七年の艱難の最大の山場となるのは今かもしれない。
七年の艱難について考えてみます。家庭連合ではサンクチュアリをほぼ分派もしくは異端ととらえています。
そして、創始者である文鮮明師の三男の顕進ニムに続いて七男の亨進ニムまでも分派となっていることなどを七年の艱難と捉えているようです。
私達サンクチュアリにとっては韓氏オモニの裏切り、幹部の不正が七年の艱難の出発点です。
真の母として慕ってきた韓氏オモニか、唯一の後継者として選ばれた亨進ニムを選ぶのか私達は選択をしなければなりませんでした。
それは私達にとって重大な選択でした。サンクチュアリにきたのはその選択に成功したことを意味します。
しかし、七年の艱難は最初の選択で全て終了したわけではなく、次々と選択を迫られます。
私達は絶えず正しい選択をできるのでしようか?
ある兄弟は日本人ですが、神の祖国は韓国であり、アメリカを摂理の中心とすることは間違っていると主張し続けています。
先程久しぶりに彼から電話をいただいたのですが、亨進ニムの完成期の祝福は間違いだ、みことばでは完成期の祝福は蘇生期、長生期と同じ人と祝福を受けねばならないとなっている。昨年の9月の真の父母の完成祝福は誤りであると訴えて来られました。
韓国で躓き、新たな真の父母の祝福で躓きました。
まるで新訳聖書に出てくる文字の奴隷となった律法学者のようです。
そして、祝福と呪いは交互にやってくるようです。
去年9月の真の父母の完成祝福はそれが行われるまえには審判と言われて、祝福があってからは最大の恩恵となりました。
審判や呪いといった恐ろしい出来事はそれが終われば最高の文字通りの祝福となります。
七年の艱難の意味は深刻な信仰面での葛藤が生じるということにあります。
すべてが信じられなくなるそういう試練がやってくるという意味です。
私なりよくわかります。誰を信じて良いかどうしたら良いかわからなくなる時が必ずあるということです。
自分なりの信念がどんなに強くともとんでもない動揺がくる時がきます。
その全体的な最も激しくくるのが七年の艱難です。
その言葉はあまり知っていたわけではありませんでしたが、以前から大きな疑問がありました。
統一教会、家庭連合の人々を見てきて、本当に天国に行けるのかな、行くことができなくてもそれほど深刻に思っている風でもなく不思議な感じがしていました。
今のままでも、赤信号、みんなで渡れば怖くないという感じにしか思えませんでした。ですから、亨進ニムのみ言葉に触れて決定的にそれを確信しました。
もちろん私自身もその中にいて「偽物」のところも十分あってサンクチュアリにきてからいっぱいいろんな人を通してから教えられました。
本物は二代目王様である亨進ニムご夫妻とそのアベルカインである国進ニムご夫妻、と三代王権にしかありません。
前回私は組織の中で天国人が決定されることはないと言いました。
しかし、組織を否定的に見ているわけではありません。組織的なものが好きな人もあれば向かない人もいます。どちらも良い面もあれば、どうかなと思える面もあります。
しかし、一度は組織を決定的に見直す時が来ることは間違いありません。
なぜなら、人類復帰歴史がそうなっているからです。私がそれに気づいたのは学生時代でした。
信仰歴三ヶ月というよりみことばに触れて三ヶ月?くらいでたった一人の決意で地区教会から大学の原研に移りました。
誰かの影響はあったのですが、誘われたわけではありません。しかし、自分なりに考えて国家を動かすには原研での活動が決定的であると考えました。
それはともかくとして本題に戻りますが、自分が霊的に生まれたところを信仰歴わずか三ヶ月程で移動した私は大変な孤独に陥りました。
霊の親はすでに教会を去っていましたし、肉の親は命がけで反対して精神病院に通わせたりしましたので、心の通じる人がいない中で張り裂けそうな心を抱いて数ヶ月を過ごしました。
その時生涯に一度、半日ですが、この道辞めて家に帰ってやり直そうかなと考えました。信仰のことは親の言うように大学を出てからまたやったらいいのではないかと、いつかまた来ようと。
しかし、半日考えてみて、やはり神様はいるし、その生きた神様、私に最高の喜びをくださった神様がおられたと思い直した時、考えが戻りました。
それからみことばを懸命に学びました。毎日「み旨の道」を二、三ページノートに書き写しました。あとでいうところの行(ぎょう)とかなんとか条件とかではなく、求めて求めて格闘しながらみことばを学びました。
入教したての頃の喜びは二、三ヶ月でその後の試練は数ヶ月続きました。
しかし、すべては主の訓練でした。
七年の艱難の後、天一国はさらに近づくでしょう。それが最高の喜びとなるか、さらに茨の道が続くかはわかりません。
ローマ カトリックが腐敗、堕落して神様の摂理はプロテスタントに移りました。
唯一の正統とされて、のちに中世と呼ばれた時代はまさにカトリックに支配されていました。
まさに家庭連合によるピラミッド型組織が、私達を治めていましたが、それが崩れ去った後に来るものは何でしょう?
一口にプロテスタントに神様の摂理が移ったと言ってもどれほどの混乱があったでしょうか?
原理講論では信仰と思想の混沌期とされていたと思いますが、歴史を見れば血で血を洗う宗教戦争が続き、革命的暴力と残忍な人間の悪の本性が表れたのです。
そういう中で信仰に燃えた プロテスタントとはカトリックという組織から離れて、人間の内面から神を求めて、みことば(聖書)と祈りという内面の信仰によってのみ救いがあるという教えから出発しています。
それが十分でないままの実体的関係(実体基台)はやがて試みに会い、動揺し、試練されます。
このような様々な要因から、「鉄の杖」は日本人に大きな試練を与えているようです。