ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

我が家のココ、16歳で死にました。

我が家の猫の話しの続きです。実は私はこの猫と話しをしたことが何度かあります。我が家の妻や娘たちからは今なんて言ってんの?など聞かれたりするのであまり疑問にされているわけでもなくまあ普通のことでした。

この猫との会話で忘れられないものがいくつかあります。その最後のものが死んだ当日のものです。ひょっとして忘れてしまうかもしれないので、それもあって書いてみたいと思いました。

まず、この猫にとって衝撃的な事件が起こった時のことです。

それは前回も触れましたが、新しい猫が我が家にきたことです。きてから数日後、先輩猫のココはわたしに話しがあると抗議の眼差しで言いました。お父さんはどうしてこんなことをするん?と目で訴えるのです。正直こんなに抗議してくるとは思ってもみませんでした。今でもその目を思い出すと少し胸が痛みます。

次に思い出すのはもっと強烈でした。私とココを連れてきた上の娘とが気が合わなくなってもう家出て行け的な感じになって娘もそれを感じてキマヅイ雰囲気だったときのことです。ココが普段いる二階から降りてきてお父さん話しがあるというのです。「改まってなんだ。」」と聞いてみると「◯◯ちゃんを許してあげて。」と言うのです。そのような気持ちは誰にも話してなくて娘本人は気づいていたのですが、娘の様子がおかしいことになんと相棒の猫のココが心配してやってきたのです!これには正直参りました。

こういうこともあってこの猫が雑種とは思えません。姿からしてアメリカンショートヘアですが、きっと血統書付きの猫だろうと踏んでいます。後から来たチビは文字通りの野良猫で、その野良の親からも捨てられたらしい?。

後から来た猫とはもちろん私はそんな会話などしたことありません。しかし後から来たねこはチビと呼ばれて甘えることが天才的に上手でどうしてもアイドルは末っ子?のチビとなりました。この二匹の葛藤は長く家族、特に母親の嘆きとなりました。

そしてついに追い詰められた先輩猫ココの家出という事件につながっていきました。家に帰ってこなくなったココを毎晩娘は探して五日目になって家の近くで見つけて連れ帰りました。家族全員でココを囲んで息を飲んで見守っているなかで家族の真ん中に進み出たココに私がみんな心配してたんだよと言ってみんなでココを覗き込んだ時のことです。

それに対するココの第一声は「みんなわかった?」でした。つまり自分はいなくなるほど悩んで怒って抗議したんだその気持ちわかった?というわけです。私がココの第一声を伝えると家族で爆笑してしまいました。

そのことがあってから少しづつですが、ココとチビの距離は縮まってきました。

ココは死んだその日、私が仕事から帰るとすぐに膝の上に乗ってきて甘えるのです。普段滅多にそんなことしないのに、死ねことが近いのでお別れに来たのだなと思いました。私が、少し横になるとそばに来て少し苦しそうに人間でいうと小さな声ですが、ゼエゼエとしていて目を見ると苦しそうで力も入らない様子でした。でも目はわりとしつかりしているのです。首を前足に乗せてしんどそうだったのにやおら急に前足をしっかり立てて座りなおすようにしてすごい大きな声で鳴き出したのです。病人が急に立ち上がったかのようでした。最初何が言いたいのかわからなかったのですが、何度か鳴き声を聞いているうちに言ってることがわかってきました。

「この家でもっと生きたかった。みんなと一緒にこのまま楽しくもっと暮らしたかった」と力の限りに叫ぶのです。最後のあらん限りの生命の残りを絞り出すように叫ぶのです。

たった2キロあまりとなってやせ細ってヨロヨロの身体のどこにそんな力が残っているのかと思えるほどの叫びでした。私は圧倒される思いでただ聞いていました。

やがておとなしくなってその数時間後最後は娘の部屋で仕事から帰った娘によって力尽きた姿が発見されました。「ココ!よく生きたな。娘の真の友達になってくれて本当にありがとう。」

翌日、妻がココが(長く患わずに)片付いてくれて助かったと娘の前で言ったので、私が「片付いてくれたとは何事か、一週間はココを賛美しながら過ごすんだ。」と言うと娘はすかさず「四十九日やで!」と言ってきました。ココが行きている間は自立(家を出ること)はできん。と言っていた娘は四十九日の先はどうするのか?多少気になる今日此の頃です。

それはともかく、猫ですら家族と一緒に楽しく生きたいと臨終の間際まで力の限り叫ぶのです。愛を受けて、愛を与えて家族と楽しくあらん限りの力を振り絞って人間は生きているでしようか?

トランプが勝つ‼︎ そうあるべき理由とは?

さて前回我が家の猫の話の続きをすることになるのですが、それほど急ぎの話でもないので、ここにきて急展開していることについて触れて見たいと思います。

一つはアメリカ大試練選です。十日ほど前まではヒラリークリントンで決まりという情勢であったのが急変して大接戦に持ち込まれ、大逆転の目がでてきたことです。

未だに大多数のメディアはそれでもヒラリーの有利を読んでいますが、二大目王様、サンクチュアリー本部の考えは、トランプの勝ち、あるいは勝つべきであると考えておられるようです。

私の考えは最後の最後でのトランプの大逆転と信じています。日本のマスコミの論調はどちらもひどい候補者でどっちもどっちの史上最低の選挙戦という捉え方のようです。

しかし、ヒラリーが勝てば第三次世界大戦も含めて戦争の可能性が高まることの指摘が少ないようです。

日本では女性候補者ということも含めてリベラルな民主党のヒラリーの方が平和的で過激な攻撃的発言が目を引くトランプの方が好戦的な印象を持っておられる人が多いようです。

