してきました。だいぶ変わりましたが、今も失敗を重ねていると思います。

その意味で謙虚に子供の心に聞いて見ることは何よりも大切であると思います。

それは本当に大変なことです。

子供に教えてあげることは大切ですが、教えた後は子供の自由を保証しなればなりません。

天一国では、強制して堕落させないということはできません。麻薬もそうです。

ですからお父様もご苦労をされました。ご子女様が堕落しても、麻薬をしても強制的して止めることはされません。

私はその疑問が二代目王様のみことばでやっと理解できました。


主の霊のあるところに自由がある。というその自由の大切さは主の霊と触れ合うことができなければ、かなり困難です。

そしてその歴史の集積されたものがアメリカ憲法に凝縮されました。

その歴史と伝統を受け継いだ、つまりキリスト教は長成期の宗教であり、完成期の再臨期につながるものが、アメリカ憲法であります。その精神を受け継ぎ、それを基としたものが、天一国憲法なのです。

アメリカが自由の国とは本来そのような意味なのです。

「主の霊があるところに自由があります。」

自由な霊的環境て、イエス様を

真のお父様を感じて霊的成長する信仰生活を送りましょう。

安倍改造内閣の話題の新閣僚について。その三。そして自由について。

今回の安倍改造内閣での話題の一つが稲田前防衛大臣の後任に誰が収まるかということでした。

家計学園問題などで揉めた文科省とは官僚、省庁の掌握がしきれず、軋轢、混乱が生じた点は似ていますが、内容的にはかなり違うと思います。

松野前文科省の答弁が二転三転してしまったり、文科省を掌握しきれてなかったこともありますが、官邸、内閣府と文科省という省庁間の調整が機能しなかった事により、対立があり、そこから前川前文科省事務次官の反乱へとつながりました。

その省庁間の対立で一方的に文科省が、反論が不可能になり、つまり、完全に敗れたにもかかわらず、それをすり替えて、野党やマスコミの報道を利用して、官僚の意地、もしくは悪あがきを見せたものです。

稲田前防衛大臣の場合は個人的な大臣としての資質が問われてしまった点が大きかったのですが、安倍首相の“秘蔵っ子”として将来の総理総裁候補として注目されていた面もあって大きな問題もしくは政権の痛手となりました。

早ければ、安倍首相の自民党総裁三選後の有力な首相候補になるかもしれないと期待されていたし、弁護士時代から、舌鋒鋭い保守の論客として活躍していたので、防衛大臣としは適任と思われました。

ところが、今年になってマティス米国国防長官との会談後耳を疑うような情報がアメリカから流れてきました。

アメリカ側が、稲田大臣が、防衛問題についてかなり無知であり、マティス国防長官のカウンターパートナーとしては物足らない、如何なものかという話が伝わってきました。

さらに稲田大臣か、ハイヒールで潜水艦の上を歩いて関係者が皆顔色を変えたとか、あまりの無知、無神経ぶりが伝えられるようになりました。

また部下の報告を受ける時も、ヒステリックな対応をしたりとかして、官僚、特に制服組の信頼を失った面が伝えられてきました。

また政治家としてもおおきな失言が続き、またその対応も説得力に欠けていました。

そのようなことから、不信感がつもり、信頼関係が大きく損なわれてしまいました。

その後任に、防衛問題に精通し、また国会などの答弁にそつのない小野寺五典元防衛大臣の起用はそれしかないほどの適任であったとされています。

もちろん、制服組からの信頼も厚いと聞いています。


困った時の林さんと言われた林芳正新文科大臣と共にまさに適任の手堅い人事と言えます。

もう一人あまり注目されていませんが、わずか当選3回で大臣を射止めたのが斎藤 健新農水大臣です。

この方については私も知らなかったので新聞報道に全て頼るしかありませんが、あまりに官僚的というか、中央集権的になった農協のシステムに対して、人気の高い小泉進次郎新自民党筆頭副幹事長と共に農業政策の取りまとめが期待されます。

