家庭生活講座その一
いうまでもなく子供たち教育の場は家庭です。
ところが、子供の教育は教会でしてくれるもので、親はそのサポートをするのだと思っていおられる方も多いようです。
それはあえて言えば、共産主義と同じです。確かに、教会がわが家のようであったとか、教会で小さい頃から育てられたとかいう幹部の二世のお話を聞くこともありました。
しかし、それは初期の教会です。12双(22双)とか777双くらいの先輩家庭やその二世の話です。
せいぜい80年代までの話で、特に個団摂理とか、環故郷の時代に入る80年代の末、とか90年代に入ると、家庭中心の摂理にいよいよ移行してきたはずですが、実際は相変わらず教会中心の活動でした。
文鮮明師が日本に入ることができず、日本はいびつな信仰が根を下ろして今日に至っています。
おかしくなっていく日本に対して文鮮明先生はどれだけ心配してこられたか?
それで韓国の先生方を総責任者に立てられましたが、日本の奴隷根性はかわらず、亨進師が韓国人の間違った主人意識を厳しく糾弾しておられますが、サタンの罠に落ちてしまいました。
何故そうなのかというと気がついたことがあります。日本の責任者を長くしておられる徳野さんや大塚さんや12双、777双の方々の多くは北陸のご出身です。石川、富山、新潟出身者は本当に多いのです。
次に多いのは小山田さんたちの東北です。
韓国人の湖北、湖南出身者が多いのは強烈な派閥意識の人間関係からきているのですが、人情味のあまりない日本では派閥意識が強いというよりも、ただ忍耐、ただ、厳しい環境でも耐え忍ぶ、おしんのような信仰?が多いのです。(みんながそうだとはかぎらないでしようが。)
それで“お上”のいうことには逆らえない、とばかり、韓国人幹部、韓オモニに逆らうことができません。
奴隷となることに主管された喜びさえ感じているのかもしれせん。もちろん対象意識はなければならないのですが、その対象意識を利用してこういうことになりました。何に主管されているのか、という感受性が大事ですが、狂ってしまったと言わざるを得ません。
極端な言い方かもしれませんが、そういう人でなければ家庭連合では長く生き残ることらしかったのではないかと思います。
ですが、サンクチュアリの江利川さんはそうは見えません。女性ですが、骨があって芯が強く、天の前には烈女でいらっしゃいます。
それでサンクチュアリは二代王亨進師から教えていただいて今までのいびつになってしまったところを直していかないといけないと思います。ここで組織論をするのが本意ではありません。
子育ては親が子供を自分の願うように育てることではないと思います。ところが日本ではアベルがカインを位置で主管するように親の位置をかん違いして、下の人を主管するように従わせようとするところに問題があるのではないかということです。
二世たち以降に大きな歪みというか犠牲になってしまうと感じています。
韓国人の大幹部が一番上にいて、その下に日本幹部がいて、下の人にも似たようなこともあったりして、同じ儒教文化の悪い点が出てきたと思います。
それはそれとして家庭連合と名前を変えたのは、決して教会中心ではなくて、家庭中心にならなければならないはずですが、実態が伴っていませんでした。
今も変わらないでしょう。
さて、子育ての話に戻します。
私が以前所属していた教会では数年前、二世のカップルが訪ねてきたことがあります。
結局、私たちの教会野所属となったのですが、スッキリとした、美男美女で夫は大手部品メーカーの技術者、奥さんは準公務員というとてもお堅い立場でした。)模範的食口というよりもうちょっと垢抜けしたかんじでした。)
夫は原研出身で、教会 生活をしてきた好青年、奥さんは長く二世教育に携わってきてやる気いっぱいというお手本的なカップルでした。
それで早速奥さんが、礼拝で、二世としてどう育ってきたかを証していただいたのですが、その内容にみんなキョトンとしていました。
その内容とは家が教会から遠いこともあって、礼拝もほとんど参加したこともなく、教会の行事もたまに参加する程度だったそうです。もちろん親もそんな感じだったようです。
それでどうしてそんな風に育つのか?というと、家の中がとても明るくて仲が良くて何か子供たちに問題があってもみんなで相談して、みんなでフォローしていたのが全てという証だったのです。大学生になってお姉さんが祝福を受けて、自分も色々考えてやはり祝福と思って教会にも積極的に関わるようになったそうです。
私は我が意を得たような気持ちで聴いていましたが、教会の方々は、訳がわかないといったような反応でした。
そういう私も無理無理子供を教会の修練会に出したりしていっぱい失敗してきたほうですが。苦い失敗体験をしています。みなさんの中にも「痛い」体験もおありかと思います。
それをどう修正していくか?どう自分が変わって、どう子供と一緒に成長していけるか?それが課題だと思うのです。
家庭連合はダメでサンクチュアリは素晴らしいというのは簡単ですが、実体を伴うのはそれは大変なことだ私は思います。奇跡はありません。私自身が変わらなければならないのですが、どう変われば良いのか一緒に考えていきたいと思います。