第ニ代王様、亨進様の王冠。
プログ村のみなさん!亨進様の王冠を被る戴冠の儀式をご覧になられていかがだったでしょうか?王様のましてや王の王の戴冠ともなるとマイナスのイメージがあるかもしれません。権威ぶった姿に見えたり、やたら権力を持ちそうな姿に見えたり、豪華な暮らしを欲したいそうな感じでしょうか。
しかし、考えてみればイエス様イスラエルの
王の王としてこられました。十字架にかかられたので仕方なくその座を奪われました。再臨主が地上でそれを実現しなければならないのですが、お父様もその勝利権は持たれましたが、実体としてはなされておられません。ですから、その後継者が王の王にならねばなりませんし、また王の王は勝利した後も継承していかねばなりません。
亨進様は権威ぶった王様とは程遠いお人柄であることはよく知られたことです。むしろ王様という位置や意識はお嫌いだとお思います。今回の聖和三周年のサンクチュアリィ教会での式典での戴冠も当初は嫌がっておられたのですが、兄の国進様に諭されて、王冠を受けられ王衣を着られました。
国進様はカインの中のカインの道を完全に勝利されてこられました。真のお父様が亨進様を後継者として認定して祝福して愛されるのを見られて、自分が愛されていると実感して泣かれたのです。サタンはどれほど悔しく思っているでしょうか?
王のマイナスのイメージは亨進様のお姿とは被りません。むしろそのイメージは現在の教会、天正宮にあります。立派な王宮や建物、高級車、きらびやかな演出、権威ばった姿に、権力志向、さらにはお追徴、媚び、へつらい過度な持ち上げ、そのようなものが充満しています。それらは人間の芯である性根を腐らせ、意識を惑わせ、判断を狂わせます。
国進様は本性と真理で弟に屈服する道を選択されました。誰にも屈服することのない国進様でしたが、弟の亨進様には心から完全に屈服され、それはお父様が祝福される前からそうでなのです。そして全身全霊で弟を支え、勝利させようとされておられます。そのことをお母様も祝福されるべきでしたが。
王様は愛の王様です。権威や権力のそれではなく、お父様の愛の勝利に満たされた王様の愛の園です。お父様の愛を取り囲み、自己の意識もなく愛に酔い、歌い踊ります。そしてお父様が祝福してその愛の勝利の権限を後継者である亨進様に譲られたのです。その愛の権限を与え、お受けする儀式が王冠の戴冠式でした。
私達はお父様が私達全てに
亨進様を後継者としてお与えくださったことに心から感謝申し上げます。
亨進様にハレルヤ。真のお父様に永遠の億万歳を捧げます。