この方の“抜擢人事”も様々な面で多少の波紋が生まれているようです。それはこの斎藤健新大臣が数少ない石破派に属していたからです。

それは石破さんに対する配慮というよりも石破さんのグループから引き離して内閣に入れる事により安倍首相に近くに置く意味合いがあるというものです。

つまり、石破茂元防衛大臣をはじめとする自民党内の反安倍首相勢力に対する分断的な要素です。

しかし、そのような意図が安倍首相に深くあるわけではなく、たまたまそのような面も出てきたということでしょう。

国家に対して有能な人材であれば、また将来嘱望される人材であれば、積極的に登用されるべきです。

石破茂元防衛大臣も国家に対しての忠誠心はおおいにあるはずです。

さて、このように第三次安倍再々改造内閣の新閣僚の布陣を見てきましたが、二代目王様が、日本という国、韓国という国を追求していくことよりも神の国を求めなさいと最近言われました。

その真意をしっかり受け止めて行きたいと考えます。

また、韓国も日本も“政府”を神として従ってきたとも語られました。

私達はさまざまな制約やら固定観念やら、思考の方式の呪縛から逃れなければなりません。

政府を媒体とせず、自由に神様と接して行かねばなりません。

“ねばならない”信仰という義務感、使命感から成長しなければなりません。

最近、二代目王様は天一国では麻薬も合法化されると言われました。自由とはそれほど大事です。

これは私達でも簡単には理解できないくらい衝撃的な話しですが、それを信仰生活に落とし込んでいく必要があります。

政治も目標として今あるものではなく、個人としてまた家庭としてどう受け止め、どう理解して、いかに生活を通して血とし、肉としていくかが問題です。

私達は自由を前提にして考えを切り替えていかねばならないわけです。

それらは政治的な目標としては気の遠くなるような段階があるとは思いますが、日本の国を守り、安全を守るには、その段階を一歩一歩進めていく必要があります。

もちろん日本以外の国で神の国、天一国が先にできる国があればそれはありがたいことですが、日本を守り、天一国に近づける努力を今はして行きたいと私は考えています。

この自由についての考えは次の誌上説教で触れて見たいと思います。

文科省、防衛省の「霞ヶ関反乱軍」は鎮静化されるか。?

前回、安倍改造内閣のうち河野太郎氏と野田聖子氏を取り上げました。

改造内閣次の話題の新閣僚は、官僚の問題の大きかった文科省の林芳正元防衛大臣とやはり官僚と制服組の問題があった防衛省の小野寺五典元防衛大臣です。

それからそれほど話題でもありませんが、実は若手?の次世代ホープと言われる斎藤 健新農水大臣です。

次の引用はフジテレビ系のネット配信、ホウドウキヨクからの記事です。

〜引用開始〜


内閣改造で反乱軍を鎮圧?「仕事人内閣」による加計問題は…

アベノミクスはどうなる?

Aug 03, 2017

by Suzuki Makoto

Reporter


* ・安倍首相が「内閣改造」の狙いについて会見を行った

* ・文科省、防衛省の「霞が関反乱軍」は沈静化?

(中略)

安倍首相は3日、内閣改造の狙いについて会見を行った。


冒頭安倍首相は、森友学園、加計学園、そして防衛省日報問題について、「国民から大きな不信を招く結果となった」として、陳謝した。


そのうえで、新内閣を「ベテランから若手まで幅広い人材を登用し、結果重視、仕事第一、実力本位の布陣を整えた」として、「この内閣は、結果本位の仕事人内閣だ」と胸を張った。


さて、今回の内閣改造の政局分析については、昨晩から新聞テレビで情報が溢れているので、ここでは今後の政策的な注目点をいくつか述べたい。




○文科・防衛省の反乱軍は鎮静か


まず今回の改造で焦点とされていたのが、反乱軍が跋扈した文科省と防衛省を、誰が鎮圧するのか、だった。この2省の大臣人事を間違えば、政権にとって致命傷になりかねない。


文科省は、当然ながら傷を負った松野氏を外し、予想外の林芳正元防衛相を後任に据えた(もっとも経験豊富な適任者がいたのだが、その人が断ったからお鉢が回ってきたのだが)。


参議院ながら農相、経財相も兼務してきた林氏は、「霞ヶ関の組織をまとめ上げてきた」(安倍首相)実績を持つ。


加計学園問題で前川前事務次官ら反乱軍が隆起したが、閣僚経験の豊富な林氏には、「文科省の人心をまとめ、省が一丸となって教育再生にまい進する」(安倍首相)ことが期待されている。いわば反乱軍を鎮圧させる部隊長だ。