あるいは外交をよく知らない素人っぽいトランプはなにをするかはわからない危険な候補者といった印象が植えられています。

どれくらいヒラリークリントンが危険な候補者かが理解されていない隠れた側面があることを指摘しておく必要があります。

例えば内戦の続くシリア上空に防空識別権を設定すると主張しています。これはロシアにとってはかなりの脅威となることであって戦争も辞さないものと警告しています。

ヒラリーは軍需産業も含めたアメリカ大企業から多額の献金を受け、その意向に沿った政策を進めようとしています。つまりアメリカは自分は地上戦などの血を流すことなく戦争、内戦、紛争の継続を願っている軍需産業の利益に左右されている面が強くあってその代弁者こそヒラリーであるということです。

そのような点も含めて金融界も含めた大企業を中心とした既得権益者たちの代弁者であり擁護者であり受益者であり、大多数の国民に対する搾取者であるのが、ヒラリーであり、それは一般信者を搾取し、奴隷化している家庭連合の幹部と重なるものです。

好戦家ヒラリーの当選を許せば、戦争、紛争の危険性が高まり、当然日本にも危険が及ぶ可能性が高まるでしょう。

日本におけるマスコミ操作に惑わされはいけないと思います。ヒラリーの方が無難ではないかという雰囲気があります。例えば、ここでは深入りしませんが、ヒラリーの方が銃規制が進むといわれています。その方がより平和な安全な社会がくるかのような幻想があります。

ところが、銃の保有率の高いところほど犯罪率が低いことが明らかになっています。まさに抑止力が効いているのです。ですから銃規制に慎重なトランプの方がいいのです。

結論的に言えば、為政者たちの都合のいい、また一部の大企業中心とする既得権益の上位者の支配に迎合し、その上に君臨しようとしているのがヒラリーであり、ピラミッド階層社会を維持しようとするまさに今現在のサタン的候補者と言えます。

とするとその反対の候補者がトランプとなり、選択の余地はありません。

不整脈と猫の死。

先月の下旬から月末にかけて個人的なことや家庭的なことでいろいろありました。

まず仕事がハードで身体が悲鳴をあげてきました。朝から動悸が激しく言葉も出しづらく、昼頃は貧血のようにあたまがふらーとしてきて昼過ぎまで動悸が続きました。

翌日たまたま休みだったので病院に行きや翌日は24時間心電図の機械をとりつけられました。その日はメチャ楽な仕事だったにもかかわらず、見事に原因が捕まりましたと医者に告げられて心電図を見せられました。そこに早鐘のように早く打つ突発性の不整脈が記録されていて、クスリで通院と相成りました。

内科といえばインフルか、結石くらいしか思い浮かばず、かかりつけ医者もなく、まあどちらかと言えば健康かなと自信があっただけに不整脈の元が過労とストレスと聞いて年齢を自覚せざるを得ませんでした。というわけで社長と相談していよいよ仕事のあり方を変えざるを得ない状況となりました。社長からは朝の四時から社員の一部出勤点呼を始めて、四時半から十時か十一時くらいまでの仕事でどうかということでした。もちろん給料は大幅カットで社会保険もなしになりそう。事故を起こしたり、身体を壊す前にと考えてそうするしかないかと思います。

もう一つは三日前の金曜日の夜半16年飼った家族の一員となっていた猫が力尽きて死にました。

長女が小学校6年生の時の11月学校で生徒たちが一週間ほど飼っていた雑種?と主張するアメリカンショートヘアかなと見られる生まれて二、三週間程度の猫を家に連れ帰りました。悪ガキの男の子が路上で拾ってきたとの話でうちに飼うことになりました。

昔から何度か捨て猫と見られる猫を連れ帰り、アパートで飼えないと泣く泣く戻していましたが、マイホームとなったその年約束してたから飼ってというわけです。子猫はココと名付けられてやがて長女の盟友となつていきました。そのいきさつはココには辛い体験がありました。

彼女はツンデレタイプで抱かれたりするのやは大の苦手のくせして寂しがり屋の甘えん坊でした。よるは私の布団に潜り込もうとしていましたが、猫は夜行性。こっちが寝てしまってから入ろうとするので布団に入れろとばかり首を引っ掻くのです。あまりに痛いのである夜おもいっきり放ると1メートルほど向こうに飛ばされてしまいました。次の夜からは毎晩家内の首を引っ掻いて潜り込みました。

ココはまあ猫のなかでは美人で気位が高く、狩の腕もなかなかのものでした。いろんな鳥を捕まえてはどうだ!と言わんばかりに家に咥えて見せに来るのには閉口しました。何度か長女や妻から叱られてやらなくなりましたが。運動神経も良かったのですが、年取ってから水屋に飛び移ろうとしてな失敗して床に落ちた時バツの悪そうな顔といったらなかったものです。

勝気で自分がアイドルのような態度でしたが、バイクか何かに当てられて痛くて溝でうずくまっていたのを連れ帰られてから急速に衰えていきました。

ココにとっての生涯の大試練は飼われて一年半後に、数日前に生まれたばかりと見られるクロシロの手のひらにスツポリ入る大きさのチビが来たことでした。避妊手術を受けたココは子供ができないので家内か代わりにもらってきたのです。

ところが自分の子のかわりどころか、ココの警戒心を明らかにしてシャーといかくするばかりでした。事実アイドルの座は甘え上手のチビに奪われてしまいました。やがて二階からほとんど降りてこなくなりました。我が家に連れてきてくれた長女と次女のいる二階が彼女のほとんどのテリトリーとなりました。

このココとは忘れられない会話?が三回ほどあります。最後の会話を含めて四回でしようか?長くなってしまいましたので次回にします。身辺随想ですのですぐ書きます。