“鉄の杖”再考。銃規制について考えること。
鉄の杖について。
鉄の杖の実体は米国製のAR 15という半自動小銃で、いわゆるライフルと言われるものの一つです。
極めて殺傷能力が高く、射撃後の反動が少なく、連続射撃が可能で扱いやすいとされています。
アメリカでも銃規制の議論が盛んなようですが、二代目王様の考え、すなわちサンクチュアリ教会の考えは全く違う考えです。
つまり、自ら善良な市民が武装すべきであり、逆に優秀な武器であるAR 15を保持し、訓練を欠かさず、自らと自らの家庭と近隣住民を守るべきであることを主張しています。
これはアメリカの銃規制に対する反対する多くの人たちと共通する考えのようです。
AR15は現在その作り方までが流通しているので、非合法で作ることもできます。
結局、銃規制論者に従えば、善良なな人たちから銃を持つ権利を奪い、悪人だけが銃を持ってしまう結果になります。
普通に考えればわかることです。
昔、アメリカでは禁酒法という悪法があり、法律でアルコール類の製造と販売を禁止しました。
今では考えられないことですが。(1920年〜1933年までの禁酒法時代という)
お酒は悪魔の飲み物と言われていろんな人間の不幸を作り出すというわけです。
この禁酒法は今では天下の悪法と言われています。
この禁酒法が作られてまず酒の密造と密輸が盛んとなりました。
しかも違法な酒造りなので、作り方も簡単にしてしまって健康を害する人が増えました。
さらに違法なものを取り扱うのでギャングと言われるマフィアが急成長し、殺人やら様々な凶悪事件が増えて禁酒法がらみの死者は数千人とも言われています。
これと同じようなことが銃規制にも言えます。
もし、銃規制が進めば、非合法の銃の製造、販売する闇市場が急成長し、様々な犯罪の温床となることでしょう。
AR 15にしてみても現在でも製造する方法が手に入る訳ですから、非合法にしたところで、闇市場で、今よりも高い金額でやり取りされるのは目に見えています。
今、闇市場が発達していないのはそのような製造レシピに頼ったり、自分たちで作るよりも合法的に売られているものを買う方が合理的だからです。
非合法にすれば、闇市場が拡大して、結局法を守る善良な人々が身を守ることができず、法を破る悪人だけが銃を持つことができることになります。
銃を持つ資格を難しくするとか審査を厳しくするというのも結局は闇市場の出現を促すものとなるでしょう。
結局、銃という“もの”が悪いのではなく、使う人が悪いというのが原理です。
銃を持つことはいのちの次に大切なことです。いのちの重みがそこにかかっています。
もし銃に突きつけられればいのちよりも大切なものがあればそれは譲れませんが、それ以外のものは譲るしかありません。
つまり銃に脅されて、相手の望むものを与えないわけにはいきません。
したがって、銃は大切に保持するとともに、家族であっても資格のない人間が決して取り扱うことのないように厳重に保管しなければなりません。
事故や誤用があってはなりません。また使うことができなければ意味を持たないので、銃を扱い、使用する訓練を常に、定期的に行い、正しい使用ができるように技量を保っておかなければなりません。
日本ではもちろんたやすく持つことはできないので、法律に則り、保持が許可されるものでしか持つことはできません。
いずれにせよ正しい扱いができるようなることが必要です。
日本で一般的にいつ保持できるようになるかは今のところ見通しはわかりませんが、いつでも可能なように銃を撃つことができる国に行った時、機会を見て、訓練をしておくことも良いと思います。