また、林氏は安定した答弁力に定評があり、次の国会で加計学園問題のさらなる追及が行われても、林氏なら逃げ切ることができるとの読みもある。


第2次安倍政権ではこれまで、下村、馳、松野と自民党文教族が大臣のバトンをつないできたが、林氏は教育行政に明るいとはいえない。


一方、安倍首相は教育改革に並々ならぬ意欲をもっており、特に大学改革についてはことあるごとにその必要性を発信している。


大学改革は今回の改造で新設された「人づくり革命」の柱の1つとして、経産相の経験もある茂木敏充氏が司令塔として旗を振ることになりそうだ。


すでに「人づくり革命(余談だが、このネーミングは何とかならないか…)」チームには、文科省など霞が関の先鋭が集められており、今後高等教育の改革は官邸が主導、文科省がバックアップに回るかたちですすむ可能性が高い。


この意味では、林氏は加計問題を乗り切るためのワンポイントリリーフと考えることもできる。


そして防衛省だが、元防衛相の小野寺五典氏の再登板となった。


防衛相として「600日以上にわたって安全保障の立て直しに尽力した」(安倍首相)実績を持ち、答弁の安定性も抜群。前任者に比べ、省内を掌握するのに時間はかからないだろう。


最近では、加計学園問題の閉会中審査においても、小野寺氏の質問は政権の守護神として群を抜いていた。この人以外にはないという人選だ。


同じ防衛族である石破氏の再登板については、当初より可能性は低いとされていた。政権に距離を置く石破氏の入閣は、安倍首相も石破氏本人も望まなかったということだろう。


(中略)


○エース登板で農業改革は


注目すべきもう1つのポイントは、農水省だ。


今回農水相となる斎藤健氏は、元経産官僚ながら、自民党農林部会長、農水副大臣を歴任し、小泉進次郎氏らとともに農業・農協改革の旗を振ってきた。


筆者は昨夜、JAグループの会合に出席していたのだが、斎藤農水相の一報が伝わると、どよめきが起こった。


小泉氏ほど強硬派ではないが、改革派の奥原農水事務次官とも通じる斎藤氏は、JAグループにとって手ごわい相手となるだろう。


日本の農業は、農業者の高齢化、少子化による消費市場の減少に直面し、構造改革と海外進出が待ったなしである。


確固とした国家観をもつことでも知られる斎藤氏に、ぜひ改革の大鉈をふるってもらいたい。

(以下省略)


〜引用おわり〜


黒頭巾の意見です。

ここでいう文科省、防衛省の反乱軍とはそれぞれの官僚、防衛省では主に制服組に首相官邸や所轄の大臣に対する不満が大きくその結果出てくるはずのない資料が出てきて安倍政権が窮地に陥っていったということです。

文科省と防衛省では同じく官僚や制服組の反乱?ということになりますが、中身は両省の間でだいぶ違っています。

文科省では、文書は存在しないとか、怪文書とかされたことに関して、前川前文科省事務次官の文字通り反乱によってひとつの省が水面下で完全に分裂した状態になり、次々とないとされていた文書や怪文書とされた文書の存在が問題になりました。

そして反乱軍と化した官僚達の一部はディープステートとなったアメリカの反トランプの官僚が反トランプ情報をニューヨークタイムズ紙やワシントンポスト紙CCNなどにリークする構造と同じ立場になりました。

これは安倍首相がトランプの十字架を共に背負った条件となったとみていいでしょう。

つまり世界的十字架を背負うトランプと同じ立場に、象徴的、もしくは形象的に背負った立場となり、トランプが勝利して与えられる栄光と同じ内容の栄光が安倍首相にも与えらるという摂理的必然があったと考えられます。

ですから私達は安倍首相の苦難を共に背負いまたその苦労を感謝し、喜ぶべきと考えられます。

森友学園の籠池前理事長は自分が不利な立場になるとマスコミの尻馬に乗って安倍首相を非難しました。

なんとも卑怯であると思います。

私達は完全に安倍首相を支持し支えましょう。

その文科省の反乱軍を鎮圧し、それをまとめる使命を与えられたのが、長年、からの親の代からの選挙区の怨讐の相手であった安倍首相との因縁を超えて首相の要請に応えた林芳正新文科大臣です。

彼が課せられた使命が果たせるよう祈りましょう。

安倍首相のために精誠を尽くして祈ってきたという籠池夫妻は安倍夫妻を裏切りました。

私達はさまざまに攻撃を受ける安倍首相を最後まで守るため精誠を込めましよう。

長くなりました。

防衛大臣その他についてはまたつぎの機会に書きましょう。