ttkzkn1610のブログ

今後ますます混乱し、崩壊の危機が迫る統一教会に対して快刀乱麻、収拾を目指します。本来の姿に再生させるには、自由闊達な議論のもと、各人の主体的判断による後継者の選択と真のメシア観の確立が最重要課題と確信しています。

鉄の杖を持つことの意味。

今回の天一国の完成期の祝福に関して、鉄の杖(指定された銃器もしくはそれに準じてその商品券)が必要とされていることに関して、サンクチュアリに当惑(戸惑い)の声があるようです。

日本人にとってそれはある程度予想されていることですが、何十年と文鮮明師に仕えて行こうとしてきたものにとっては、それもわかるけれども、なんとか葛藤しておられるならば、抜け出して欲しい思いです。

自分自身を振り返ってみて信仰段階の初期にある程度訓練されてきたので、その頃のことを思い出します。

私は早稲田大学の学生であったころ、高田馬場駅でアンケートで伝道されました。

当時の地区長は大学の数年先輩でしたが、私がこの道を行きたいというとモーセのエジプト人を撃ち殺したことを例に挙げて、あなたも神様の願いであれば、そのようなこともできるのか?と聞かれたのです。

私は数秒考えてはいできると思います。と答えました。

私の背後に何か甘いヒューマニズムっぽいところがあったのか、そんな質問をされて試練を与えてもらいました。

それからまもなく地区組織を自分の意思で抜けて、志願して早稲田大学の原研(原理研究会)に移動しました。

余談ですが、当時の教会長からはあなたが自分一人で何かができると思っているようだが、自分で何かができると思っているのか?と問われました。

私は10秒くらい考えてできると思いますと答えて、原研に移りました。

私の子供もそうですが、上から言われてああそうですか、わかりましたそうしますというのはあまり好きではありません。


銃器の問題は時折昔から考えていた事案です。

信仰の馴染みから考えると文鮮明師は狩猟を好まれてその訓練も先輩幹部の方々がされていたのは知っていました。

また、相当初期の頃から銃砲店を経営し、全国に展開しておられたのも知っていました。

また何故そうされるのかということの一つの答えが、共産党が恐れるんだよ。左翼の過激派どもも簡単に我々を襲うことはできないよ。

と語られたと聞いています。70年代の話です。

当時は共産党(下部組織の民青も過激でした)以外にのちの赤軍派、中核派、革マル派、黒ヘルなど過激テロや、内ゲバなど暴力事件が絶えませんでした。

私のたくさんのいとこの中には内ゲバで頭割られて家に帰ってきたなんていう武勇伝もありました。(彼は確か民青でしたか)

そんな時代の中で大学内でもさまざまなぶつかり合いがあり、殴られたりした兄弟もいました。

信仰の初期がそういう戦いがあった中での伝道活動、勝共的活動をしてきましたので、のちの物販を通して繋がってシツクになっていくというのはわたしには伝道の一つの方法論でした。


心の中に入ってくる悪魔、肉体の中に潜むサタンはもちろんですが、霊界にいるサタンと同じように共産主義というサタン的思想があり、現実にそれが実体として、神側に挑戦してきているのは事実でした。

文先生は若い頃、軍隊を経験していなかったのは悔やまれるとおっしゃいました。しかしもし、自分が軍人となり、敵を撃ち殺した場合、再臨主によって殺されたという恨は拭うことができないと言われました。

ですから、私達には軍人になることも志願することも好まれました。

先生の子女様がアメリカの軍人エリート養成大学のウエストポイントに合格された時にはたいそう喜ばれました。

そのような我々の真の父母、真の師、真の主人が、武装せよ、あるいはその準備をせよ、平和軍、平和警察の基となれ、とおっしゃっておられるのに、反対することは気持ちは理解しても反対できないことです。

警察や自衛隊は当然、銃器を扱いそれを必要な時には使用します。それは警察とか、自衛隊とかいう組織を信頼して国民の負託を受けているからです。

しかし、個人としては間違った使い方をする場合もあります。警察官がピストル自殺することも多々あります、

日本ではありませんが、韓国では軍隊内で上司や同僚を撃ち殺す事件も毎年のようのように起こっています。

人は組織によって変わるのでしょうか?そのような原理はありません。警察官や自衛官のみが信じることができて、普通の市民が信じることができないというのは、おかしな話です。

組織信頼、組織信仰で天国に入れると思うのはおかしな話です。ただ組織はいろいろと訓練をしてくれるところです。あくまで訓練で実地としては一定の限度があります。

この前、家庭連合の深い付き合いのあった家庭の夫人から、家庭連合のピラミッド組織がそのまま天国に移っていくのだと思ってきました。違うのですか?と聞かれました。

家庭連合ではそのように今でも思わせているようです。

個人の自己主管は三大欲望だけではありません。万物として与えられた全てを所有し、管理し、適切に使用できなければなりません。

どう使うかという判断することで善悪に分かれるのです。

たとえば、警察官が人殺しに対して悪をさせないために使用すれば、善となりますし、悪人が強盗で使えば、悪になります。

天国人となるにはその判断、と権限を持たなけばなりません。

天国はぶら下がってあるいはついていくだけで入れるのではありません。悪と戦い善悪を分立し、善を保護して初めて建設できるのです。

銃を手にして、精神的、肉体的な使用に対する訓練を受けなければなりません。

しかし、実体として持つあるいは使用できる権限を持たねばなりません。

もちろん合法的にですから、今の日本では不可能です。今の日本では天国あるいは天一国は実体としては不可能です。

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